市長の口のきき方が悪いとか
職員の先送りが悪いとか
誰か悪いかという話になっていますね。
まあそこは任せるとして、
なんだか懐かしい話です
サラリーマン時代は
「成績とってこい!」
っていつもあんな感じだったな〜
(遠い目)
さすがに保険会社だったので
「火つけてこい」とか
「燃やしてこい」とかは
言われませんでしたが、
生命保険会社ではなかったので
「命がけで取ってこい」とは言われました(笑)
怒られているうちは
よかったのですが、
自分が課長になった時、
「ああ〜自分にはこれはできない」
と思ったのを思い出しました。
↑
できない理由が自分の信念と違うからできないなら多少はカッコいいのですが、
動機の大部分は
成績を達成することが
「自分が信じていないこと」
「自分が迷惑がられること」
になるからでした。
なんだ〜
職員の先送りとなんら変わりません。
だから全然カッコいい話じゃあないんです。
で問題の本質は
そもそも何の為にそれをするのか?
で、なんのためにするか
「世の中のため」と言われても
↑
世の中なんか関係ないと言われるかもしれません
で、役所の人も個人的な能力は高いはずで、7年も進まないこの案件はもう職員個人レベルを越えています。
つまり今までのやり方ではムリなのです。
立ち退かなかったひとは立ち退かない理由があるし、
正しさがあります。
やりたいゆうやつがやるしかありません。
市長なり部長なりが行って
あかんかったら
知事なり社長なりが行くしか
ありません。
でそれよりも怒るほどの熱意のある人しかできない。
つまり怒ったあなたしかできない!
そんなもんじゃないかな〜