「歴女」 批判 | 海豚座紀行

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──幻視海☤星座──

「歴女」 はこの記事でほとんど取沙汰されないめがね娘 「歴史アイドル批判」 が本旨にそぐわしい気もするが、さして趣味のよいタイトルでもないのでこれにする:まず歴史上のアイドルだが、おもいつくまゝに織田信長でも坂本竜馬でもここからイメージしてもらったらよい。


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「歴史」 とは勝者の歴史──いや勝者から捏造された史観といってもよく、うけとる大衆の信じやすい純朴をあてこんで、それが政治として作用する──たとえば広域暴力団のひとつがテロルと破壊工作とクーデタとのすえに政権奪取したとして、かれらが同政権の “革命” の途上でたおれたり戦死したりした同志たちを英雄として史料に書きのこしていたとしたら? 「虚像」 以外のなにものでもない。もとより北朝鮮における偉人や英雄はわれわれの世界の偉人や英雄ではなく、オウムの宗教観における聖者や高弟が一般社会の義人でもないのはいうまでもないが、ひるがえって北朝鮮やオウムのこっけいさをわらうことができる日本人が、みずからもまた笑止でこっけいな歴史アイドルを信奉していたら!?


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幕末における薩長土の暗躍はさきの暴力団と渝(か)わるところがなく、さして必要もなかったところに執拗なゆさぶりをかけて、明治維新が革命ではなかったのはもちろん “夜あけ” でもなく、テロルと破壊工作とのすえに掠奪した政権の矛盾... ことに西郷と大久保との死闘゠相討のかげで国家の最高権力を掌握した長州の山縣有朋が、ナポレオン帝政の模倣から確立した天皇制による矛盾はあまた解消されぬまゝ昭和軍閥まで暗転しながら、とゞのつまり黒船来航にはじまった問題の最終解決はようやく原爆投下(してもらった)時点でついたようなもの。

「官軍」 の横暴にさいごまで抵抗した佐幕の会津藩は、そのため新政府より迫害をうける艱難もはなはだしく、また吉田茂、佐藤栄作、 「怪物」 岸信介、せがれ孫どもで世襲から国家の中枢にいすわる麻生太郎や安倍晋三にいたるまで日本にあるいは薩長土閥という<負>の鉱脈がつづいているやもしれず、このたびの旧会津゠福島の原発問題であきらかなとおり維新回天の矛盾はいまだ解決せずといいうるかもしれない。やれ竜馬だ高杉だと薩長史観から投射された虚像をTVでながめながら、よろこびほうける大衆の純朴や無邪気さこそが歴史゠政治の暗部をおゝいかくしてしまうものではないか? ひるがえって古代日本の真のすがたも、かえって記紀の2冊があるために復元がほぼ不可能なものになっている... われわれは旧唐書や梁書の倭国伝とくだんの捏造された記紀との照応から相違をあぶりだして、わずかな解明に満足せざるをえない。


$海豚座紀行-大泉
※奈良... じゃなくて、ただの練馬の一劃ですw


「倭国」 とはたぶん筑紫(北九州)と伽倻諸国(朝鮮南端)との総称:しだいに左右から伽倻を崩壊せしめた百済と新羅とが、いっぽうは筑紫を侵掠して、もういっぽうは出雲を支配したが、 「任那日本府」 こそ百済と新羅とに浸蝕されながら半島の1点と化してゆく伽倻の衰滅をつたえるものにちがいない。われわれのように北海道から沖縄までの列島をあわせて日本とみなす国家観もはるかに後代のもので、このころ筑紫のひとびとは地理的にとおい大和などよりも海のむこうにみえる韓半島南端を “同国” とみなしていたにちがいない。ともあれ大化改新の天智天皇は百済系で、のちの白村江戦では新羅゠唐の連合軍に惨敗。くしくも敗戦時の厚木にのりこんだマッカーサーとおなじ二千人の部隊をひきいた唐の郭務悰とともに上陸せる新羅軍のこれより日本占領もはじまる。

「天皇」 はほかならぬ新羅系の天武が僭称しはじめた帝号。ただし本国新羅と唐とがこんどは泥沼のながいながい戦争をはじめたために、ほうっておかれた島国の権力者のいきおい “独立宣言” ともいうべきものになった帝号だが、むすこの高市皇子の死であえなく天武持統朝もおわりをつげる:長屋王の変によって平城京でふたたび百済系が政権を奪取して、ここに記紀の2冊が撰上される。ほんらい飛鳥朝で正史が編纂されていたなら、もとは伽倻系だった皇統が百済系にかわったことでそれもまた改竄されて、さらに白村江戦後に上陸した新羅占領軍の皇統によって書きかえられて、ふたたび百済系にもどったために糊塗また糊塗されたものこそ古代日本史といえる。ぼくは蘇我氏の後裔として捏造のかかる歴史にメスをいれる:以下はtwitterから☟

『古寺巡礼』伎楽論に「すなわち帰化人が帰化人として目立たなくなったほど混血の完了した平安中期の日本人」という一文があるが、「混血」以前の多国籍的゠伎楽的な飛鳥朝や平城京を復元するのに、こんにちの常識゠定説(アカデミズム)によって健全な推理や想像力を掣肘するべきではない。


「万世一系」 の純血はこんな島国だけを凝視するから信じられたわけで、ほんらいのすがたを解明するために三韓の歴史、はては西域やアラビアの同時代史をも俯瞰してみると、おもいもよらぬ “日本史” の発見がもたらされるが、これは聖徳太子をえがいた刊行予定の拙作の主題でもあるので、これ以上は書かぬ... ちなみに神格化゠信仰とは相対化の範囲のせまさから生じがちなもので、こんにちのミュージシャンとかアイドルとかにもそれはいえる。あるミュージシャンを自分たちが神格化しそうになったら、ごみみたいなJ-POPから黄金期のブリティッシュロックやファンク、ロックの否定の極北につきすゝんだプログレ、ルネサンス音楽から20世紀の新ウィーン楽派まで音楽への “愛” を可能なかぎり拡大゠敷衍してみるとよい。さすれば容易に日本の1人のミュージシャンの神格化゠信仰もうまれるものではない。


$海豚座紀行-高野台
※奈良... じゃなくて、ただの練馬の一劃ですw


さいごに織田信長だが、 『安土記』 (信長公記)というこの権力者の祐筆だった太田牛一による記録がおもに人物描写の根拠につかわれる。まずはページをめくるまえに、はたしてこの記録がなんのために書かれたのか? こんにちのようにベストセラーをねらうためではない。ましてや横死した信長のためであるはずもないし、 「書かれた」 ことで隠蔽されたのはどんなことか? そこを熟考して信長という一点だけを凝視゠拡大するのではなく、ぜんたいを俯瞰しなければならない。

ぼくも学生のころは信長やら竜馬の “革新性” にあこがれたが、ほどなくして両者がいまや実体から乖離した地点に投射された虚像で、もっとも顕著なロマン゠歴史からの逃避作用でもあることに気がついた。ひとはリアルな歴史に疲労すると、マンガに飛躍したがる... ここでやっと 「歴女」めがね娘登場!! おもに美形のイラストによって彼女たちが伝播゠拡散する戦国武将、幕末の志士や新撰組は文字どおりマンガの用紙1枚分のうすっぺらなイメージにすぎない:そこで虚像はますますアイドル化されるために、ある歴史上の人物を解明するうえで無用の障碍になりうるのは、いつわりをふくんだ史料よりもその人物にむらがる信奉者゠ファンの “声” ということになる。そして出版社やメーカーやTV局もこれらのファンをあてこんで、アイドル化された安直な伝記、ゲーム、大河ドラマなどを量産する。



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いままで各方面の “信者” たちとどれだけ論争をかさねてきたかわからないし、そのつど論争する愚もさとらされた。ぼくからみたら視野のせまさゆえに相手はそんな信心にこりかたまっているわけだが、むこうにしたら自分のまえに無限のひろがりがみえる...

たとえば学生のころの友人に大富豪といってもよい政界の大立者のむすめがいた。なにしろ実家が実家だけに彼女は魔性の勧誘やら誘惑にさらされながら、つまらぬ新興宗教や自己啓発セミナーにはまって、いつも大金をむしりとられていた。ぼくは彼女と何度も論争したが、ことばは2人のあいだで平行線をたどるばかり... ご両親はむすめの友人のぼくらに救援をもとめたこともあって、セミナー会場で “信者” たちを蹴たおしながら彼女をひきずって帰ったこともある。そして彼女も自分がだまされたことをさとると、ぼくらのまえで号泣しながら猛反省するが、しばらくするとまた新手の詐欺教団やセミナーに “改宗” している: 「信じたい」 という繊弱な純真さが彼女の意識のなかで飛翔を夢みながら、ふるえつゞけているのか? 「なんか人間不信になっちゃいそう」 だまされた何度めかの苦痛゠悔悛のあとに、なみだもかれはてた表情でぽつりと彼女はつぶやいた。ぼくは首をふると “不” と “信” のあいだに “可” をいれるべきだとおしえたが、 「人間不可信?」 といって彼女がまだ語意をさとらないでいるから、 それをつたえてあげた。 「人間信ズル可(ベ)カラズ」