生田の論理 -7ページ目

ショッピングモールに隠された真実

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ショッピングモールは実にユーモア溢れた場所だ。別名ショッピングセンターとも呼ばれるが、ここはファッションや雑貨店など数十店の個別の店がズラリと横に並んだスタイルの建物である。僕はこのショッピングモールの空間が実に大好きだ。周りを見渡せばどこまでも続くような道のり。もし自分が3階にいても2階もしくは1階にいる人たちを見渡すことが出来るユーモアな構造。建物の中なのに一瞬屋根のついた外にいるような錯覚を思わせるような雰囲気(極論ではあるが)。そう言った部分が良い。百貨店や量販店の建物とは決定的に違う部分ではないか。僕はこのショッピングモールの最大のメリット、すなわち良いところは何かを考える。店員さん側の視点、お客さん側の視点。様々なベクトル方向で考えた末導かれた結果、メリットは道にあるベンチや椅子の存在。もしくはベンチや椅子に座って休憩をしているお客さんたちが醸し出すオーラ。という結論に至る。ショッピングモールにおいて、物事を「静」と「動」で大別した場合、「動」の表現は買い物をしているお客さんたち、もしくはそれらを売っている店員さんたちが存分に発揮されている。お客さんたちは自分の買う物で何が良いかに必死になるし、店員さんは売り上げ貢献のために必死になっているはずだ。しかし楽しいショッピング。安らぎという表現がほしい。そこで今度は「静」の表現はどこに存在するかを考える。もうおわかりのようにそれが椅子の存在、もしくはそこに座っている人たちのオーラである。僕はお客さんの立場であるから厳密には次の表現は正しくないのだけれども、もし店員さんでもお客さんでもない第3者の視点で物を見れば、この2つの表現が非常にショッピングモールの空間を素晴らしいものに引き立てているように見える。まさに「静」と「動」の和集合である。和集合。すなわち「静」の部分だけ、もしくは「動」の部分だけ、もしくは「静」と「動」の両方のイメージがショッピングモールにはあるということである。ショッピングモールは実にユーモア溢れた場所だ。

事実は小説よりも奇なり

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小説は好きだ。活字から読み取ることによる情報源は計り知れない。小説ではフィクションがほとんどであるが、作り物であるからといって現実世界になんの関係もないと言ってしまうとそれは偽である。単に物語を理解するだけでなく、作者の考え方。または作者が読者に伝えたいこと、すなわちメッセージというものが小説には込められているのではないか。それを読み取る楽しさが良い。もちろん仮想空間である小説を読むことにより、日常的ストレスを発散するために小説を楽しむ。という楽しみ方も良い。僕はちょうど1年半前くらいから小説がスキニーなってきた。大学の友人である袴田類くんが「小説面白いよ。」という単純な一言が僕に小説の楽しさを分からせてくれた。ありがとう。たまには内容が全然理解できない小説もある。しかしそれはハズレと考えるのではなく、自分にはまだ理解できない作者の考え方、捉え方もある。というふうに考える。速読術を身に付けたいと思っているがなかなか身に付かないものだ。読むペースはゆっくりだがこれからも小説を楽しんでいくことにする。小説は好きだ。

車内空間

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車の中というものは実に異空間である。車を走らせれば車内の景色は変わらずとも周りの景色が変化する。電車や船などももちろんそうであるが、自由に移動すると言う観点から見ればやはり車が一番適切な表現であろう。エコノミーの観点からみれば車という存在はマイナスのイメージをもってしまう。確かに排気ガス、環境問題、地球温暖化などの問題は切っても切れない問題だろう。それらを克服するためにエコバイクという素晴らしい乗り物が存在する。しかしたまには車内の異空間を楽しむというのもありではないであろうか。最後の表現は非常にパラドックス的な表現であったが。それにしても、車の中というものは実に異空間である。