徳川家康が突如香木を求めた艶っぽい話しの顛末
歴史を長年追跡していると、思いがけない事例に遭遇することがある。
江戸時代の長崎で、南蛮船が撃沈されるという大事件が発生したのだ。
事の発端というのは、将軍家康が香木に関心をふと抱いたことがきっかけであった。
家康の周りに居る女性たちから要望があったのかも知れないのだが、おそらく彼女らへの贈答用に入手しようとしたのであろう。
慶長十三年 (1608)、幕府直轄領に隣接する大名有馬晴信は、将軍家康から突如香木である伽羅の入手を命じられ、買い付け資金として銀子六十貫目(千八百両相当)を託された。
いまの貨幣価値でいうなら、その額軽く数億円というところである。
江戸時代の長崎で、南蛮船が撃沈されるという大事件が発生したのだ。
事の発端というのは、将軍家康が香木に関心をふと抱いたことがきっかけであった。
家康の周りに居る女性たちから要望があったのかも知れないのだが、おそらく彼女らへの贈答用に入手しようとしたのであろう。
慶長十三年 (1608)、幕府直轄領に隣接する大名有馬晴信は、将軍家康から突如香木である伽羅の入手を命じられ、買い付け資金として銀子六十貫目(千八百両相当)を託された。
いまの貨幣価値でいうなら、その額軽く数億円というところである。
晴信はすぐさま朱印船をベトナム方面へ派遣したのだが、その途中ポルトガル領マカオに船が寄港した際に、酒場で南蛮船の船員との間で乱闘事件が発生して、六十名近くの日本人水夫が殺害された上に船の積荷までもが奪われてしまった。
まさしく外交問題に発展する重大事件である。
この事実が幕府へ報告されると家康は激怒し、その殺害事件に関与した南蛮船を討つよう晴信に厳命した。
当時、日本とポルトガルは南蛮貿易という通商関係にあったのだから、家康とて無関心ではおられないところである。
![ha](https://livedoor.blogimg.jp/seikotu23/imgs/2/4/24c904f1.jpg)
晴信は江戸より領国に戻るとマカオやルソン方面の南蛮の動向を独自に探り始めていたが、翌年二月突如としてこの事件の当事者であった船隊司令官アンドレ・ペッソア艦長が、武装南蛮船マードレ・デ・デウス号で商取引のため長崎に来航したのだ。
艦長本人が、まさしく事件に関与した者たちの上官であり、監督官でもあるわけである。
晴信はこの知らせが長崎から届くと直ちに迎え撃つための準備を始めた。
直ちに兵が集められると、戦闘員が七千名ほどが長崎に向かった。
同時に長崎港ではペッソア艦長と長崎奉行らとの交渉が進められていたが、交渉は進展することもなく積み荷の生糸の陸揚げ作業も中断されたままであった。
南蛮側は交渉が一向に進まないことに焦りと危機感とを覚え、ついに無風の長崎湾内から手漕ぎで船を脱出させようと試みた。
何らかの企みがあって、無駄に時間が引き延ばされていることに勘づいたのか、武人であるペッソア艦長は身の危険を察知していきなり湾内から逃亡しようとしたのだ。
艦長本人が、まさしく事件に関与した者たちの上官であり、監督官でもあるわけである。
晴信はこの知らせが長崎から届くと直ちに迎え撃つための準備を始めた。
直ちに兵が集められると、戦闘員が七千名ほどが長崎に向かった。
同時に長崎港ではペッソア艦長と長崎奉行らとの交渉が進められていたが、交渉は進展することもなく積み荷の生糸の陸揚げ作業も中断されたままであった。
南蛮側は交渉が一向に進まないことに焦りと危機感とを覚え、ついに無風の長崎湾内から手漕ぎで船を脱出させようと試みた。
何らかの企みがあって、無駄に時間が引き延ばされていることに勘づいたのか、武人であるペッソア艦長は身の危険を察知していきなり湾内から逃亡しようとしたのだ。
これを阻止すべく有馬の小舟が一斉に南蛮船を追跡し攻撃を仕掛けると、ついには両者の間で本格的な海戦が勃発する事態となった。
大砲を積んだ南蛮船と有馬軍との激しい戦闘は一進一退のまま二日間にも及んだが、南蛮船は湾の外に出る間際の戦闘中に誤って手投げ用の火炎弾が甲板に落下し、そのまま船上の帆に引火してしまった。
瞬く間に、大きく張られた帆は火炎に包まれた。
こうなると万事休すである。
帆を失い湾外への脱出に失敗したペッソア艦長は自ら船の弾薬庫に火を付けたことで、海上で南蛮船は大爆発を起こすと船体は真っ二つに割れたまま海中深く沈没してしまったのである。
このときの大きな爆発音は、長崎中を揺るがせて周囲に響き渡ったという。
家康の香料入手の為の海外との交易が発端であったのだが、ついには南蛮船とのきな臭い海戦にまで発展してしまったことは何とも意外であって、これこそが伽羅の香りを聞く度に思い出される知る人ぞ知る歴史的秘話なのである。
大砲を積んだ南蛮船と有馬軍との激しい戦闘は一進一退のまま二日間にも及んだが、南蛮船は湾の外に出る間際の戦闘中に誤って手投げ用の火炎弾が甲板に落下し、そのまま船上の帆に引火してしまった。
瞬く間に、大きく張られた帆は火炎に包まれた。
こうなると万事休すである。
帆を失い湾外への脱出に失敗したペッソア艦長は自ら船の弾薬庫に火を付けたことで、海上で南蛮船は大爆発を起こすと船体は真っ二つに割れたまま海中深く沈没してしまったのである。
このときの大きな爆発音は、長崎中を揺るがせて周囲に響き渡ったという。
家康の香料入手の為の海外との交易が発端であったのだが、ついには南蛮船とのきな臭い海戦にまで発展してしまったことは何とも意外であって、これこそが伽羅の香りを聞く度に思い出される知る人ぞ知る歴史的秘話なのである。
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