オルセー美術館展2014
には「印象派の誕生」という副題がついています
マネの周りに集まった画家たちが印象派となることはご存じのとおりでしょう
バジールは彼らの初期の仲間の1人ですが
普仏戦争(プロシア×フランス)で29歳で戦死しました
彼にはルノワールとシェアーしたアトリエを描いた作品があり
今回きています 人物には諸説ありますが →
真ん中で帽子をかぶりキャンバスに向かっているのがマネで
彼と話している長身の男がバジール本人
階段を登っているのが作家のゾラというのは間違いないようです
当時の画壇の反逆児である彼らを、文壇の反逆児であるゾラは強力に援護しました
このまえ「失われた時を求めて」で、公爵がエルスチールの話をする場面ついて取り上げましたが
その直前にそこに集まった皆はゾラの話をするのです
公爵夫人はそれを聞きとがめ、「ゾラはリアリストじゃございませんわ。詩人です」と意見を語ります
この台詞がぼくは大好きで、ゾラは自然主義
ドレフュス事件で果敢にフランスの反ユダヤ主義と戦ったことはあまりに有名で
そんなおざなりのレッテルでばかり語られるのに、ぼくはいささかうんざりしていました
そこへ反ユダヤ主義者である夫人が、ゾラをリアリストではないと言ってのけるのです
保守的な公爵夫人はリアリズムという言葉を軽蔑的に理解しているのすが
それでも「あんなのはリアリズムでもなんでもない」と批判する反面
ゾラが詩人であるというという点を見抜いているのです
印象主義が写実主義を母として生まれ、さらに超えようとした試みであるように
ゾラの自然主義と重なる本質的なところを、公爵夫人は自分でそれと知らずに言い当てています
彼は「制作(1886年)」という長編小説で、世に認められる前の印象派の若者たちの姿を描いています
モネの「死の床のカミーユ」という絵の前に立つと、その一シーンを思い出さざるをえません
主人公クロード…モネの名もクロード…は貧しさゆえに、幼い息子を失うのです ↓ベルナールの挿絵
「クロードはいたたまれず、むやみに歩き回っていた。顔は痙攣し、時にあふれ出る涙を手の甲で拭った。小さな遺体のそばを通ると、どうしてもそこに目が向く。見ひらいた子どもの目が、異様な力で彼の心をひきつけた。はじめ彼はある思いに激しく逆らった。しかし迷いに迷ううちに、その思いは逆らえない執念になった。意を決すると、小さなカンバスを取ってくるのももどかしく、死んだ子を写生しはじめた。はじめはあふれる涙で視界がくもり、はっきり見ることもできなかった。それでも涙をぬぐっては、ふるえる筆を一心に動かし続けた。そのうち仕事への没頭が涙を乾かせ、手は確かさを取り戻した。彼の目の前にあるものは、もはや冷たくなった息子の姿ではなく、一個のモデル、情熱をかき立ててやまない課題だった。巨大な頭の輪郭、蠟のような肌のトーン、虚空を見つめる穴のような目は彼を興奮させ、燃え上がらせた。後ろへ下がり、じっと見つめ、時には作品に目をうつし、かすかすに笑みさえ浮かべた」
この小説はゾラが幼なじみセザンヌと訣別する原因を作った作品とされますが、
クロードはセザンヌ一人をモデルとしたものではなく
プルーストがマネ1人をエルスチールのモデルに選んだのではないように
彼らの中にあるものを詩的精神で描こうとした傑作です