第9帖・葵は光源氏22歳から23歳春を語っています。
※Top写真は、土佐光吉筆・源氏物語手鑑の帚木(和泉市立久保惣記念美術館蔵)。第2帖・帚木で有名な「雨夜の品定め」の場面です。ここから、光源氏の女性遍歴が始まり、様々なヒロインが出てきますね。そして「第1帖・桐壺」から「第11帖・花散里」のあらすじ紹介のTop写真は、当分間はこの写真のままの予定です。
※この項目は、関連事項などの記事をアップしたらリンクアップデートします。
巻名は光源氏と源典侍の歌「はかなしや人のかざせるあふひゆえ神のゆるしのけふを待ちける」および「かざしける心ぞあだに思ほゆる八十氏人になべてあふひを」に由来する。
源氏物語を現代語訳された与謝野晶子さんは、次のような和歌を載せています。
「恨めしと 人を目におく こともこそ 身のおとろへに ほかならぬかな」
<あらすじ>
桐壺帝が譲位し朱雀帝(光源氏の腹違いの兄)が即位、藤壺中宮の若宮(実は光源氏と藤壺の間に出来た不義の息子)が東宮となり、源氏は東宮の後見人となる。また、六条御息所と前東宮の娘(後の秋好中宮)が斎宮となります。
賀茂祭 (現在の葵祭)の賀茂斎院による禊行列に光源氏も参列。その際に娘の姿を見ようと六条御息所が牛車で見物に向かいますが、妊娠している葵の上も牛車で見学に訪れ、一条通りで場所争いが起きます。
その後に葵の上が息子(夕霧)の出産の後に病気にかかりますが、数日後に病が重くなり加治の受けます。同じ時期に六条御息所の唐だから加治に使われる香が消えないことに、愕然。そして、葵の上の訃報を知り、青ざめます。
葵の上の四十九日が済んだ後、光源氏は夕霧の養育を左大臣家に託し、自分はは二条院に戻ります。そして、美しく成長した紫の君と密かに結婚します。
<第9帖・葵の主な出来事>
◎朱雀帝即位後の光源氏の様子
◎賀茂祭の新斎院御禊の見物で起きた六条御息所と葵上との車争い
<関連地> 一条通り
<関連事項> 賀茂祭の禊
<関連事項> 賀茂祭りの斎院
◎賀茂祭の当日は、光源氏は紫の君と見物
<関連事項> 賀茂祭 (葵祭)
◎車争い後の六条御息所の生霊が、葵に上を呪詛する
<関連人物> 六条御息所
<関連事項> 生霊で呪詛する
<関連事項> 生霊鎮めのお祓い
◎斎宮(六条御息所の娘)、秋に宮中の初斎院に入る
◎葵の上が男子(後の夕霧)を出産
<関連人物> 夕霧
◎葵の上が死去
<関連地> 鳥辺野
◎光源氏は息子夕霧を置いて左大臣邸から退去、二条院へ戻る
◎源氏、紫の上と手枕を交わし結婚
<関連事項> 亥の子餅