[光る君へ] コラム06:なぜ紫式部は「日本紀の局」と呼ばれた? | コンデジ片手に出かけよう

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私の旅の思い出を紹介します。


第三話で源倫子のサロンで、忖度なく漢字の実力を見せつけたまひろ。そして別の機会に和歌の実力もみせつけたまひろ。まひろ以前に倫子のサロンにいた女性は「空気読めよ、下級貴族の娘」と言いたそうですが、倫子の母親がまひろの実力にかんしんしていましたし、倫子の「赤染衛門と仲良くなりそうね」の一言で黙るしかなかったみたいですね。



あとまひろ(紫式部)が持っていた残りの実力は、日本紀の知識。これは紫式部日記「日本記の御局」が該当するのではと思います。
<「日本記の御局」のあらすじ>
私(紫式部)に悪意を持っている左衛門の内侍が様々な陰口を言っているのですが、帝(一条天皇)が『源氏物語』を人に読ませなさってお聞きになっておられたときに、「この人は、日本紀を読んでいるのだろう。本当に漢字の才があるにちがいない。」とおっしゃったのを聞いて「(紫式部は)才能をひけらかしてる」といいふらして「日本紀の御局」などとあだなをつけてしまったつけてしまった。
この話題が出たのは一条院(里内裏)でしょうね、紫式部日記に登場していますから。一条院を元々持っていたのは藤原道長の姉・詮子になります。



一条院内裏は文化サロンのような場所で、紫式部&赤染衛門がいたと思います(源倫子の和歌サロンメンバーですね)。そして、話題になっている源氏物語の部分は不明ですが、もしかしたら第22帖・玉鬘(たまかずら)かなって思います。

 



玉鬘の帖は、紫式部が姉のように慕う年上女性(光る君へでは「さわ」と言う女性になっています)にささげた一帖。源氏物語ではヒロイン・玉鬘は現在の佐賀県唐津市から瀬戸内海を船でかえって、畿内に無事についてというお話。これは「神功皇后」が三韓征伐から無事帰ってきた話になります。
※写真は源氏物語関連地では一番遠い唐津市の鏡神社




実は「神功皇后」というのは、和歌の神様である住吉神の一柱になります。

そして神功皇后の息子にあたるのが八幡神(京都なら石清水八幡宮)になり玉鬘にも出てきます。
※写真は石清水八幡宮。



玉鬘の帖に出てくる八幡神の話ですが、これは紫式部の夫が現在の大分県にある宇佐八幡宮を訪れたことがあり、宇佐八幡から八幡神(応仁天皇)に助けにして奈良東大寺大仏殿が出来たという逸話を聞いていたからかもしれませんね。
※写真は宇佐八幡宮にあるポスター



因みに玉鬘の帖の後半部分に出てくる話題は「玉鬘の初瀬(長谷寺)詣」で、玉鬘は光源氏の知り合いの人に出会い、やがて光源氏のもとにたどり着きます。そして、そのストーリーは住吉物語と言う当時はやっていた継母いじめを主題にしたものなので、内裏でも話題になっていたかもしれません。

※蜻蛉日記でも、主人公(藤原道綱母:光る君へでは財前直見さん演じる藤原寧子)が離れていった夫との仲を良くしたいために初瀬(長谷寺)詣を行っています。

 

 

そして、この玉鬘の帖は紫式部にとって親しい人の残してくれた記憶の財産になりますから、最終回あたりの回想シーンになりそうです。