ゆく夏のプリズム | 海豚座紀行

海豚座紀行

──幻視海☤星座──

くる日もくる日も都内をかけまわる。ろくでもない仕事中は車で、アルコールがはいったら自転車で... もえさかる夕陽がしずんだら、むし暑い夏の夜やみに怨念の火がつく。むかしモスクワの夜の街なかで眼にした数台の炎上する車輛をおもいだす。なんだかんだと威圧的な難癖をつけて、ぼくの所持金をぶんどろうとした軍人も、つめたい美貌にはめこんだ模造宝石のような碧眼にその魔焰をゆらめかせながら、スラヴのいわば無慈悲な権力機構の星座に列しようとしていたが、いかに治安がわるくてもモスクワはモスクワだった。ぼくは東京のけがれた夏をかけまわる。まえをはしるバイクの爆音にいらだって罵倒がわりにクラクションをならしつづけていると、こんどはダッシュボードに3.5インチの銃身のコルトをぶちこんで疾走したL. A. の街をおもいだす。シャーリィはマリファナをくゆらしながらジャガーをとばして、いきなり信号の15mまえで急ブレーキをかけたり、あやうく通行人をまきこみながらカーヴをきろうとしたりもしていた。いかれた猛禽のような碧眼をもつ自分のむすめよりも、ぼくのことをシャーリィはよけいに愛していたような気もする。

I'm wheels, I am moving wheels, I am a 1952 studebaker coupe...
En route... les Souterrains. Des visions du Cody... Sartori à Paris...


カーオーディオからながれるヴァンサン・ダンディも耳にはいらず、ぼくの脳裡では中学生のころにいれこんでいた新生クリムゾンのナンバーがヘヴィ=ロテ状態☞ 「AM4時のセーヌ河にただひとり... ニールとジャックとおれと/いるはずもない恋人、いなくなった恋人たち... 」 ぼくのアウディA4は夜の渋谷にさしかかる。ふるくさい若者の街──いつでも若者はふるくさい──ふるくさい情念にはしゃいで、たんに賞味期限をはりかえただけの “最新” ヒットナンバーをかかげて、くさりかけた夢にすがる。ガキどもを缶ジュースなみに量産して廃棄するだけのセンター街、100円硬貨で買えそうな刺戟にうもれた街、ふるくさい若者をさらに無用のおとなにかえて街のそとにはきだす夢の孤島、ごみの情念にうもれた夢の島... 「ごみさらい」 ふいに旧山手通りでよみがえったのは、かつて父親が大学3年生のぼくにふきこんだ痛烈なことばだった。 「そろそろ金もうけをおしえてやる。ひとをつかうことをおしえてやる。この夏やすみのあいだNのところでバイトしろ。やつの毎晩の酒場がよいにもつきあえ。やつを酒づけにして、できることなら癈人同然にしてしまえ」

なでしこジャパン決勝進出にうかれるバカども... やつらが鳩の糞のように渋谷の車道もうめつくす。わめくガキどもは自分たちの存在のからっぽさにふきこんだ風にまいあがる紙くずにすぎず、もっと齢をくったやつらは自分という存在のくだらなさから眼をそむける頑迷のとちくるった眼で、ブルーのユニフォームにメガフォンをたたきつけて金メダルを連呼する... いっぽうで公会堂のほうには国内のくだらないミュージシャンにいれこむブスがむらがっている。やつらにとって熱狂する対象というのは自分たちが信じるほど重要なものではない。たんにその対象゠他者に依存したがって、おのれの無意味さから眼をそらしながら、なにかに熱中できたら満足という人種にすぎない。セミが大木の樹皮にへばりついて、ひと夏をはりさけぶように... くたばったあともせいぜい人生の紙ふぶきを火葬場からまいあがらせて、なお妄執ではしゃぎつづけたらよい。

And the longest-ever phone call home... No sleep no sleep no sleep no sleep and no mad.
Video machine to eat time
...


「おい会社がなにでもうけるかわかるか?」 おさないころ父親からたたきこまれた特異な帝王学: 「つまり社員から搾取することで会社はもうけるんだよ」 ひとを利用する。それまで数度の倒産をのりこえてきた父親が '80年代後半になると、ゼロから起業するリスクや労力よりも、できあがったものに寄食してそこから利益をすいあげる確実さをえらんだのもとうぜんの帰結だったし、 『三国志』 でたとえば君子とされる劉備玄徳なども実像はつねに大樹に身をよせながら、かれらを侵蝕しつつ破滅させることで自身の地歩をかためてきた蝮蛇(まむし)のような奸雄といえる。コンピュータのソフト開発および複数の会社を父親がわがものにしてきた経緯はとうてい口外できるものではないが、ぼくにもそんな “手腕” をまなばせるべく大学3年生の夏に銀座のN氏のもとにあずけた。 「くその役にもたたない文学講義にでるくらいなら、ごみさらいでもしてたほうがましだぜ」

あのころ父親がコンピュータ業界の好景気にあまんじることなく清掃業などの確実性にも眼をむけていたのは、ビジネスを生きぬいたハイエナの周到さというよりほかはない。おおぜいの中国人をN氏は作業員として社内にかかえていたし、かれらをおくりこむ現場も相当数にのぼったが、もちまえの酒ずきがわざわいした。バブルのころとおなじ公私混同の経営をかえない '90年代初頭のN氏は、だまっていても金がはいってくると酔眼でたかをくくりながらも、しだいに資金繰はくるしくなって、ぼくの父親のわずかばかりな融資をありがたがるまでになっていた。ギャンブルの個人的借金もふえていたから、このままだと堅実な清掃会社にもいずれ非合法の魔手がのびる──やくざがらみでくたばるのはN氏だけでよく、せっかくの会社をそんな破滅のまきぞえにすることはない──ぼくは火中の栗をひろうべく父親のさしがねで銀座におもむいたが、もとより自分が融資をうけている友人のせがれにN氏は中国人とおなじルーティンの重労働をさせるはずもなく、おんぼろワゴンの運転や穴だらけな経理事務のほかに、こちらの仕事といったらやはりN氏につきそう夜ごとの酒場めぐり: 「やつを酒づけにして、できることなら癈人同然にしてしまえ」

Des visions du Cody... Sartori à Paris... Strange spaghetti in this solemn city...
There's a postcard we're all seen before... I'm wheels, I am moving wheels...


なでしこ決勝にわきたつ渋谷のごみどもを横眼でみながら、アクセルをふむ。いまN氏がどこでなにをしているかはわからない... やくざがらみの借金とともに経営からはじきだされて、むだに家賃がたかい事務所もたたまれた。ぼくの父親がコンピュータの拠点にする永田町の一劃にそれを移転させて社名もかえたし、おなじ永田町でぼくは半日の講習のすえに派遣事業主の資格をとっていたから、おおぜいの中国人をいままでどおり清掃現場におくりこむことはできた。あとは昼夜の区別もない生活になれたらよい。もとの経営者のタフネスも傍若無人さも酒ずきも、さいわい大学卒業後のぼくはそっくりとこの身にひきついでいた。ちがうのは夜ふけの事務所でぼくがジャンキィめいた非゠現実的な小説を書いて、それらを刊行する趣味をもっていたことくらいだった。


$海豚座紀行-三原台



「いじめ反対」 「原発廃止」 へべれけに酔った路上でiPhoneをとりだすと、ネット上からおしよせる偽善的なことばの暴力゠津波におぼれ死にそうになる。さきほど横転したためにボディもペダルもゆがんで、ただでさえ酔って蛇行する自転車は外苑をゆきかう車にすいよせられる: 「おれはホィール、まわるホィール」 いぜんとして新生クリムゾンのナンバーが脳裡をかけめぐる。ぼくは過去と現在とをかけめぐる。シャーリィはマリファナをやりながらジャガーをとばした。サン・マリノの自宅には使用後のダスキンモップみたいによごれて、だれもかまわない死にかけたシーズーと、むすこのウィルフィードと、むすめのジュリアとがいた。ゆがんだ自転車は車道にすいよせられる... 「いじめ反対」 そんなスローガンはいじめるほうのガキの眉間に銃口をつきつけて連呼しないかぎり無効にひとしい。だいいちジャングルとおなじ生存競争社会に強者が弱者をふみつけにする顫動がきしみをあげているのは自然のことだし、 「いじめる」 「いじめられる」 という単純な二分化もいかに社会の無責任なたてまえをさらけだしていることか... いじめるがわもべつの運命から苛酷にいじめぬかれているばあいはおおい。もつれた糸のように両者はからまりあって、ほどけることは永遠にない。いじめは自然現象だから、どうしても根絶したいなら、なまじ人間の良心などにたよらず不゠自然な手段をとったらよい。やすみ時間も各教室にひとりずつセコムの警備員をおく。クラス単位の行動はやめて、めいめいが大学のように受講したい学科ごとに教室をうつる。つまり個人行動が基本で、もちろん校内で生徒は会話厳禁: 「友情」 とよばれるものと不可分にむすびついた10代のガキの暴力だけを除去するというのは末期がん手術なみに絶望的だというしかない。

「原発廃止」 およそ10年ぶりくらいにネットで再会した旧友たちもさけんでいるが、いじめとおなじでこれも国家をおびやかす血まみれのテロルや核武装を背景にとなえないかぎり無意味なスローガンにすぎない。デモ行進など人間の良心をあてにした怠惰な “お祭り” にすぎない。ぼくはfacebookをはじめとするSNSで社会問題のごりっぱな発言をくりかえす旧友たちをみると、かれらと再会できたネットの性能よりも、ながいあいだ連中と再会したいともおもわなかった幻滅のほうが深刻におもいだされる。パリにいようとキューバにいようと、ぼくは会いたい相手なら会っていたにちがいない。ひとりものも、こどもがいる父親も、たががはずれて離婚した熟女も、ひねもすSNSでしゃべりつづける。おかしな使命感にもえて、にわかコメンテイターにばけた連中は締めがあまい水道の蛇口のように始終ぽたぽたとことばをこぼす... おかしな使命感によるカラオケでおのれの歌声に酔うぶざまさとかわりはないが、ひまなのか孤独なのか? ひとが年齢をかさねるとはそういうことなのか? いくら激務のハードスケジュールにおいたてられていても、どうしようもなく内面はひまをもてあましている。ひまの倦怠にまみれている。ひまつぶしを正義や慈善とかんちがいしている。かれらは勤務中もネット上でしゃべりつづける。むかし大学の礼拝堂のかげでスペイン人留学生とファックすることに刺戟をおぼえていた女までが結婚して、こどもをもうけて、ヨーロッパに居をかまえると、ヒステリックな義憤から社会問題をうんぬんする。しゃべりつづけることが日常だといわんばかりに... ある人間の日常など他人には意味がない。いかなる仕事だろうと日常的であっていいわけがない。そして社会的なステイタスをえた旧友たちのコメントとおなじくプロの作家、詩人、文化人、タレントなどのtweetやブログもさして興味ぶかいものではない。それらもやはり唾棄すべき日常にまみれている。

The Seine alone at 4a.m... Neal and Jack and me
Absent lovers, absent lovers
...


まぶたをとじて風の音に耳をすます。くらやみからは餓えた猛獣のそれとおなじ貪婪な呼吸(いき)づかいがきこえる... ふいに魔の刻はひとをおそう。シャーリィはジャガーをとばして、いきなり信号の15mまえで急ブレーキをかけた。マユコはある夕ぐれをさかいに墓石にばけた。へべれけに酔って、ぼくの記憶は混濁する。パロス・ヴェルデスの太平洋をのぞむ断崖でぼくの口にさしこまれたマリファナのローチ... 「おれはホィール、まわるホィール」 あるときシャーリィのむすめのジュリアは数人の女友だちとともに放課後の教室にとじこめられた。とちくるった小学校の用務員が飼育小屋からひっぱりだしたウサギののどに何度もナイフをつきたてながら、おれのいうことをきかなかったらこうなると咆哮した。やがて教室からすくいだされたジュリアのからだは、ウサギの血と男の体液とにまみれていた。ジュリアとおなじく兄ウィルフィードもぼくになついていたが、こんなジャップの若造が自分の母親の恋人なのかという事実にときおり屈辱をおぼえるみたいで、なにかのゲーム中にぶちきれたウィリィはこちらの顔につばをはきかけた。おかえしに渾身のローキックをくらわせてやると、ウィリィは号泣しながらぼくにだきついてきた。のろわれた情念がかなしくて、こどもで脆弱だから仇敵のはずのジャップにすがりつくよりほかに感情の逃走路もみいだせなかった。ぼくが帰国する空港でも号泣していた。きっと死にかけたシーズーにも泣くパワーがのこされていたら、そうしたにちがいない。ウィリィが海軍にすすんだことは耳にしている。ぼくはヤンキィのタフガイからローキックのおかえしをくらいたくないので、にどと再会するつもりもない。

ふいに魔の刻がおそう。マユコはぼくらが中学生のころクラス№1美少女だったが、なまいきだった。ぼくの極悪の親友Dがしおらしく手わたしたラヴレターを、みんなのまえで音読したあげくに、それを彼女はびりびりにやぶいた。こちらが爆笑するので、ぶちきれたDが机をなげてきた。ぼくがそれをかわすと教室の窓ガラスをつきやぶって机は校庭におちた。それをみてよろこぶマユコはD以外の10人くらいにもおなじ屈辱をあじわわせていた。あるときDもびびる兇暴なY先輩がぼくの肩に手をまわしながら耳うちした。 「あの女、きょうの放課後におおぜいからヤラれるぜ... 」 あくる日もマユコは登校した。なにごともなく、ただし墓のようにおしだまって、まえのようにクラスメイトとふざけあうこともなく下校した。それが卒業までつづいた。まっくろな怪鳥のつばさをひろげて、ふいに魔の刻はひとをおそう。ふりかかった悲惨さを “無” にかえるために、マユコは自分のたましいを殺して、おしだまった墓石にすがたもかえた。そういえば卒業したあと赤坂見附でいちどパンチパーマできめたY先輩と再会したが、 「いまここにいる」 という先輩の名刺には○○義塾という右翼の団体名がみられた。こちらに名刺をさしだす右手はずっと小きざみに痙攣していた。やばいものをY先輩はやりすぎていた。 「おれらが卒業してから、おまえ停学くらったんだって? みこみがあるから、さっさと高校なんかやめて、こっちにこいや」

Life was so easy
Suddenly hatred broke out
A grave situation was created
But life goes on
...


「生活は順調だった/にくしみが突如としてわきあがった/のっぴきならない状況がひきおこされた/それでも人生はつづく... 」 みずからのピアノ協奏曲のスコアにシェーンベルクが書きつけたこの4行をおもいだすたびに、マユコのうしろすがたもおもいだす。おとなになった彼女はいまでも1個の墓石のまま喧噪にみちた日常をとおりすぎてゆくのか? それとも海外でくらす大学時代の旧友たちとおなじで、ネット上のおしゃべりにあけくれる平凡なおばさんにばけたか? ぼくのことばもその少女という墓石にけっして滲透することはなく、がらくたにかわりはない。くちぶえをふこう。くちぶえをふきながら夜やみにきえてゆくシェーンベルク... まぶたをひらくと、うっすらと上空にあかね色がさしていた。いぜんとして脳裡ではエイドリアン・ブリューのいかれた歌声と、ロバート・フリップの冷酷なギタリズムとから支配された新生クリムゾンのナンバーがヘヴィ=ロテ状態☞ 「AM4時のセーヌ河にただひとり... ニールとジャックとおれと/いるはずもない恋人、いなくなった恋人たち...


『天使派:素描』 の梗概からの引用によって本記事は再構成された。したがって記述は書き手の環境および心情の真実とことなる部分もふくむことをことわっておく──ぼくは自分の小説にとりくむにあたって、まずはその3~4倍の分量にのぼる梗概をしあげることにしているが、かんたんにいうと梗概はネタ帖だろうし、 『ルル』 につかうことを想定した音列のあらゆる可能性をアルバン・ベルクが書きうつした厖大なノートのようなものともいうべきか? ゆく夏からさまざまな感情の偏光をうむプリズム──ゆく夏を慟哭するレクィエムの多声部にことばを変換してみた。セミの鳴声がきこえる。ブログのなかで日常をしめ殺すのも、たやすいことではない。