双龍門記随録 掌門の一日 -2ページ目

「My Number」制度は徴兵制の準備段階って知ってました?

以前にMy Number制度について徴兵制の準備のためのものだと強烈に反対したら、皆さんは「あんな便利なものをなぜ反対するの?」と言って反発されましたね。
便利なのは政府の方で私達ではないです。全ての私達の情報を握ってハガキ一枚でいつでも好きな時に召集できるからです。

今 My Number制度を拒否するとどうするって言ってますか?

そうです、逮捕して懲役だ と言ってます。もうこれは徴兵制度なのです。

さらに阿部内閣は「戦意のない第三国に対しても攻撃できるようにする」と言ってますよね。もう憲法がないかのように歯止めが効きません。
こうなるとアメリカの言いなりです。

皆さんよく考えましょう。どうしたら、徴兵制をやめさせられるのかを!!

自分の人生をどうして行ったら良いかわからない方達の為に

いやあ世の中こういう方達が実際に多いのにはびっくりしますね。

しかもそういう時ってどうしたら問題を解決できるのを誰も教えてくれない。そういう状況って本当に困りますよね。

で 昔のひとは占術を活用したんです。

「自分を知る」が一番難しいことを昔のひとはよく分かっていたんですね。

御自分の生年月日時からあなたの特徴や癖 職業上の適正を傾向として判断します。そして対応策を出すことができます。非常に便利ですよ。


「修羅の門」と四柱推命について

かなりの方からよく「修羅の門」ではこうなるって言われたのに四柱推命ではどうして回答が違うのですかと問いかけられます。

しかし、私は真田孔明氏の「修羅の門」と全く関係ないので何も言えません。ただ、あれはビジネスツールで一切占術と関係ないものです。

占術には必ず基準となるイベント(基準点)がありそれを元に「数術」を展開します。例えば生年月日時などがそうですね。

しかし、ただ設問に答えることで作成されたものにはこの基準点がありません。
これではただあなたの願望だけしか反映されていないので、これを基準にして何かを観ることはできません。

四柱推命は中国の歴史のなかで培われた知恵を駆使して個人の人生の傾向を観ることのできる占術です。

しかし、「修羅の門」は真田孔明氏により作られたもので占術とは全く無関係です。

お間違いのないようにお願いいたします。

感謝って自然に現れるもの

感謝って自然に出てくる表現だと思う。
何度も死に直面するようなことに見舞われてそれでも生きていられたりすると自然に口にでる言葉は感謝の言葉だ。

天と地の間に人がいる!!

これこそが中国文化の本当の基礎になる考え方だ。

自然と人は一体であり共存すべきものだということ それを無視するようなことは無用な争いを生む これを避けるためにする行為が挨拶であり、礼儀作法であったりする。ヒトは決して一人では生きられない。だから助け合いが必要だ。農耕は一人では出来ない。だからこそお互いに感謝し合って助け合ってこそ豊かな実りを得ることができる。

感謝することは生きることだと私は考える。

東洋の教育システム(公学と私学)

日本や中国を初めとする東洋の国々には古くから独自の教育制度が存在しました。
中国では唐代(620年頃 日本は奈良時代)には国立の医科大学や大学附属病院も有りました。この大学に入学するにはそれはそれは難しい入学試験を突破しなくてはならず、その為の多くの予備校が存在した程です。日本からも有名な最澄や空海と言った人がこの試験に挑戦しました。が、失敗して断念して帰国しました。こういった大学を初めとする学校制度は世界中に普及しました。また、公が認めた制度だけに信憑性も高く、これが免許制度にも繋がっています。
これが公学ですね。
ただ今も昔も公学はあくまで基礎であって、決して真髄を極めるためのものではありません。

さて、私学というのは茶道や生花などのように個人またはある団体が独自にその技を継承して教育いくものです。こちらは内弟子となって師匠と寝食を共にしながら、その実践的技術を身につけていくものが主体です。しかし、そこまでしないで学生生徒として自分がどこまでできるか試すことも多く行われています。いわゆる外弟子制度ですね。
私学では内弟子に師匠が手とり足とり教えてくれる訳ではありません。自分から師匠に頼み込んで教えを乞うことをしないと到底師匠の真の実践的な技術(奥義や秘伝など)は身につきません。しかし、一旦その技を身につけてしまえば、その道の達人として世間を渡っていけます。

だから、中国では「公学出て半人前、私学を修行し終えてやっと一人前」と言われています。

今後公学と私学の交流が進み、私学であっても5年10年と修行した方には様々な免許試験の受験資格を与えるなど出来るように私共は活動していきます。それこそがより良い社会を築く道だと考えています。




御挨拶 これからの私共の動向について

こんにちわ 黄龍英です。

最近「黄先生(グランド・マスター)はどこに今おられますか?」という質問を良く受け取ります。確かに予定では7月7日前後でジョホールバル(マレーシア)に帰るはずでした。しかし、思いの他難治病で悩んでおられる方が多く、「先生にはジョホールバルに帰ってきて欲しいけど、これだけの方が先生を必要されているのだから、しばらく日本に留まってください。」と真田孔明氏にも言われて、難治病の治療に専念することにしました。
今後はどうなるか、皆様御心配されていることでしょうね。
難治病の治療には大変な時間がかかります。引き受けた限りは責任上そう簡単に長時間ここ東京を離れる訳にもいきません。ひとまず年内は東京におります。施術も続けてしております。もし、これから私共の施術を受けたいと御希望される方がおられましたら、どうぞ予約担当者のお申し付けください。かなり予約状況は混んで居りますので、お急ぎの方はお早めにお願いします。
では皆様の御健康が健やかになりますように!!
またお会いしましょう。

「修羅の門」はビジネスツールです。

真田孔明くんのビジネスツールの「修羅の門」は双龍門四柱推命はとは全くの別物です。

あれはすぐれもののビジネスツールです。

しかし、占術とは関係ありません。四柱推命の用語も使っていませんし、全く違うものです。本人もそう言っています。
ただ、用神の取り方で素人目には似ているのではないかと思われることはありますね。でも、用神はそのひとの能力をその資質から引き出すために取ります。だから、日本の四柱推命ののようにその方の資質と格局だけ出せば良いとして対策しないものとはかなり違うように見えますね。
でも、対策をしてあげないのは不親切でしょう。だから、可能性を引き出してあげられるようにしています。
それで御不満な方もおられるでしょうが、これがうちの双龍門流の四柱推命のなのです。

術というのは

古来よりおおよそ「術」というのは
元になる理論がしっかりしていて、
それを長い間かかって修練したのちに得られる
「勘」「ひらめき」などが
理論と同じ程度実践的につかえようになってはじめて
「術」と呼べるものです。

そして占術であればそれの理論に暦が関わってこないとちゃんとした理論とは言えません。暦が理論の基礎にないものは占術とは言えません。暦と関係がない、「ただ自分の考えたもの感じたものを書き込んでいっただけでは意味がない」のです。
それは術ではありません。

皆さんはどう考えますか?

ALSを馬鹿にするのは止めてください。

いつも思うけど、寄付と言いながらただのいじめにしか思えないことを平気でやる。これってその人たちの本当に役に立つと思ってやってるのかかなり疑問だ。

こういうことをしている暇があったら、医学の研究にもっとチカラを注ぐべきだと思う。

こういうことにはかなり怒りを覚えます。

肝腎とお金儲けの話し

どうも昔から日本人は変な考えがあるように思います。
それは医者という者はお金儲けと関係ないとか、お金儲けと健康は関係ないと思っているようです。

でも、実際は肝腎が強いひとほど、お金儲けがうまいですし、お金儲けができるひとほど、肝腎の健康に気を付けています。
肝腎に力強い感じがしないとひとは寄ってきません。
肝腎が強いと自然とひともお金も集まります。

非常に才能も能力のあり、協力者も支援者もいるのに体が悪くて活躍できない方が多過ぎます。大変残念です。
皆様からだ(健康)とお金儲けはひとつです。決して分けて考えないでくださいね。