「犬」
にまつわる他人の憂悶やかなしみも、ぼくのからだには憑依しやすくなっている：これまでに何度かペットロス症状をあじわっているからという以上に、おそらくは犬がぼくの “痛点” だからではないか？ 『作家と犬』 （河出書房新社）にかつて寄稿させていただいたが、 「ぼくの感情のなかで邪悪なくらいに犬はせつなさそのものだった」 という名文（!!）がつゞられている。
ぼくは人類よりもはるかに犬を愛する自分にときおり自問の毒矢を射かける☞ペットとりわけ犬猫は眼でみて、手でふれられる自己憐愍の具象化ではないか？ ペットをいつくしみながらも、おゝいに自分をあわれんでいるとしたら？ ぼくは数千人の屍骸がころがるテロの殺戮現場をみたとしても、たぶん眉ひとつうごかさない冷酷さをもちあわせている。ところがTVで震災によって家族とはぐれた犬だとか、フィクションでも飼主をおいかけて何百㎞も旅する犬だとかを、からだじゅうに針をつきたてられるような “痛み” から数秒も正視することができない。もしもそれが自己憐愍の具象化だからということなら、なっとくがゆく：われとわが身をだしきめるがごとく、あわれんであわれんで、かなしくてかなしくて... つまるところ他人さまはどうあれ、ぼく自身のことでいうなら密着しすぎた愛を犬゠自己からひきはなして、すこしでもそれを人類にそゝぐべく尽力せよということか？ おそらく冷酷さはひとをきずつける以上におのれを腥惨にえぐってゆくもので、いつかその瘡傷の腐爛がおゝいなる苦痛と悔悛とでぼくをうめかせるかもしれない... ともあれ犬はぼくにとって歯科医のドリルでえぐられる虫歯とおなじナイーヴな “痛点” にほかならない。
ぼくが小学校にあがったころ祖父がどこからか買いつけてきたオスのポメラニアン：わが家のめいめいがそのポメの名まえを熟考した。ぼくもそのころ席がとなりの女の子に貸してもらった 『キャンディ❤キャンディ』
からアンソニーやテリーなどの美少年たちの名まえのいずれかひとつをきめあぐねていた。ところが毎日ぼくの家にあそびきにきていたパン屋のマア坊が、おりからTVで人気者だったチンパンジーのオリバーくんを一瞥すると、さながら神託をつげられて発狂した預言者のごとく猿公のその名まえを連呼して、うちの家族もなぜか満場一致でそれに賛成したから、ここにポメの名まえはオリバーときめられた。(((( ﾟДﾟ) え゛えッ!!
オリバーはぼくが大学1年生のときに歿した。ぼくにはKという兇暴きわまる中学いらいの悪友がいて、高3のころは受験勉強を夜な夜な妨害しながら、はれて大学に合格したあともフランス語勉強中のぼくをむりやり繁華街でひきずりまわした。ところがオリバーが死んで、ぼくが幽憂にしずみながら外出せずにいると、 「元気だせよ」 といってKは電話で自分が飼っていた2匹のダックスフントが死んだときの悲痛と、そこから恢復するまでのエピソードをはなしてきかせた。
ガラス窓をたえまなく夜の雨がたゝく：ぼくは受話器のむこうにいるKの声が、こんなにやさしくひびくのにおどろいた。それは雨音ととけあいながら、さゞなみのようにぼくの体内にしみこんで、かなしみを藻屑にかえつゝ海中にしずめようしずめようとしていた。よせてはかえず夜の潮騒... ぼくの両肩はふるえていた。のどから声にならないものがこみあげて、くちびるからそれはおしだされた。
（ ´,_ゝ｀） ﾌﾟｯ
こんな暴力団まがいの男が、ダックスフントのなきがらに顔をよせながら、なみだをながすのかとおもうと、おかしくておかしくて爆笑したが、 「殺すぞ、きち○い
」 とKもブチギレて、ぼくらの電話のどなりあい
のゝしりあいは朝におよんだ。けっきょく1年後に母親がちがうポメをみつけてくるまで、ペットロスがなおることはなかった。ぼくは夜あそびから帰宅して、まだ眼もあかない仔犬をみると、こんどこそ自分が最善とおもう名まえをつけようとギリシア神話のページをめくりはじめたが、 「この犬いくらだ？」 と泥酔して帰宅した父親のろれつもまわらぬ濁声： 「なに7万円？ んじゃこいつはチーピンだな」 あろうことか電光石火に麻雀用語から命名してしまった。(((( ﾟДﾟ) え゛えッ!!
さくらちゃんのことに話題をもどすと、tweetを読むかぎり彼女はいま将来にむかって冒険の1歩をふみだすか、まわれ右でそこからしりぞくかの瀬戸際にいるとみられる：いざ冒険にでようとおもっても、そばに愛する存在があると、なかなか出発できるものではない。おそらく愛犬ちょびちゃんはそのやすらかな死顔で、さいごにその肉球で、そっと未来のほうに彼女の背なかをおしだしたのだろうと
ぼくは管見する...Chien Bien!!
ひとり散歩を愛したオリバー
金網のむこう... たそがれチーピン
幼名はDiorだったロンロン