日本語教科書で知ったソーシャルキャピタルという概念 | けんじいのイージー趣味三昧

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 今学期の初めに「一番上の方のクラスの担当になり、レベルの高い新しい教科書の第1章がいきなり「アメリカの労働者はなぜトランプ大統領を支持したのか」から始まっている」と書いた。最後まで読むと実はそれが本旨ではなく「グループ化は人間の本能」という話だったが、第2章も「「多文化共生」は寛容な社会を作るのか」と難しいテーマを扱っている。学生に議論させるためにこちらも大いに予習が必要だ。

 

 

 第2章を簡単に紹介すると、次のような内容である。

(1)社会学の「ソーシャル・キャピタル」という概念は、日本では「社会関係資本」と訳され、ある社会に所属する人々の人間関係の充実を生み出すものを指す。やや具体的に言うと、「人々の協調行動を活発にすることによって社会の効率性を高めることのできる「信頼」、「規範」、「ネットワーク」といった社会組織の特徴である。」

 

 政治学者のパットナム(下)は、1990年代のイタリア地方自治体の研究を行い、市民がお互いを強く信頼し、様々な団体活動を作って活発に交流している地域ほど行政がうまく機能し、市民の満足度も高いということを発見した。

 

 

(2)ところでソーシャル・キャピタルと移民の増加による民族的多様性の拡大との関係には、従来次の2つの理論があった。①コンタクト理論・・・偏見が取り除かれ、異質なグループに寛容になる一方、自分のグループへの愛着は希薄化する。②コンフリクト理論・・・不快感や偏見から異質なグループに不寛容になる一方、自らのグループに対する忠誠心が高まる。方向は反対だが、共通するのはその相反性である。

 

 

(3)しかし、2007年にパットナムが発表した論文はそのいずれも否定した。すなわちロスやサンフランシスコなど、人種多様性の高い地域では、自分と異なるグループの人々を信頼しないだけでなく、自分と同じグループの人も信頼していない一方、住民のほとんどが白人のサウスダコタ州の田舎町では、黒人やヒスパニック、アジア系に対する信頼感は他の都市よりもずば抜けて高かった。つまり、多文化共生社会では、ソーシャルキャピタルが縮小し、人々の幸福度や生活満足度が低下すると言う。

 

(4)だが同時に彼は「集団のアイデンティティーは習慣的に構成されたものであり、普遍なものではない。長期的には多様性がより寛容で活気溢れる社会を作り出すことは間違いないものの、少なくとも短期的には多様性がむしろ人々を不寛容にする可能性があることに留意しながら、相互理解に時間をかけ、じっくり取り組むなど、長期ビジョンを持つことが必要だ。」としている。

 

 けんじいには、この最後の部分はいかにも無理をしている(何の根拠もなく、「長期的には多様性がより寛容で活気溢れる社会を作り出す」と自らの研究結果を否定している)ように思うが、けんじいが悩むのはその後の授業の進め方だ。

 

 この日の課題は「ソーシャルキャピタルの実際の研究例を調べ、その国や地域におけるソーシャルキャピタルの役割についてまとめなさい」、「前問で出されたものの中から1つ選び、人々の幸福感や治安の安定のためにそれが有効に機能するためには何が必要かについて考えてください。また、多文化共生について自分の意見をまとめなさい」というもの。

 

 

 実際の研究事例はネットで調べれば確かにいくつか出てくるが、けんじいがやってみるとそれを読みこなしてまとめるだけでも難しい。ましてその役割についてまとめよと言われても、20分や30分でできるものとは思えない。この教材を作った人は自分でやってみたのか甚だ疑問だ。

 

 これは1時間でやらせるには無理があると考え、上記(3)の研究結果について、「その通りだ」と思うか「納得できない」と思うかを考えさせ、議論させることにした。結果は「その通りだと思う」学生が多かったが、けんじいは、「白人が圧倒的に多いアメリカの田舎町の方が異なるグループに友好的だ」という研究結果について、「それは白人の優勢がはっきりしていて両者が対等な関係にないからではないか。白人はかわいそうなマイノリティに憐れみを抱いてそれがお互いの見かけ上の信頼感につながっているだけではないか」と問題提起した。

 

 

 さらに「立場が反対だったらどうか、例えば少数のイスラエル人が多数のアラブ人を支配しているような地域でそんな信頼感が得られるか」と言っているうちに、「昔の満洲国で少数の日本人が多数の中国人と暮らしていたが、信頼感があったのか」と自分で話をどんどん拡げてしまった。

 

 そろそろまとめないとと思い、「10数年前までは日中相互の国民感情はよかった。それは日本が優位にあり中国に日本への憧れの気持ちがあったからだが、日中の経済規模が逆転して以来、日中の国民感情はお互い悪くなった。本当に対等な気持ちで異文化と共生することの難しさは、まさにこれから我々が経験することで、粘り強い努力が必要だ。」とここでようやく教科書のいう(4)の話にもってきて授業を終えた。ふうーっ。