(前回記事の続き)
小笠原諸島 父島行き「おがさわら丸」、二日目の朝
夜中から波高2.0〜3.0mの海域を航行中。多少動揺しながらの航海。
右舷前方からの波・うねり
どんよりとした曇り空の早朝
船は停滞前線の下を航行中
波・うねりをかき分けながら進む。
多少横揺れを繰り返すが、海況厳しい小笠原航路ではよくある揺れ。
横揺れ軽減装置「フィン・スタビライザー」が作動しているため、大きな横揺れはない。
時折、小雨がぱらつく。若干の荒天。
夜中に向かい波3mの海域を航行したためか、甲板の床は飛沫(しぶき)で濡れている。
波高2.5mの海域
二日目の早朝。東京を出発してから既に約18時間。しかし父島までまだ約6時間かかる。
太平洋をひたすら南下
360度見渡す限り海。陸地は全く見えない。
絶海の孤島へ向け、船はひた走る。
売店等はまだ営業前
二日目の売店「ショップ ドルフィン」の営業は、朝7時から。(二日目の営業時間は7:00〜9:30)
4月下旬だが風は冷たくない。船は亜熱帯気候の海域を航行中。
早朝にもかかわず、乗客たちは外部デッキに出て風を浴び、遥か南の地までやって来たことを肌で実感する。
大きめの波・うねりにぶつかると、時折、大きな飛沫(しぶき)が上がる。
船は多少動揺しているため、船内を歩く乗客は左右にふらつく。
海況厳しい小笠原航路では、この日はまだ穏やかな航海だそう。
豪快に波をかき分けて進む。
曇り空だが、かき分ける波の色は青く透き通る。
船内へ。
航空路のない小笠原諸島では、貨客船「おがさわら丸」が、本土と小笠原諸島を結ぶ唯一の旅客輸送機関
4デッキ(4階)キッズルーム
早朝のキッズルームはまだ閉鎖中
3デッキ(3階)後部のミニサロン南島
カップ麺等の食べ物、飲み物、アメニティなどの自動販売機がある。
7デッキ(7階)の外部デッキ。左側の扉の内側は展望ラウンジ。
この日は、前線の影響で「曇一時雨」の予報だが、時々晴れ間が覗く。
最上階の8デッキ(8階)の外部デッキ
雲の合間から朝日が昇る。
東京を出発して既に18時間
ファンネル(船の煙突)
甲板は、夜中に降った雨で濡れている。
ニ日目の朝食は、4デッキ(4階)にあるレストラン「Chichi Jima(父島)」で。(ニ日目朝の営業時間は7:00〜10:00)
洋定食A
他にも、和定食などいろいろなメニューが揃う。
レストランの丸窓から望む海
午前9時頃、船は小笠原諸島の最北端・聟島(むこじま)列島で一番最初(北端)に見える北之島(きたのしま)近くを航行するが、この日は荒天で島影は見えない。
聟島列島は、本土から小笠原父島に向かう船客が、最初に見る小笠原の島々。北之島、聟島(むこじま、別名︰ケーター島)、媒島(なこうどじま)、嫁島(よめじま)、その他の小島や岩礁で構成。全域が世界自然遺産に登録されている。小笠原諸島へいざなうカツオドリ
外部デッキには、双眼鏡や、望遠レンズを備えたカメラを持ち海鳥観察をする乗客の姿が目立つ。
少し前から、何羽もの大型の海鳥が船とずっと並走している。
これらはカツオドリ
小笠原諸島は、カツオドリの一大繁殖地
小笠原諸島が近いことを実感
カツオドリがずっと船と並走するのは、
船が切り裂く波に驚いて海面を飛行するトビウオを狙うためだそう。
「おがさわら丸」を追い越し、船の前を飛ぶカツオドリは、まるで船を小笠原諸島父島まで先導しているかのよう。
ついに姿を現した小笠原諸島
父島到着1時間前の午前10時頃、小笠原古謡「レモン林」が船内に流れる。沖縄地方の島唄とは異なる独特の旋律。これらは、ハワイなどから移り住んだ小笠原の欧米系島民が伝えた南方系(ポリネシア)の民謡が元になっているそう。
小笠原古謡「レモン林」
やくそくしましょう またあう日の夜に
若い二人は 人目がはずかしい でね
レモン林で かくれてはなしましょう
レモン林の 甘い香りのなかで
キッスをしたのを お月様が見てた
平和になったら 二人はカボボ(結婚)して でね
新婚旅行は父島へ行きましょう」
小笠原古謡の唄うたい「Okei」が唄う「レモン林」
小笠原古謡が流れた後、「あと1時間程で小笠原父島に到着します」との船内放送。いよいよ父島へ。
東京出港から約23時間、ついに小笠原諸島の島々が姿を現す。
小笠原諸島は、沖縄とほぼ同じ緯度の亜熱帯の島々。北から聟島列島、父島列島、母島列島、火山列島が連なる。
さらに、熱帯に位置する日本最東端の南鳥島と日本最南端の沖ノ鳥島を含め、全てが東京都小笠原村に属する。
小笠原諸島の南には、グアムやサイパンなどがあるマリアナ諸島が連なり、小笠原諸島は生物地理区上はマリアナ諸島と同じ「オセアニア区」に属する。
東京から南へ約1,000km、太平洋上に浮かぶ絶海の孤島・小笠原諸島の父島(ちちじま)列島
大陸と一度も陸続きになったことがない30あまりの海洋島で構成される小笠原諸島。独自の生態系が進化し、島は固有種の動植物の宝庫であり、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれる。2011年(平成23年)、日本で4番目の世界自然遺産に登録。小笠原国立公園にも指定されている。
小笠原諸島は、英語名を「Bonin island(ボニン・アイランド)」という。
江戸時代まで無人島だった小笠原諸島。「無人(ぶにん)」が訛ってそのように呼ばれるようになったそう。
島に人が定住したのは、今から200年近く前の1830年(文政13年)。まず、欧米やハワイの人たちが父島に移り住んだのが始まり。これらの移住者は、父島に寄港する捕鯨船に食糧や水などを供給していたそう。その子孫たちは、今も小笠原に欧米系住民として暮らしている。
小笠原諸島が日本領土として認められるようになったのは明治時代の1876年(明治9年)。そして日本人も小笠原諸島に移り住むようになった。
こうしたことから、小笠原諸島は、西洋、南洋、日本の文化が混ざり合う独特の島になった。
時折、雲の合間から晴れ間が覗くと、ボニンブルーの海が輝く。
船の航跡
船の進行方向左側は、南洋の島々と煌めく海
低い山が連なる。
亜熱帯海洋性気候の小笠原諸島
ボニンブルーの小笠原の海