[源氏物語あらすじ] 第10帖・賢木(さかき) | コンデジ片手に出かけよう

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第10帖・賢木は光源氏23歳秋9月から25歳夏を語っています。

 

※Top写真は、土佐光吉筆・源氏物語手鑑の帚木(和泉市立久保惣記念美術館蔵)。第2帖・帚木で有名な「雨夜の品定め」の場面です。ここから、光源氏の女性遍歴が始まり、様々なヒロインが出てきますね。そして「第1帖・桐壺」から「第11帖・花散里」のあらすじ紹介のTop写真は、当分間はこの写真のままの予定です。
※この項目は、関連事項などの記事をアップしたらリンクアップデートします。


「賢木」巻名は作中で光源氏と六条御息所が交わした和歌「神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるさかきぞ」および「少女子があたりと思へば榊葉の香りをなつかしみとめてこそ折れ」に因む。


源氏物語を現代語訳された与謝野晶子さんは、次のような和歌を載せています。
「五十鈴川 神のさかひへ のがれきぬ おもひあがりし ひとの身のはて」


<あらすじ>
源氏との結婚を諦め関係を清算しようと考えた六条御息所。娘の斎宮(後の秋好中宮)と共に伊勢へ下ることを決意します。ただ、光源氏も、る野の宮を訪れて六御息所との別れを惜しむのでした。 
そんな時、父である桐壺帝が重態に陥り崩御。源氏は藤壺への恋慕が強くなっていきますが、藤壺は出家してしまいます。
ある晩に光源氏と朧月夜の密会がある晩右大臣に見られ、激怒した右大臣と弘徽殿大后は恋、これを期に源氏を政界から追放しようと画策します。 


<第10帖・賢木の主な出来事>
◎六条御息所が、娘と共に伊勢神宮に向かうことを決意する。

◎光源氏が野の宮を訪問、六条御息所が暁に別れを告げる

◎六条御息所と娘が伊勢に向かう日が決まる

◎十月に桐壺院が重体となり、十一月一日に崩御

◎朧月夜と逢瀬を重ねる光源氏、

◎再び藤壺に迫る光源氏、そして藤壺は出家を決意する

◎朧月夜と関係が政敵・右大臣に発見される