過去を文に書き起こす事の恐ろしさ | Ken J. Hidaka(ケンジェイ ヒダカ)「万年音楽日和」

Ken J. Hidaka(ケンジェイ ヒダカ)「万年音楽日和」

音楽クリエイター、Ken J. Hidaka(ケンジェイ ヒダカ)の
日記。

先日、とある方から「過去の傷を文に書き起こしてご覧なさい。」と言われて、実行した。

するとドンドン自分の傷をほじくり返しているような感覚に陥り、遂にグッタリと寝込んでしまった。

その後唯一信頼していた人の所でその事を話したら慰められるどころか貶されてしまった。

無論、その日を持ってその人とは縁を切った。

帰宅後、気が付いたら部屋中の物を破壊して涙を溢しながら叫び散らしていた。勿論素面で、だ。

小学5年〜6年まで2年間、肉体的、精神的虐待を担任から受けていた。クラスメイトの前でハサミを喉に突きつけられ「次は本当にやるからな。」と脅され、ある日はクラスメイトの前に呼び出され指をミシンで縫われた。またある日喘息発作が出たら「お前の咳がうるさくて迷惑だ。白痴の上に咳までするのか。帰るか咳を止めるかどちらかにしろ。」と罵倒され、幸い咳は止まったが、すると水飴みたいなものを投げつけてきて「これでも舐めておけ、この魯鈍が。」と更に貶された。これらもクラスメイトの前でだ。そして毎日のように「お前は本当は養護学級で居なければならない白痴なのに通常のクラスに置いてやってるだけなんだぞ。このウスノロマが。」とそれもクラスメイトの前で言われていた。

日に日に私は「どうやったら死ねるかな?」と考えるようになっていった。首を吊るか、高層ビルから飛び降りるか、手首を切るか、電車に飛び込むか、選択肢を探していた。僅か小学6年生でだ。

しかし勇気が出なかったので、多忙なキャリアウーマンだった母に申し訳ないとは思いながらも思い切って「こういう事をされてきた。もう死にたい。」と初めて打ち明けた。さすがの母も血相を変えて学校に夕方行って担任に訴えてくれた。その時担任は「あら、それは申し訳ない。明日、彼に謝ります。」と言ったそうだ。安心して母は帰ってきて、翌朝私も「これで解決かな。」と少し穏やかな気持ちで学校に行った。待っていたのは「理不尽な仕返し。」だった。「今日は授業を一部中断して、みんなに話がある。このヒダカという子の母親が昨日の夕方学校に来て、"ウチの子が先生から虐待を受けてきたと言っています、死にたいとまで言っています"と"嘘"を母親についていたようです。もうヒダカは人格破綻者です。今後、コイツを信じないように、みんなも気を付けなさい。この子は生きていても無駄で、ダメ人間なんです。」とクラスメイトの前で"嘘つき呼ばわれ"までされ、全人格を否定されたのだ。僕はその日以来、「どうやってあの担任を殺そうかな?」と考えるようになった。踏みとどまれたのは、両親や姉の顔が浮かんだからだ。

父親は早朝から夕方までの忙しい仕事をして帰って来たら完全に泥酔していたから力にはなってもらえなかったし、母親は夕方から深夜まで働いていたから聴いてもらえるチャンスもなかったし、姉は実家を出て海外で働いていたり日本に居ても大阪に戻って来られる余裕など無かった。そんな中で私は担任からの虐待に耐え、自殺と殺害を回避した。

その後も色々な事があって書くのも苦しくなるのでこれだけに留めておくが、現場にいたクラスメイトや虐待していた担任本人は忘れている可能性が大きい。しかし被害者は、例えば私は45歳だが未だにその頃の夢で汗びっしょりで目が覚める事があるし、体がゴツっとした50代半ばの女性(担任の当時の容姿と年齢)に出くわしただけでビクッとなる。そして

「いつか必ず正しい清らかな方法で見返してやる。」という思いで今日まで生きて来た。

「過去を文に書き起こす事。」は 清らかな5〜6年生の頃の眠っていた怒りを再び呼び起こしてしまうという事に今回気が付いた。これを読んでいる方も、過去を振り返って書き出す事を勧められた時は1度立ち止まって欲しい。

今回の私のように逆に精神が壊れてしまうリスクがあるからだ。お気楽に生きて来られた連中が言う「前だけを見て行こうよ。きっと素敵な未来が待っているよ。」という言葉が私は大嫌いだ。「汝に己の何が見透せたと言うのか?」と非常に不愉快な気持ちになる。過去に沢山の精神科を転々としたのも、そういう無責任極まりない発言でその場しのぎをし、大量の薬を盛ってくる医師ばかりだったからだ。今の先生には本当にお世話になっているし感謝しているが、出会うまでに20年ちょいを要した。

私がいずれ過去の呪縛から解放された時に同じように悩みを相談されたら、こう言うだろう。「大好きな事を何か1つでも良いから見つけて、それを磨くだけ磨いてその1つだけは誰にも負けない、もしくは周りには自分より上は居ない、という物にまで完成させて見返してやりなさい。」と。過去の傷は許す許さないなんかでは克服は出来ない。1つ、もしくは2つ道を極めるために一意専心し続けた先の達成感、目標を叶える事が唯一の克服法だと確信している。皆さんも、私と同じように形は違えど、きっと傷はあるはずだ。だからこそ、お互いに目標を達成させて、それぞれの"悲しくて苦しくて耐え難かったあの頃"の恨みを晴らしてやろうではないか。

その時初めて、心から微笑んでいる自分に私達は

また出会えるはずだ。まず一歩、一ミクロでも良いから"昨日より優れた自分"を目指して参りましょう。