中国に住んで初めての宿泊旅行は、中秋節の3連休を利用した杭州の旅。もっとも、前任者が推薦した、よくできる学生が一人随行してくれたので実力の旅ではない。町の駅から電車特急に乗る。これが新幹線のまるでコピー。電光掲示板に今速度何キロ(最高は200キロを超えていた)と出ることや、席の前のテーブルの形、窓際の衣類を引っ掛ける簡単な装置まで瓜二つである。
在来線なのだが、一日に片道2~3本、この新幹線タイプが走っていて、杭州まで速くて快適そのものだ。新幹線のコピーとはいえ、そっくり作ってしまえるのだから、中国の技術レベルは高いのだろう。明治時代、日本が西洋の機械をすぐに真似して作ってしまったようなものだ。と同時に、1時間に10本もの高速大量輸送している日本の新幹線のレベルのすごさも実感する。
電車の中では、立ち席で乗ってきた男が、我々が日本人であることを知って、我が学生に何やら話しかけている。しかし彼女は余り応じたくない雰囲気だ。あとで聞くと果たして、日本がこんなことを東シナ海でやっているのにおかしいと思わないのか、みたいなことを言ってきたらしい。彼女は、「あの人は変な人です、普通の人はみな日本が好きです」とすまなさそうに説明した。
杭州に着くとギラギラ輝いていた夏の太陽は見えず、雨がしとしとと降り、小寒い気候である。道行く人も長袖の方がずっと多い。杭州はさすがに省都、マルコポーロがベタほめした都会らしく、緑の多い、落ち着いた美しい街並みが続く。
ホテルで昼食をとってから、かの有名な西湖へ。町を見ながら歩いていこうと1時間かけて西湖の北東の湖岸に着いた。湖岸は人で溢れ返っていた。けんじいも大海の一滴で、時折道を聞かれたりする。しかし、ここは杭州、ひょっとすると変な質問をされているのかもしれず、「我不知道。我是韓国人。カムサハムニダ」(俺知らない。だって韓国人だもん。アリガト。)とか言ってかわすことにした。が、それは日中友好を願うけんじいにとって、とっても寂しいことだった。
在来線なのだが、一日に片道2~3本、この新幹線タイプが走っていて、杭州まで速くて快適そのものだ。新幹線のコピーとはいえ、そっくり作ってしまえるのだから、中国の技術レベルは高いのだろう。明治時代、日本が西洋の機械をすぐに真似して作ってしまったようなものだ。と同時に、1時間に10本もの高速大量輸送している日本の新幹線のレベルのすごさも実感する。
電車の中では、立ち席で乗ってきた男が、我々が日本人であることを知って、我が学生に何やら話しかけている。しかし彼女は余り応じたくない雰囲気だ。あとで聞くと果たして、日本がこんなことを東シナ海でやっているのにおかしいと思わないのか、みたいなことを言ってきたらしい。彼女は、「あの人は変な人です、普通の人はみな日本が好きです」とすまなさそうに説明した。
杭州に着くとギラギラ輝いていた夏の太陽は見えず、雨がしとしとと降り、小寒い気候である。道行く人も長袖の方がずっと多い。杭州はさすがに省都、マルコポーロがベタほめした都会らしく、緑の多い、落ち着いた美しい街並みが続く。
ホテルで昼食をとってから、かの有名な西湖へ。町を見ながら歩いていこうと1時間かけて西湖の北東の湖岸に着いた。湖岸は人で溢れ返っていた。けんじいも大海の一滴で、時折道を聞かれたりする。しかし、ここは杭州、ひょっとすると変な質問をされているのかもしれず、「我不知道。我是韓国人。カムサハムニダ」(俺知らない。だって韓国人だもん。アリガト。)とか言ってかわすことにした。が、それは日中友好を願うけんじいにとって、とっても寂しいことだった。