あなたが立派な子供として、親の言うことを全て聞ける人になったら、親の役目は簡単である。
何しろ親の言うことを全部聞くのは大変である。
親が分別ある立派な人なら、それほどの難易度はない。
それでも大変である。
親が分別のない獣のような人格であることもある。
この親の言うことに真正面に向き合うのは、聖人君子の所業である。
と言うことは親の言うことを全て聞ける人は、聖人君子に大きく近づく。
あなたが聖人君子に近いなら、子は自然と聖人君子に育つ。
聖人君子の子は、世の理(ことわり)を理解し、手がかからない子供だ。
あなたの親力も相当に上がっている。
年老いた親は子供と同じである。
手がかかり、わがままである。
その親の言うことを落ち着いて聞けるなら、手がかかる子供の悪行も、落ち着いて見守れるはずだ。
子の悪行の中に、その子が欲しい宝を見つけられる余裕すら出来る。
危険な行動も、小さな怪我ならあえて経験させる余裕。
見守り力こそが親力の見せどころである。
実際に最後までさせてみて、感想を聞いて、優・良・可・不可の評価を子供に与えると良い。
その評価理由も与えることで、子供の判断力が磨かれる。
そして何より恐れずに行動する、勇気ある人を育てることになる。
子が無気力で反抗的なのは、親が子供の行動を縛って妨げるからである。
子供がやりたいことを妨げて、自分の方に向かせようとする教育こそ、子供を無気力にする最大の原因である。