エゴを超えた先。 | 算命学KENの滋賀でのnote。

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こんにちは!

 

昨日「死後の世界」という怪しいセミナーに行ってきました 笑

全然怪しくないですよ。魅力的な方のセミナーです。

 

死後の世界ってあるのでしょうかね?

死んだらどうなるんだろうか?生まれ変わりはあるのか?

 

普段は考えないのですが、ふとしたきっかけでそういうことって考えることがありますよね。

死後の世界なんて死んでしまえば分かることだから、別に知る必要はないのではないかとも思ったり。

 

でも、知ることできっと今生きていることの何かが変わるような気がします。

 

講師の方は臨死体験で、3回魂が抜けたそうです。

そこでみたものは全部共通していることだったそうなので、これはもう確実だ!!となったそうです。

 

聞いたお話だと、

キラキラ万華鏡のような、この世と思えないくらい鮮やかな筒のような空間を上昇するのですって。

そしてその先に、光の玉がいくつもお出迎えしてくれるのだそうです。

光だけど、光という存在。いくつもあるけど、それは全部一つであるという確かな感覚があったそうです。

 

そしてその先は、太陽が海に差し込んでいるようなキラキラした水面が見えて、その奥は真っ白な光が立ち込めているのだそう。

 

きっとこの海みたいなのが三途の川と呼ばれるところなのだろうと直感したそうです。

ここを渡るともう戻ってこれないんだなと思った瞬間に、急に重力を感じて、現実の世界に帰ってきたそうです。

 

不思議な話ですね!テレビで見る臨死体験の映像とほとんどそのままだそうです。

 

エゴって体に付いている一種の防衛本能のようなもので、自分を守るための道具。現実で生きて行くために体に染みついている物だそうです。

 

だから、魂が抜けると体を脱ぎ捨てることなので、そのエゴも無くなってしまうのだそうです。結局、その魂が抜けてどんどん上に上がっていけば行くほど、エゴが全く無くなって行くので、これは好き、これは嫌いはあるけれど、それによる喜怒哀楽が無くなってきます。嫌いだな〜、好きだな〜みたいに淡々と可もなく不可もなく状態に。すると、好きで執着することも、嫌いで戦うということもしなくなり、怒りや未練、好きで興奮もなくなり、結局、愛、祈り、調和、平和の感情しか残らなくなるのだそうです。

 

なるほどなーと思いました。

エゴってなんなのだろうと思っていましたが、なんとなく感覚でわかりました。

自分ということがエゴなんですね。

自分の肉体がエゴなんだなって。

 

「顔がブサイクだから、かっこよくなりたい」はエゴ。

「美しいものが好き、こういう服が着たい」はエゴじゃない。

「モテたいから体鍛えよう」はエゴ。

「女性が好きで好きでモテたい」はエゴじゃない。

「親が社長だから同じ会社を継いだ」はエゴ。

「親の仕事が格好良くて継いだ」はエゴじゃない。

「老後不安だから、お金持ちになりたい」はエゴ。

「お金が好きだからお金持ちになりたい」はエゴじゃない。

 

そういうことかな?

うん。きっそういうこと。

全ての欲がエゴというわけじゃない。

エゴとは、自分の肉体を通して体験したことで、

肉体ありきの思考。

 

現実が魂の修行の場だったとしたら、

エゴを超えた先にあるものを見つけないとダメなのではないか。

 

ボランティアをすることが良い。

人を助けることが良い。

感謝することが良い。

 

確かにすごく大切で、やれば人のためになり、世界は平和になっていくと思う。

でも、そう思っているだけじゃ本当の自分には出会えない。

自分の肉体が世間の考えを当てはめて考えてしまっているから。

 

人の喜ぶ顔が見たいからボランティアをする。

自分一人で生きていけないことに気づいたから感謝。

難民を助けたいから国際ボランティアに参加する。

 

自分の魂の部分に出会い、それを使って世の中に貢献して行くことがきっと大切なのだと思いました。

だからこそ、自分を知ることはすごく大切なのだと。

 

まずは何が好きで、何が嫌いで、何が心地よいかを知ることから。

良いエネルギーに囲まれることで、自分がそれにつられて良いエネルギーになるのです。

 

KEN