(*個人的に多重人格というのは興味のある分野で、悲惨さはありますけれども、個人的な興味のほうが強いです。すいません。多重人格については以前も何回か記事で触れまして、それも含め、個人的な意見も紹介しながら、記事の紹介とさせていただきます。最初に結論を書くならば、多重人格を形成しているのは、憑依だと思います。
ちなみに現在は多重人格という言葉は使わず、解離性同一性障害と呼ぶようですが、多重人格というのが正しいと思います。なぜなら憑依なので。霊などがのりうつることを憑依といいますが、まさにそれだと思っています。解離性同一性障害は次のようなことを言うようです。
「解離性障害は本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである。」
というらしいですが、ポイントは耐えられない状況で生まれやすい、ということと、感情や記憶が成長して別の人格となって現れる、ということ。
前者は正しいと思いますが、後者は違います。感情や記憶の成長がどうやって、女の人から男の人格が誕生するのですか?なんで人格が現れた瞬間に名前や、他国の言語・技術・顔の表情・病状なども変わるのですか?
どう考えても自分の感情や記憶の成長でできる人格ではない。
多重人格という言葉を使わなくった理由は、おそらく「隠ぺい」です。
解離性同一性障害なんて、もっともらしい言葉を使って、実際の多重人格というなんとも恐ろしい言葉を消したかったのでしょう。このあたりはもっと理解が深まった時にご紹介できればと思います。
ということで記事の紹介です。*)
ススキノの事件の初公判から解離性同一性障害の人を思い出す
報道そのものは、ススキノの頭部切断事件の初公判のものでしたが、まあ、私も札幌に住んでいたことがあって、札幌では頭部切断なんて日常茶飯事でしたから(いい加減にしろ)、事件そのものはいいんですけれど、まあ…同じような「自分の中に多数の人格が存在している」人との交流が以前ありまして。やはりお若い女性でした。
本人は、解離性同一性障害と診断を受けている(以前では、多重人格というもの)と言っていたのですが、本当にすごいんですよ。
その本人は「 5人が自分の中にいます」と言っていましたが、そのそれぞれが全部ちがう人格で(男も入っています)突然暴力的になったりするのですよ。
「これだと周囲は大変だなあ」と正直思っていましたけれど、本当に精神疾患的なものなのか、本当に「それを超えた何かなのか」は、わからなかったですけれど、映画エクソシストなんて超えているほどでした。
この容疑者の方も含めて、末は幸せになって下さいね。
娘に誓約書「私は奴隷です」“瑠奈ファースト”のいびつな家族関係 呼び方も父親を「ドライバーさん」母親を「彼女」 ススキノ頭部切断事件
HBC 北海道放送 2024/06/04
札幌ススキノのホテルで頭部が切断された遺体が見つかり、一家3人が起訴された事件で母親は、初公判で無罪を主張しました。法廷で明らかになったのは、いびつな家族関係でした。
世間を震撼させた事件の初公判。傍聴券を求めて、およそ360人が列を作りました。
きょうの初公判で、死体遺棄と損壊のほう助の罪に問われている母親の田村浩子被告(61)。罪状認否で「あまりに異常なことだったので、娘に対して何も言えず、とがめることもできず、認めることも何も言えませんでした」と述べ、涙を流しながら「犯罪を手伝う意思は全くなかった」などと無罪を主張しました。
また、冒頭陳述では瑠奈被告は、18歳の頃から「瑠奈の体には5、6人の魂が入って体を借りているだけ」と言い、自分のことを「ルルー」や「シンシア」と名乗るようになった。
(*多重人格。その実態は憑依だと私は思ってるので、「魂」という言葉は納得できるわ。1つの魂が1つの体を借りてるのが普通の人間だと思ってるけど、1つの体に対して5,6つの魂があれば、それは多重人格と呼べるよねって感じです。ちなみに、ルルーやシンシアというのは名乗ったというわけではなく、そういう名前の人格あるいは魂なので、自分はそうだと明言しただけで、瑠奈という人とは別で考えるべきだと思います。解離性同一性障害という間違った呼び方はやめていただきたい。)
両親に「瑠奈」と名前で呼ぶことも許さなくなり、父親を「ドライバーさん」母親を「彼女」と呼ぶようになった。
(*母親を彼女と呼んでいるということはこの人格に関しては、男でしょうね。ただあと数人の実態は不明ですね。)
また、浩子被告は瑠奈被告に「私は奴隷です」という誓約書を書かされ、リビングに飾られていたなど家族の中で瑠奈被告が圧倒的な上位者で、文字通り「瑠奈ファースト」のいびつな家族関係が明らかにされました。
(*常識では考えられないけど、もともとの子供じゃない多重人格だとすると可能だと思う。全くの別人が体を借りてる状態ですので、例えば力が強い男の人格がいた場合、従わざるを得ないよね。その場合、腕力もちゃんとあるはずです。また多重人格と判明するのは、逮捕されてからというパターンも多いので。そして多重人格になる原因は、ほとんどの場合子供の頃の虐待などです。父親から受けてた?あくまで推測です。あるいは学校でのいじめもその引き金となる可能性もあるかもしれません。)
次回の裁判は、来月1日です。
ススキノの事件の初公判から解離性同一性障害の人を思い出す | BrainDead World (nofia.net)
関連)
いまのところ、多重人格を形成している理由としてもっとも可能性が高そうなのは、 「憑依」。
ほかの意識or意識体or霊体or(魂) が一つの体に宿るというものです。
憑依する理由は、その自我(自意識、人格、精神?)が弱まっているため。
多重人格になる要因のほとんどは虐待であるようです。
なので本編でもたびたび、人格が「誕生」したと述べられています。
人格は基本的に形成「される」ものですが、 本編ででてくる人格はすでに「形成された」状態で「誕生」(出現)してますので、 憑依という言葉がしっくりきます。
多重人格を形成しているのは「憑依」では? 【多重人格】意識と肉体の真の関係とは?
先ほどの骨髄移植のブログ記事を書いた後、メルマガの読者様からメールをいただき、その方のお知り合いが骨髄移植をして、病気は完治しましたが、
「その人はまったく別人になってしまいました」
という内容の経験をお知らせいただいたことがありました。
特に、考え方や趣味や教養が、以前とはまったく違うようになってしまったと書かれていました。
(*多重人格もそうなんだよね。似てる部分がないんだよ。人は同じだからその人の顔は同じだから遠目には違いはわからないけれども、近くで見ると眼とかも違うんだが、それは脇においても、考え方や趣味や教養などが明らかに違う。技術までも使う言語までも違うことがあるのが多重人格。どう考えても自分で作り出せるものじゃないんだよ。だから、多重人格の原因は「憑依」だと思ってるけど、別のDNAということもあるか?憑依ってある意味別のDNAの介入のようなものかもね。)
人格が変わると自分の知らない言語や技術を使い出すと言うのは不思議です。過去に少なからず見聞きした経験の断片がある時閃きのように発揮されるなら分かりますが、脳内記憶のどこにも存在しない知識を発言させると言うのが謎です。あと体質まで変わるというのも不思議。
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