今日の大成功の素(名言)の話 の中で、カーネル・サンダース
おじさんの話を書きましたが、やはり、すごい人物ですので、
別枠を取って彼の話を書こうと思います。


ケンタッキー・フライド・チキン(以下KFC)の創始者である
カーネル・サンダースは、1890年9月9日、アメリカの

インディアナ州で生まれました。


カーネル(Colonel)というのは、本名でも軍の大佐のこと

でもありません。本名はハーランド・サンダースと言いますが、

1935年に後に、その当時経営していた小さなレストランで

きめ細やかなサービスをしていたことが評価され、

ケンタッキー州に貢献した人に与えられる名誉称号

「ケンタッキー・カーネル」が与えられたのです。


※ケンタッキー・フライド・チキンの「ケンタッキー」はここから
きているのですね(^^)。


父親が若くして亡くなったため、彼は母親を助けるために

6歳で料理を始めました(私の長男と同い年!逆境は

人を育てるのですね)。このとき下に3歳の弟とまだ

赤ん坊の妹がいたため、毎食の料理を作っているうちに、

料理がうまくなっていきました。


家を助けるために10歳から農場で働き始めた彼は、

学歴らしい学歴はなく、小学校卒業の証書だけでした。

その後、電車の車掌、軍人、消防士、タイヤ売りなど、

40種以上の仕事につきます。


30歳のときに、石油会社の支配人から勧められて

ガソリンスタンドを始めて独立しますが、大恐慌により

ガソリン代の回収がうまくいかず、結局スタンドは潰れて

しまいます。挫折の連続の半生を過ごしますが、

彼は決して心を挫くことなく、何度でも立ち上がって

いきました。


1930年6月、40歳のときに、ケンタッキー州のコービン

という場所で、ガソリンスタンドの物置を改造して6席だけの

小さな「サンダース・カフェ」を作りました。これがうまくいき

お店は大繁盛し、やがて数年もしないうちに、ガソリンスタンド

の向かいに142席もある大きなレストランを作り、州内でも

評判の店になります。


そして1935年、州知事から名誉称号「カーネル」をもらった

のです。このお店の目玉があのフライド・チキンでした。


ところが、うまくいっていたお店も、20年が経った1950年の

初めに高速道路ができ、車の流れが変わってしまったために、

コービンの町にあまり車がやってこなくなってしまいました。

60歳になっていたカーネルは、お店をたたむ決意をすることに

なります。


そして実際にお店を手放し、負債をすべて支払った彼の手元

には、ほとんど財産はなく、年金だけで生活しなければならなく

なりました。そのときに手元に唯一残っていた財産が、

「フライドチキンのレシピ」だったのです。


そのとき奥さんの「コービンに人が来なくなったのであれば、

人のいるところに売りにいったらいいんじゃな?」という言葉を受け、

様々な町に行き、そこにあるレストランを片っ端から回り、

フライドチキンのフランチャイズ・ビジネスを始めようとします。


65歳という高齢に加え、財産も、自分の仕事を支えてくれる

スタッフもいない状況で、すべてを自分でこなさなければ

なりませんでした。ワゴン車に自慢のフライド・チキンを乗せ、

訪れるレストランで試食をしてもらい、気に入ってくれたお店に

フランチャイズになってもらい、レシピを無料で教える代わりに、

売れたチキン1羽につき5セントを受け取る契約をしようとしました。


このフランチャイズというビジネス手法はなかなかすぐには

受け入れてもらえず、行く店、行く店で断られ、ようやく最初の

契約を1952年にユタ州のレストランで結ぶまで、実に1009軒

ものレストランを回ったのでした。


その後は、彼の不屈の精神でこの手法が広がり、約10年間で、

チェーン店は600を越えていました。このときカーネルは73歳に

なっていました。ビジネスが評判になり始めた頃テレビに呼ばれ、

冬だったのですが、テレビに出るときに失礼のないように、

持っていた夏用の白いモーニングを着て出てしまいました。

これが現在のトレードマーク、白服のカーネル人形の元となりました。


1964年、74歳のときに店の権利をジョン・ブラウン2世に

売却しますが、役員として会社に残り、ブラウンウンの商才も

合わさり、1969年には世界中に3,500ものフランチャイズの

お店を持つまでになりました。(現在は9,000店あるそうです)


カーネル・サンダースは、1980年に白血病でその波乱の90年の

生涯を閉じましたが、それまで「人を幸せにすることに引退はない」と、

ビジネス、慈善活動、基金を作ることに東奔西走し、リタイアする

ことはありませんでした。


彼の人生を読むと、ケンタッキー・フライド・チキンに入るときに、

気軽にあのサンダース人形の頭を叩いていた自分が恥ずかしく

なります・・・(^^;)。


「フライドチキンのレシピ」一つしか持っていなかった

カーネル・サンダースが、あれだけの業績を残せたのです

から、きっと私たちも「今持っている小さな何か」で、

とてつもないことができるのかもしれません。


彼の人生は、私たちにいつも、その可能性の扉を開いてくれています。



★カーネル・サンダースの生涯を映像で見たい方はこちら


< ※KFCのホームページにある公式映像 です。>



★英語で彼の話を読みたい方はこちらをクリック


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■カーネル・サンダース関連の本


カーネルの伝記


藤本 隆一

カーネル・サンダース―65歳から世界的企業を興した伝説の男

彼の人生をより詳しく知ることができます。また、心にグッとくる

彼の言葉も数多く載せてあり、自分の人生に生かせる多くの

ことが学べることおでしょう。


中尾 明
ぼくのフライドチキンはおいしいよ―あのカーネルおじさんの、びっくり人生

この本も、彼の人生について詳しく書いてあります。

こちらの本の方が少し新しい(2002年発刊)です。

どちらも在庫が少ないので、在庫がない場合は、

マーケットプレイス(中古本)を見てみてください。



↓英語で書かれている本です


カーネル・サンダース

Robert Darden

Secret Recipe: Why Kfc Is Still Cooking After 50 Years


Book Description:
An American icon celebrates 50 years because Colonel Sanders and Pete Harman put people first, implemented an urgency for excellence, and paid attention to every detail of their restaurant business. These business secrets and practices are written in an easy to read story that in engaging and a delite to anyone interested in growing a business.