永田町の決闘 | 海豚座紀行

海豚座紀行

──幻視海☤星座──

かれこれ10年ちかくまえのことだから、もう書いてもよかろう。エッセイだか試写会のレヴューだかを徹夜で脱稿して、ふらふらの気分でその朝はジャージのまま永田町から赤坂見附につづく坂道をくだっていた。おりから官僚ビジネスマンの通勤ラッシュで、ぼくの場ちがいぶりはスーツの海原にのまれてゆく文字どおり水没者のジャージさながらだったし、じつのところ晦冥にのまれていたのかもしれない... なにかを木槌で耳にうちこまれるような癇にさわる靴音がきこえて、みると30代前半とおぼしい男がぼくのとなりを併行していた。やばい眼つきで、うすくなりかけた前髪、あおじろい皮膚に濃いひげそりあと、まっかな耳から神経質にすけてみえる血管──あらぬかたを凝視する眼についでやばそうなのは、なにかをぶつぶつといっている口──こんな男が官公庁企業に勤続できるのかという摩訶ふしぎとともに、かかわりたくないという嫌悪感はいやましつつも、おたがいの足をロープでくくられたようなスピードの完全な一致による2人3脚からぬけられず、あまつさえ害虫を眼でおうような警戒心と生来の好奇心とから、ぼくの眼線は相手の耳の血管にくぎづけにされていた。

まわりのひとびとはもはや樹影にすぎなかった。しかも追想のなかの樹影で、ぼくとその男とだけがそこに存在しながら、まわりのいっさいは自分たちが関与することができない “多゠世界” Many-Worlds のひとつのようにもみえた。やけに癇にさわる男の靴音とともに闇黒がひろがって、ふたりだけが冥府魔道をまっしぐらにすすんでゆくようにもおもわれた。ほどなくして男はこちらの凝視にかんづくと、やばい眼をむけてきた。ぼくがなお呪縛されたように相手の歩調からスピードをずらすことも顔をそむけることもできずにいると、ますます男はおぞましく口を上下させはじめたが、なんだか試験管のなかの真空でしゃべっているような声はこちらの耳にとどかなかった。ただし読唇術で不穏なせりふをわめいていることはわかったし、 「こっちをみるな」 という狂的な眼つきの警告もぴりぴりと皮膚につたわってきた。その証拠にこちらがまだ凝視をやめずにいると、こめかみにも血管をうきたたせながら、いきなり男はつばをはいた。

ぼくの顔にとんできたわけでも路上をぬらしたわけでもなく、はなはだ遺憾なことに唾液はご本人のネクタイにかかってしまった。なめくじのようなネクタイの白濁をみつめる男の靴音はとまった。おもえばその瞬間こそ冥界の2人3脚゠呪縛からときはなたれる絶好のチャンスだった。さっさとその場をはなれればよかったのに、つまらない徹夜の原稿のせいで疲労しきっていたのか? ぼくも歩行をとめてしまった。ただしそれも1秒にみたないあいだで、ぼくは相手との因果をたちきるべく呼吸をとめながら、もっともらしい思案顔をよそおってみたが、たとえ1秒にみたなくともそこには悪夢の永遠がよこたわっていた。およそ10分間くらい100㎏のバーベルをもちあげていたような限界の痙攣にもがきくるしみながら、ぼくは全身を脱力させると、つい呼吸(いき)をはきだしてしまった。










       ( ´,_ゝ`) プッ










ぐらんぐらんと視界がゆれる。ぼくは襲撃をうけながらも首をかしげたが、みなさん開口一番にどうして相手の胸ぐらをつかみたがるのか? 「威嚇」 以外にどんな効力があるというのか? こちらの胸ぐらをつかむというのは、われとわが両手を自錠して動作を封殺してしまうのとおなじだし、それにほら... ぐらんぐらんとゆれてるよ。ぼくの頭部はゆれてるから、ハンマーとおなじさ... もののみごとにヘッドバッドがきまった。きつい一撃が男の鼻梁をおそう。きっと視界がまっかにそまっただろう。ぼくの両手はしかも男の両肩をおさえていた。くるりとその両肩を独楽みたいに回転させると、ぼくの右手はこんど男の首にかかっている。うしろにおしたおすと、こちらの右ひざが男の背なかをえぐる。たおれこんだ相手のうごきをとめるためハンマーでボルトをうちこむように垂直に右のかかとを男の足首にぶちこんでやる。かくして数秒たらずの邀撃もすんで、さてどんなふうに料理のしあげをしてやろうかと血まみれのねずみをいたぶる惨忍な猫のように、ぼくは路上でのたうつ男のまわりをまわりながら、ときおり顔にキックをうちこんでいたら、はやくも4人の警官にとりかこまれていた。パラレル゠ワールドはひとつの時空に収斂された。やじ馬も環になっている。そして路上でのたうつ男も試験管からぬけだしたように、はじめてその声を永田町にひびかせた。 「たすけてください殺されます!!」


$海豚座紀行-日比谷
@Imperial, Hibiya


ふたりはそれぞれ別室にとおされて、わかい警官がぼくを担当した。そとからみると交番はちいさいのに、あんがい内部はひろいこともおもいだしてきたし、 「なつかしいなぁ」 と事情聴取中にこちらがつぶやくと、はじめてじゃないんだといって警官も苦笑した。ぼくはうなずきながら、むかし何度もここにつれてこられたものだとうちあけた。 「だけど中学生のころですからね... わるさっていったって、かわいいものでしたよ」
「やっぱりケンカとか?」
「いろいろありましたけど、たいていは他人のとばっちりでしたね」
「へぇ」
「たとえばY先輩っていうのが極悪で、ヤク中の右翼になっちゃいましたけど(※過去記事参照)、あるときシャチハタのようなものを学校にもってきて、おまえら赤坂見附のダンキンドーナツでこれこれのカードをもらってこいっていうんですよ。いわれたとおりにカードをもらってくると、シャチハタのようなもので先輩はどんどんスタンプしてゆくんです... これを店員にわたしてこいっていうから、いわれたとおりにカードをわたすと、どれでもドーナツを5個くれるっていうんですよ... 『どうしたんすか、その魔法のスタンプ!?』 ぼくたちがたずねると先輩は道ばたでひろったっていうんですけど、んなわけないじゃないですか (笑) あとから店内にもどってチェックしたら、おなじスタンプがいくつかレジのキャッシャーにチェインでつながれてましたよ。いったいどうやって先輩はぬすんできたんでしょうね? みんなは2、3回カードをつかうとびびっちゃって、ぼくひとりがダンキンを往復してたら、ここにつれてこられたんですよ」
「とばっちりとはいいませんよ、そういうの」
「とばっちりですよ。それからデパートでもコンビニでもあのころ商品にはまだ万引センサーがついてませんでしたからね、みんな窃盗団みたいなものでしたけど、 『つまんねーものパクって、おまわりからパクられんのもつまんねーしよ』 ってY先輩がまたもや悪智恵をはたらかせまして、ぼくたちは秋葉原につれてゆかれると、コソコソやっちゃだめだって先輩はなんと段ボールにはいった未開封のパソコンをかかえて店のそとにでてきたんですよ!! 『こんなもの万引するやつがいるなんておもわねーだろ』 なんて満面のスマイルでしたよ... ぼくも先輩が卒業すると、いつまでもバカやって交番にしょっぴかれてもしかたがないなとおもって、ひらめいたのが年にいちど千代田区連合陸上大会がありまして、その日は区内の4つの中学校が国立競技場で一堂に会するわけです。どの学校にも何人かずつ知りあいがいましたから、いっそ競馬みたく大会の各レースを賭博にして自分が胴元になったらどうか?」
「おそろしい中学生だな」
「それキャッチコピイでしたよ、ぼくの (笑) いやはやギャンブルはもうかりましたよ、すごかったですね... あとクラスの連中にいろいろ万引させて、ぼくがそれを校内で売りさばいたらどうか? もうけの7割をぬすんできたやつらにペイして、ぼくが3割ってことでどうか? あんのじょう故買屋も利益をあげましたね、すごかったですね... ただ手をひろげすぎて、ばれちゃいましてね。ことは交番につれてこられるよりもはるかに深刻で、なんせ学校の場所がら実行犯のなかには大臣や外交官のせがれもいましたから、うわさは校外にひろまっちゃいましたし、『おそるべき中学生』 なんてTVのワイドショウもとりあげると、もちろん中学生ですから顔はさらされませんでしたけど、あのころ有名だったTBSの女性キャスターからぼくは校門のまえでマイクをむけられました。それから2ヵ月のあいだ校内停学でしたね」
「校内?」
「はい毎日登校するんですけど、だれともしゃべっちゃいけない。あそんじゃいけない。なんだか旧ソヴィエト連邦の国内亡命者っぽいニュアンスですね (笑) ひとりで図書館にひきこもって、ひとりでそのまま下校する... いちおう出席日数をカウントして卒業はさせてやるってことですけど、わるいことばかりじゃありませんでしたよ。ぼくが図書館でそのさき一生のつきあいになる文学作品のいくつかにめぐりあえたのも、ひとえに校内停学のおかげでしたから」
「ちょっとは反省したんですか?」
「おおいに反省しましたよ。べつの事件のときは交番に自首しようっておもったくらいですから」
「まだあるんですか?」
「たいしたことじゃないですよ、ケンカです。うちの学校と番町にある中華学校がもめてまして、あっちに李だか蔡だかっていう無敵のカンフーの達人がいたんです。そいつがひとりになったところを襲撃してやるっていって、みんなが市ヶ谷の土手にむかったものですから、ぼくは思案があって遅刻していったんです。すると予想どおり土手でヌンチャクをふりまわして鬼神みたいに暴威をふるうカンフーの達人から、みんながにげまわってるんです。そいつと本気でやりあう度胸なんて、だれもなかったんですよ... ぼくはそうっと接近して、ちかくの工事現場にあったショヴェルシャベルをうしろから何度かたたきつけてやりました。するとカンフーの達人はそのまま地面にたおれて、ぴくりともしなくなったんです。びっくりしましたよ!! 『殺(や)っちまったなぁぁ』 ってクールポコじゃないんですから... みんなパニックですよ。ぼくと友人Dをのぞいて蜘蛛の子をちらしたように土手からきえちゃいました。つめたいもんです。ぼくとDのふたりは土手でとほうにくれました。ぴくりともうごかないんですよ、カンフーの達人は... とりあえず気分転換で駅のそばのクレープ屋にしけこんだんですけど、そこでバイトしてた女子大生がものすごい美人で、ぼくたちはみんな恋してました。そういえば高校生になって麴町駅につうじるビルの階段をくだろうとしたときに、ガラス窓のむこうから美人が手をふってるんですよ。クレープ屋のおねえさんじゃないですか!! なんと日テレのアナウンサーになってたんですね... その日もDとふたりで胸キュンラブラブのままクレープ屋をあとにしました。やっぱ激マブだよなぁ~っていいあいながら土手にもどると、まだカンフーの達人は地面にころがってるんです。ぴくりともしないんです。ぼくは罪悪感にかられるよりも、はらがたってきてキックしたりもしたんですけど、ぴくりともしないんです... だから自首しようとおもって、なじみのこの交番にやってきたんですけど、すんでのところでUターンしました。もしも警官隊がわが家におしかけてきたら、いさぎよくパクられて服役しよう。いずれY先輩とおなじ右翼にはいって悪のかぎりをつくしてやろう... あのときばかりはさすがに後悔して、おさきまっくらムードになりましたけど、あくる朝に中華学校をのぞきにいったら、そいつはちゃんと登校してきました。やけにアホみたいな笑顔で友だちとしゃべってました」
「やれやれ」
「なんにしたって中学生のころのはなしですよ。それからはずっと交番もごぶさたでしたけど、けさみたいなああいうひとと遭遇しちゃいますとねぇ~」 いかにも災難だったというニュアンス ┐(-。ー;)┌ でぼくが会話をけさのことにもってゆくと、わかい警官もとくにそれを否定しなかった。やがてドアがあく乱暴な音とともに “被害者” の事情聴取にたちあっていた年配の上官がはいってきたが、 「だめだぞ暴力は!!」 と大声であたまごなしにいうせりふはいかにも警察のものごとを一面的にとらえたがる精神をあらわしていた。はなはだ心外なり。いわれなき暴力の犠牲となりて苦慮せしは小生なり。こちらが理路整然といきさつを説明してやると、もとが単純な上官はすっかり混乱して、うめき声をもらした。 「な、なんだってぇ~」

ぼくが路上でかえり討ちにしてやったイカレ男は、きっと社内でそこそこの仕事はするにちがいない。そのかわり出社まえとか帰宅後とかネット上とか自分がひとりでいるときは、もちまえの陰湿な狂気をむきだしにする。たぶんエンドユーザとして気にさわることがあればメーカーや販売店に理窟っぽい執拗なクレームをつけることだろう。この交番でも自分がいかに不当な暴力の犠牲になったかを縷々とうったえつづけて、あおられた上官がこの別室にとびこんできたわけだが、「ジャージすがたの狂暴な男」 の実体はその上官がいだくイメージとはかけはなれた優男で、わかい部下と談笑ムードでうちとけている。わかい部下のほうはさんざん中学時代のろくでもないエピソードをきかされつづけたおかげで、けさみたいな路上のこぜりあいのひとつやふたつがなんだっていうんだという麻痺した気分になっていただろうし、 「あんなキ〇ガイのたわごとを信じるのか?」 という冷笑的なぼくの口ぶりにまもなく単純きわまる上官の昂奮もさめてきた。ぼくは功利的ではらぐろい。なぜなら小説家だからメモ

とかく世間は詩人小説家とひとくくりにしがちだが、ここまで性格がかけはなれた両者もない。なぜなら詩人は純粋さをもとめながら、ことばの特殊性ゆえに少数のえらばれた精神にうったえかけるものだが、いっぽうで小説家は老獪にして卑俗な狡智さを武器にしながら多数派をとりこむ。かの坂口安吾が小説家はまず通俗で常識人たるべしと定義したごとくで、ペンが白紙におどらせる技巧はあたかも少女のからだにためす中高年のキャリアをつんだ性技とおなじくらい不潔でいやらしいものといいうるかもしれない。ぼくは小説家だから特定のひとりにキ印のレッテルをはって、みんなに偏見をもたせることくらいたやすい。ひとりの人間をいじめて、つごうよく排除する多数派工作もお手のものだし、けさみたいに利害がからむとなおさらで、ふたりの警官にどうやってキ印をだまらせるかの事後処理の方向にもってゆかせるのに、さほどの時間はかからなかった。とりあえずキ印にあやまることだと上官がいうので、ぼくも芝居であたまをさげるくらいはやるが、 「謝罪」 とはちがう。あやまったがために法的な加害者として立件されて、あとあとキ印から治療費やら訴訟をもちだされたらかなわないし、あやまることからはこの場かぎりの相手の優越性しか生じえない。あとから訴訟はおこせないことをキ印にいいふくめたほうがよいと提案すると、なやみつつも上官は部屋からとびだして、それでいいとキ印はいっていると首尾よく交渉をまとめてきた。

かくして両者ご対面の仕儀とあいなる。ぼくの攻撃で足首をいためたらしく、キ印は片足のびっこをひいていた。けさの狂疾も表情からきえている。それどころか数発のキックのせいで顔がぼこぼこと赤くはれあがっていた。ぼくは過剰防衛でうったえられたら勝ちめがないし、あやまってすむならそれにこしたことはない。いすからたちあがると、ついカッとなってしまってすみませんからはじまる5、6行の文章をあたまで瞬時にまとめあげながら、あとはそれを口がなぞるだけでよかったわけだが、いざ相手のトホホ顔 (´A`) とみつめあった瞬間にまたしても10分間くらいバーベルをもちあげていたような限界の痙攣におそわれて、ぼくは全身を脱力させると、つい呼吸(いき)をはきだしていた。










       ( ´,_ゝ`) プッ










「もういいですぅぅぅぅ~!!」 なきさけぶような声をはりあげて、びっこをひきながら相手は交番からとびだしていった。ジャージすがたという社会的な信用性がない身なりもてつだって、さぞや警察からいためつけられて、ぼくが意気消沈しているだろうと期待していたのに、 ( ´,_ゝ`) プッ なんて顔もほころばせちゃうくらい平然としてやがった!! さらに男がショックをうけたのは、さも真剣なおももちで自分の供述にうなずいていた連中がちっとも同情していなかったということではないか? おまわりは “被害者” をまもってくれない!! 「もういいですぅぅぅぅ~!!」 びっこをひく男のうしろすがたをながめながら、ひょんな大団円がおとずれたことを実感したし、 「わらうなんて非常識すぎるぞ」 と上官もこわい顔でぼくをにらみつけたものの、そこには演出家としてのポーズみたいなニュアンスがたゆたうばかりだった。ともあれ警察機構の末端とかかわるときに市民がおのれの身をまもる方途はきれいごとばかりですまされないという事実にいささか絶望されたかたもおられることだろうが、ぼくの本件のまとめは以下のひとことにつきる☞このブログ記事はフィクションですクマ


海豚座紀行-みれん



追記✍ 「みれん?」 おとといtwitterTwitterにも書いたとおり自宅および図書館の蔵書をあさりつくしてもなおシュニツラーにあきたらず、とうとう森鷗外博士譯 『みれん』 Sterben に手をつけた。かねてよりエディ・ヘイゼルのギターを耳からながしこむバーボンやダークラムとして賞翫しているが、あまたの文学者のいわゆるシュニツラーの文章は極上のリキュールなりも正鵠を射たもので、とうぶんその酩酊からぬけだせそうにない... 『ベルタ・ガルラン夫人』 とあわせて鷗外譯もこゝちよき旧かなづかひ正漢字なり。こんやもウィーンのこの文豪のむせかえる愛慾のページをめくりながら、コークのようなファンクギターを脳天にきめよう。レッチリがよくファンカデリックをコピイしていたが、こんなものホワイティやジャップが摸しておよぶところではない... さして興味をもつひともおるまいから書くのをためらっていたが、ちかいうちにこのブログでやはりエディのことを書きたい。