(前回記事の続き)
静岡県・清水港(日の出埠頭)、
駿河湾フェリー「富士」
駿河湾フェリーは、一般社団法人ふじさん駿河湾フェリーが運営し、清水港と西伊豆・土肥港間約30kmを75分で結ぶ。
駿河湾フェリー航路は、2013年(平成25年)4月12日に静岡県から県道223号に認定された。(223は「ふじさん」の語呂合わせ)
《航路図︰駿河湾フェリーHPより》
この日は北風が強く、西伊豆・土肥港の港の状況が悪いため、午前中の第1便、第2便は欠航。午後の第3便より運航開始となった。
《駿河湾フェリーHPより》
駿河湾フェリー「富士」の案内。
船室は、一般席(椅子席、絨毯席)、特別室、貸切特別室がある。また、船内には売店や屋台があり、短距離フェリーの部類では充実した設備を有する。
《駿河湾フェリーHPより》
駿河湾フェリーでは、2024年(令和6年)3月に、船体を黄金色に塗装変更し内装をリニューアルするため、約2週間運休し、同年3月26日(火)から運航を再開した。
これは、新潟県、長野県、山梨県、静岡県の中央日本4県が連携する「黄金KAIDOプロジェクト」のシンボルとして、駿河湾フェリーの船体を黄金色に塗装し内装も改装したもの。
併せて駿河湾フェリー限定高付加価値サービスの提供も開始し、3階貸切特別室では、ここでしか飲めないお酒や食事サービスを提供。
《駿河湾フェリーHPより》
乗船した当時は、まだ黄金色に塗装変更する前。
徳川家康の治世において、西伊豆の土肥金山で採掘された金塊は、土肥港から清水港まで、葵の御紋を帆に掲げた「千石船」を使って運ばれ、徳川家康の暮らす駿府城に運ばれていた。
当時の「千石船」の航路は、現在の駿河湾フェリーの清水・土肥航路と同じであり、また駿河湾フェリー航路は県道223号線に認定された。この現代の「海の道」は、まさに徳川時代に金塊を運搬していた当時の「海の道」に通じるものがあり、「黄金KAIDO」と呼ばれる。
駿河湾フェリーは駿河湾内を航行するが、外洋に面しており、比較的波やうねりが荒い。そのためか、船体は頑丈な造り。
静岡県・清水港(日の出埠頭)で出港を待つカーフェリー「富士」と、雪を抱いた富士山
現在、駿河湾フェリーでは、「千石船」という「葵の御紋を帆に掲げた船」で金を運んでいたという歴史に因み、船首に「葵の御紋」の旗を掲げて運航
西伊豆・土肥行きカーフェリーに乗船
乗船口は船首から。
人も自動車も船首から乗る。
船首より、カーフェリーに乗船
船内の車両甲板
船室へは、脇の階段又は船体後部(奥)のエレベーターで向かう。
1階客室スペースの外部デッキ
1階客室(一般席)入口
1階後部の客室(一般席)
1階前部の客室(一般席)
1階最前部の窓からは、船首方向が見える。
★動画↓