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居酒屋なると

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原民喜は1944年九月の終わりに妻を亡くし
一年の間、彼女のことを書いて自らも死のうと誓った
しかし1945年8月6日を彼は生き延びることになる

まだ死ねぬ、死んではいけないと感じた彼は広島で見たものを書いた
「原子爆弾」と題された記録文学はGHQの検閲を考慮して
「夏の花」と変え、今では世界中に訳されている
                                   遠藤周作と原民喜小宝宝右看
しかし戦後は1951年2月に自殺するまで
亡き妻のことも訥々と書き続けた
そこに次の小さな一文があるのを、わたしは見落としていた
「夏の終わり頃には、腹に朱と黄の縞のある蜘蛛が…夕方になると、かならず同じ場所に現れた。微熱のつづく妻は、縁側の静臥椅子に横たわったまま、それらを凝と眺めるのであった。そういうとき、時間はいみじくも停止して、さまざまな過去がの断片が眼さきにちらついたのではあるまいか。そこから、昆虫の夢の世界へは、一またぎで行けそうであった。簪かんざしのところでは、蟷螂かまきりと蜂が争っていることもあった。蜥蜴とかげと守宮やもりが喧嘩していることもあった。蟻はせっせと荷を運び、蜂の巣は夕映に白く光った。
 妻が死んだ晩、まだ一度も手をとおさなかった緑色の晴着が枕頭に飾ってあった。すると、窓から入って来た蟷螂かまきりが、その枕頭をあたふたと飛び廻った、-大きな緑のふしぎな虫であった」かまきり

実のところまだわたしはくだんのオルセー美術館展 へは足を運んでいないのです

それでもわたしはすでに何度か原画をどこかで目にして

とりわけ語りたいと思ったことを記したまでである


永井荷風は「ふらんす物語』の中で、サンラザール駅のことをこう記している

「サンラザールの停車場に着した。この界隈の巴里中でも非常に雑沓する処で、掏盗児すりの多い事は驚く程だ。時計でも紙入れでも大切のものは何一ツ外側の衣嚢かくしへ入れていてはいけないと、船中の或フランス人に注意されていたので、自分もその気でプラットフォームへ出たが、成程雑沓は為ているものの、然しその場合は紐育の中央停留所などとは全で違う。人間が皆なゆっくりしている。米国で見るような鋭い眼は一ツも輝いていない。後から旅の赤毛布あかげっとを突飛ばして往く様な無慈悲な男は一人もいない

                          今回は来ていないモネ→
1995年前後にわたしは毎週金曜の午後に

サンラザール駅から2時間弱のカーン県のリジューという町に行って

そこの巡礼者施設に宿泊して、日曜の夕刻にパリにもどるのが習慣だった


わたしは当時、ヨーロッパで日本人にヨーロッパはすり・窃盗が多いから、気をつけろとさんざん言われた

ところがわたしはそのような目にあったことはなく

あえて言うならたった一度、しかもよく知る日本人にすられそうになったことがあるだけである

 わたしの車椅子の背中にはポケットが付いている

 ここへわたしは手が届かないのだが

 新調時に勝手に付けられてしまったのである

 だから中には何も入っていなし

 開けたてもできないから

 ホックの口はいつも開いている

 そこへぼくの知る日本人が手を入れた

 いつもそこが開けっ放しなのを見咎め

 お灸をすえようと思ったと言うのだ

ところがそんなことを彼の口から聞いたのははじめてだった


ともかくわたしが窃盗被害にあいかけたのは、それ一度きりだが

反対にローマのテルミネ駅で、わたしは万引に間違われたことがある

待ち時間を構内のバールでつぶそうと、キオスクでフランス語の朝刊を買った

日本より紙面も少なく紙質も悪いので、誤って2部とって、金を払ったことにバールで気がついた

バールを出て、一部をもどそうとキオスクに寄ったのが、日本人らしい律儀さでいけなかった

売り子は交替していたが、ともかくわたしは英語でわけを伝え、ひたすら頭を下げた

すると陽に焼けた中年の彼女は、とたんに激高し

わたしが差し出した新聞を奪い取って、わたしの頭を打擲した

イタリア語をよくせぬわたしは、間違えて2部とったことを咎めているのだろうと思い、ただ謝していた

そのうち周りに人だかりができ、中の1人の中年男性が通訳を申し出た

それでも売り子の女性は納得しない

中に入った男性が言うには、彼女はわたしが万引だと言ってきかないそうである

そのうち彼も女性が「言って聞く人ではないから」と、困り顔で周りに同意を求めた


結局やじ馬の大半を味方につけたものの、女の怒りは収まらず、わたしは駅を後にした

ところが後で気がついたことがある 1995年当時まだ、その駅には物乞いがいた

しかも真偽は分からぬけれど、大半は身体障害者の姿だった

車椅子の者は1人もおらず、木造りの「いざり車」に乗っていた

あるいは彼らと売り子の女性の間に、万引したしないの争いが日常的に行われていたのかも知れない

それからわたしはヨーロッパというものに、皮相な理解しか持たないことに気づかされることになる

たとえ万引に間違われようとも、わたしが盗難被害にあわなかった秘密もそこにあった


ゴジラわたしはゴジラよりちょっとだけ若く、1954年の第一作を見たのも今年になってからのことにすぎません
それまで初期の本多猪四郎監督のシリーズは一本も見てないし
後の大森一樹監督のものは映画館で軒並み見はしたが、はまりませんでした

1954年の伝説の「ゴジラ」については背景に反核の思いがあり
英語名「Godzilla」に期せずして冠せられた、「God」が触発する「荒ぶる神」の民俗学的研究
あるいは川本三郎の「ゴジラはなぜ皇居を襲わないのか」という分析など…
知識ばかりが先行し、頭でっかちになっていました

このところゴジラ映画や特集番組を毎日録画して見ていますが、わたしは暗澹たる気持ちです
1954年の第一作にしても、わたしはそこに反核の思いよりも、戦後日本人の核への不誠実さを
予言しているように思えて、いたたまれなくなったのです

現在のゴジラブームは生誕60年、ハリウッド版封切りに合わせた一過性のものでしょう
3.11福島原発事故を経験した我々には、ゴジラ60年の歴史はどうしても「ちゃち」です

1954年の時点では、ゴジラは多くの日本人に空襲の記憶を呼び覚ましたことでしょう
本多猪四郎は復員して帰るとき被爆した広島を通ったとそうです
しかし彼の目に映った被爆地は、当時は当然のことでありますが
大空襲、たとえば徹底した力学的破壊を受けた東京との間に違いを見出さなかったのでしょう

ゴジラゴジラは放射能を吐きます のちにゴジラの心臓は原子炉でメルトダウンを起こしかけるといった
エピソードも出てきますが、彼は東京を踏みつぶそうとするだけではありません
たとえ皇居に指一本触れずとも、中の人々はまず誰より早く遠く避難するでしょう

「荒ぶる神」の奥底には得体の知れない恐れに「名前」を付け
飼いならそうとする人間の傲慢さが隠れている気がしてなりません

ゴジラは空を飛ばない モスラは南方の激戦を表象し飛ぶべき怪獣です
ところが飛ぶことの似合わない怪獣たちが次々と空を飛ぶ
唯一の例外がゴジラなのです 着ぐるみの重さと中の熱さで動きが鈍重になり
かえってその恐ろしさが倍加した 初代ゴジラの魅力はそこにあるのです
ところが後の彼のライバルたちは羽もないのに片っ端から空を飛びます 無重力のアニメのように 

ガンダムは兵器ですが、たとえば核爆弾搭載の戦闘機にくらべれば威力はあまりに小さい
それに似て、ゴジラの恐ろしさは核の足下にも及ばない
やがて原子力発電所を見て「かわいい」と形容する者が現れるかもしれません
その頃には「かわいい」も、また違ったコトバで代用されることでしょう…

天災や戦乱の原因を平将門や菅原道真の霊と結びつけるように
鎮魂とは生き残った者がすがる一本のわらしべなのかもしれません

パリからするとルアーブルは海の玄関だ

マノン・レスコーはアメリカへ流刑になるとき、ルアーブルから出航した


永井荷風は「あめりか物語」→「ふらんす物語」で大西洋を渡った船

ニューヨークを出た船はルアーブル港に着く         眼鏡永井荷風➜

そこでパリ行の汽車に乗る 彼はこう書く

「汽笛と共に汽車は動き始めた。

 ゾラの著作を読んだ人は云わずとも知っていよう。ル・アーブルと巴里間の鉄道は殺人狂を描いたその有名な小説人間の獣性(『獣人』)の舞台である。ゾラは荒涼寂寞又殺気に満ちたさまざま物凄い景色をば、この鉄道の沿路から選んでいる。で自分は昨夜港に這入った時よりも一倍注意して、窓から首を出していた」



パリからセーヌ川沿いに太西洋のルアーブルに向かう路線は
19世紀のパリの新興市民階層の休日の過ごし方
そして彼らの趣味と関わりのある印象派の出現と深く関係しています
                  2011.2.22の記事
その始点サンラザールを内から描いたモネの作品(1877)も今回来ています
                                           →
かつてわたしはこの駅を毎週使いました ゾラは「ある印象派画家」という文章の中でこう書いています
「クロード・モネはこのグループの中でもっとも際立った人物である。彼は今年、駅の内部をみごとに描いた作品を(第3回印象派展に)出品した。走り込んできた列車のうなりが聞こえ、広大な屋根の下には流れ込む煙が充満している。巨大で現代的なこの場にこそ、今日の絵画がある。先駆者(たとえばバルビゾン派の画家たち)が森や川で詩情を見出したように、われらの画家たちは駅に見出す」

ゾラの長編小説「獣人」の舞台はまさにこの路線なのです
セヴリーヌはパリの有力者の愛人だったが
持参金付きで事情を知らない歳の離れた機関士クーポーと結婚した
それがために彼はルアーブルの助役になったのだが、わけを知り
嫉妬にかられたクーポーは列車の中で計画的に有力者を殺害する

夫を愛していたセヴリーヌの心はそれから急速に夫から離れ
サンラザール駅に属する機関士ジャックと密会を重ね、やがて夫の殺害を彼にほのめかすようになる

冒頭近くサンラザール駅で、クーポーが殺害目的でルアーブル行の列車に乗り込むシーンを引用しましょう
「ルアーブル行の急行は混雑のため屋外にならび、インク色の闇の中で待っていた。にわか雨が過ぎたところで、湿気がむき出しの空間に広がっていた…暗い奥からさまざまな音が聞こえてきた。熱にあえぐ蒸気音、襲われる女の叫びような汽笛、街のざわめきの中に遠く哀れに響く警笛。高い声で指令が飛んだ。車両をひとつ追加するためだった。急行は立ち止まり、排気弁からしきりに蒸気を吐き出していた。排気は闇に立ち上り、細かな煙とほぐれ、空に張られた喪の黒幕に涙の染みをつけた」

このあとクーポーは実際に殺人を犯したかどうか、読者には知らされないまま進行し
セヴリーヌとジャックの秘めた関係が語られていくのです
やがてその殺人について彼女の口からジャックに語られ、夫殺しを提案されるのです
まさにサスペンス小説の原点
ジャン・ルノワール監督=画家ルノワールの息子、ジャン・ギャバン主演の映画も有名です

カフカの「変身」、ドストエフスキーの「白痴」、チェーホフの「桜の園」
20世紀の文学作品の中には読後に耳の奥で、列車の汽笛が鳴り響いているものが少なくありません汽車

学んだ人類の誓いとして、わたしはどこまでもかたくなに尊ぶつもりです

近代戦は軍事同盟や不可侵条約の枠組のもとで、もとより「集団的」に遂行されます

だから「自衛」という言葉も頭に、「集団的」という冠がついたとたんに

防衛から近代的な軍事行動へ舵をきるように思えます


広島のある高校生のブログ を見て、わたしは目から鱗が落ちました

そこで「國」という文字の成り立ちが議論されていたのです

村+矛→或

…村を矛で囲うことが國でした

さらに調べてると

戦前にはその略字は

現在の「国」ではなく

「王」を「口」で囲う文字でした

占領下時代にそれは障りがあり

「国」に定着しました


近代以前の古くさい「國」に学ぶのも

そんなに無意味なことではなさそうです

オルセー美術館展2014 には「印象派の誕生」という副題がついています

マネの周りに集まった画家たちが印象派となることはご存じのとおりでしょう

バジールは彼らの初期の仲間の1人ですが

普仏戦争(プロシア×フランス)で29歳で戦死しました


彼にはルノワールとシェアーしたアトリエを描いた作品があり

今回きています 人物には諸説ありますが            →

真ん中で帽子をかぶりキャンバスに向かっているのがマネ

彼と話している長身の男がバジール本人

階段を登っているのが作家のゾラというのは間違いないようです


当時の画壇の反逆児である彼らを、文壇の反逆児であるゾラは強力に援護しました

このまえ「失われた時を求めて」で、公爵がエルスチールの話をする場面ついて取り上げましたが

その直前にそこに集まった皆はゾラの話をするのです


公爵夫人はそれを聞きとがめ、「ゾラはリアリストじゃございませんわ。詩人です」と意見を語ります

この台詞がぼくは大好きで、ゾラは自然主義

ドレフュス事件で果敢にフランスの反ユダヤ主義と戦ったことはあまりに有名で

そんなおざなりのレッテルでばかり語られるのに、ぼくはいささかうんざりしていました

そこへ反ユダヤ主義者である夫人が、ゾラをリアリストではないと言ってのけるのです

保守的な公爵夫人はリアリズムという言葉を軽蔑的に理解しているのすが

それでも「あんなのはリアリズムでもなんでもない」と批判する反面

ゾラが詩人であるというという点を見抜いているのです


印象主義が写実主義を母として生まれ、さらに超えようとした試みであるように

ゾラの自然主義と重なる本質的なところを、公爵夫人は自分でそれと知らずに言い当てています


彼は「制作(1886年)」という長編小説で、世に認められる前の印象派の若者たちの姿を描いています

モネの「死の床のカミーユ」という絵の前に立つと、その一シーンを思い出さざるをえません

主人公クロード…モネの名もクロード…は貧しさゆえに、幼い息子を失うのです   ↓ベルナールの挿絵

「クロードはいたたまれず、むやみに歩き回っていた。顔は痙攣し、時にあふれ出る涙を手の甲で拭った。小さな遺体のそばを通ると、どうしてもそこに目が向く。見ひらいた子どもの目が、異様な力で彼の心をひきつけた。はじめ彼はある思いに激しく逆らった。しかし迷いに迷ううちに、その思いは逆らえない執念になった。意を決すると、小さなカンバスを取ってくるのももどかしく、死んだ子を写生しはじめた。はじめはあふれる涙で視界がくもり、はっきり見ることもできなかった。それでも涙をぬぐっては、ふるえる筆を一心に動かし続けた。そのうち仕事への没頭が涙を乾かせ、手は確かさを取り戻した。彼の目の前にあるものは、もはや冷たくなった息子の姿ではなく、一個のモデル、情熱をかき立ててやまない課題だった。巨大な頭の輪郭、蠟のような肌のトーン、虚空を見つめる穴のような目は彼を興奮させ、燃え上がらせた。後ろへ下がり、じっと見つめ、時には作品に目をうつし、かすかすに笑みさえ浮かべた」


この小説はゾラ幼なじみセザンヌと訣別する原因を作った作品とされますが、

クロードはセザンヌ一人をモデルとしたものではなく

プルーストマネ1人をエルスチールのモデルに選んだのではないように

彼らの中にあるものを詩的精神で描こうとした傑作です


 オルセー美術館展2014 にはモネの作品も8点来ています

      そのうち2点は同一作品を切り離されたもの

目 これは画家の最初妻カミーユの死の姿(1879)を描いたもの

 彼は後にこう述べています…1928年

「こめかみに見入りながら、動かなくなった顔に死が刻印した一連の色合いが白に向かって調和するさまを、知らず知らずに求めていました。青、黄、灰、その他さまざまなトーンを無意識に探していたのです。永遠に分かれる人のイメージを、残しておきたいと考えるのはごく自然なことでしょう。しかしわたしは、愛した顔を書き留めようという思いが浮かぶより前に、色彩のショックに体がまず自然とざわめきだしました。そして意思に反して、日課となった作業に、意識することなく、反射的にとりかかっていました」

「オルセー美術館展2014」
     東京・上野の「国立新美術館」で開かれています
         火曜休館…月曜ではありません
  …ただし8/12,9/23(祝),10/14の火曜は開館・9/24(水)は休館
今回はマネ(1832-1883)の佳作が10数点も集まっていて
一度は彼のみを見るために行くつもりです

マルセル・プルースト
(1871-1922)の「失われた時を求めて」の
語り手の屋敷からは隣家へ続く2つの道…スワン家への道と、ゲルマント家へ向かう道があります

ユダヤ系の高等遊民であるスワンはブルジョア意識を象徴し
ゲルマント家は貴族意識を表していると言えましょう

スワンはフェルメールをこよなく愛し、研究書を書いている
この小説にはエルスチールというマネを思わせる画家が登場します
エルスチールはただ1人の画家をモデルに造形した人物ではなく
混同されないようにあえてマネ談義がなされ
他の画家…たとえばルノワール…による作品がエルスチールのものとして登場します
しかし作者はマネを思い出して下さいと言わんばかりの場面もあります

スワンはエルスチールをゲルマント公爵に紹介し、絵を購入させました 公爵はのちにこう語ります

「スワンはずうずうしくも『アスパラガスの束』まで買わせようとしました。あれは数日、わが家に置いてありました。画面にはアスパラガスの束しか描いていない。今あなたが口に入れている、それと同じ、ごく普通のアスパラだ。わたしはエルスチールさんのアスパラを食すなんて願い下げです。300フランという話でした。アスパラ一束が300フランですよ。初ものでも20フランがいいとこだ。固そうなアスパラでした」

ブルジョアに対比される貴族意識の代表である公爵が何ともお金に細かく
絵に描いたアスパラを現実と同一視するところがユーモラスでしょうしかしこれはマネの作品を想起させようと目論んでいるのです

マネの『アスパラの束』に画家がつけた値は800フラン
雑誌編集長であった注文主は1000フランを送ってきたので
画家はもう一枚『アスパラガス』を描き
「一本抜け落ちていました」と書き添えて贈りました

この都会的なしゃれたエピソードを
当時の読者は思い起こしたでしょう

プルーストはパリのユダヤ系知的グループで
この注文主と親交があり
訪問してこれらのアスパラガスを目にしたはずです
その「抜け落ちた一本」が今回来ています
              中学時代にわたしが憧れたのは
   『竹取物語』のかぐや姫かぐや姫と『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」でしたおじゃる丸

『風の谷のナウシカ』を見たのは大学生の時ですが、この「虫愛づる姫君」にインスパイアされた作品とは
つい最近まで知りませんでした。しかしいまだに宮崎作品の中で『ナウシカ』がわたしのナンバーワンです。