樋口定次編~
念流は元々慈恩なる僧が(元は相馬義元なる武士)が編み出した剣術です。
そしてその一派である馬庭念流は上州多野郡馬庭村で発展した土着の剣法です。
分派である斉藤弥九郎の神道無念流は江戸時代後期から幕末まで隆盛を誇った一派。
著名な剣客としては桂小五郎、仏生寺弥助、戸賀崎熊太郎、岡田十松(この人は新撰組永倉新八の師)、初代新撰組局長の芹沢鴨などなど江戸三大道場の面目躍如といったところでしょうか。
馬庭念流は戦国期の名残を残した、一撃必殺の剣で主に鎧武者を対象とし発展させたものでその修行たるや激烈を極めました。
樋口定次は家伝の新刀流を修めたのち、念流の継承者某という坊さんの下で修行を積み、正式な念流8世継承者として馬庭念流を興しました。
さて、ある日「天下無双日の本一」の旗を掲げた天流開祖、村上天流が上州の道場を恐怖に陥れておりました。
斉藤伝鬼坊直伝の弟子で新当流も免許、当たるところ敵なしの猛者です。
その剣は熾烈を極め、ほとんどの相手を撃ち殺してしまいます。
烏川にて幟を立てた天流は石の上にどっかと座り、周りを見渡しながら大声で叫びました。
「誰か拙者に挑戦する者はおらんのかー!常陸国古河の住人、天下無双の村上権左とはワシのことじゃー!」
「調子にのんな!てめえなんぞはワシが撃ち殺してくれる!」
上州勢多郡の住人、立山某が二刀を引っ提げやってまいりました。
「ワシは鐘捲流皆伝、立山じゃ。いずこなりとかかって参れ!」
村上天流は数ある得物の中から木刀を一本拾うと軽く二、三度素振りをくれました。
「よかろう。お主では少し役不足であるが、まぁいい稽古台くらいにはなるであろうて。」
「なにっ!キサマ愚弄するか!」
「愚弄ではない。本当のことだ。お主はその二刀でかかってまいれ。」
「ぐぐっ・・・おのれえ・・・すぐ後悔することになるぞ・・・」
鐘捲自斎門下の立山は大太刀一本、もう片手には小太刀を携えじりじりと近寄って行きます。
「なんじゃ、片手の木刀一本しか使わんと言っておるのじゃ。もう少し近づいてきたらどうだ。」
「ふふふ・・・その手はくわぬぞ・・・揺さぶりなぞワシにはきかん」
「んじゃ拙者からまいるぞ!」
すすっと歩み出た天流に慌てた立山は後ろへ後退しようとしました。
しかし雷撃のような一撃が立山のこめかみをかすりました。
「ぐうっ、、何という一撃だ。このままじゃ・・・うわあっ!」
右からなぎ払った一撃が返す刀で上段から袈裟懸けに振り下ろされると立山の肩口からめりこみました。左手の小太刀は叩き折られ、何の役にも立たなかったのです。
「ぐわーっ!」
あまりの斬戟に立山は意識が飛び、前のめりに倒れこみました。
二刀ですら防げない天流の技に周囲の人間は畏怖しました。
「・・・死ななくてすんだみたいだな。でもあれじゃあ二度と剣は握れまい・・・」
「さあ!他に打ち合うものはおらぬか!拙者はいつでも引き受けるが。どうじゃ?」
烏川のほとりでは連日地獄絵図が繰り広げられておりました。
「馬庭はどうした?あの御仁がくれば何とかなるじゃろ?」
「樋口は恐ろしくて震えておるそうな。」
「いくら馬庭が強かろうと、あんな化け物が相手では・・・」
人々は口々に噂しあいました。
そんな時馬庭念流の門弟が天流に撃ち殺される事件がおきました。
村上の狙いも樋口定次、一点のみであったことは言うまでもありません。
散々念流の悪口を言い放った村上に門弟が立ち向かったのです。
しかし、勝負は一瞬でした。
脳天を叩き割られ、門弟は即死でした。
「これでもまだ引っ込んでおるのか、樋口!念流はよほど臆病と見える」
我慢に我慢を重ねた樋口定次もとうとう重い腰を上げました。
「是非もなし。望むと望まざるとにかかわらず、災難は降りかかるものよ」
数日後の未の刻、烏川のほとりに天流と定次が対峙しました。
「ようやっと出てきたか。お主を待っていたのじゃ」
定次は無言です。すり足でお互いがそろそろと近づくと、手の届く距離まで来ました。
さすがの天流もおいそれとは近づけません。
一転定次は涼しい表情で、何かを極めた者ののみが持つ鈍い殺気を放っています。
四半刻も向き合った後、たまりかねた天流がしかけました。
「とりゃー!」
中段から上段へシフトしたと見せかけ、横殴りに定次の胴を狙いました。
一瞬閃光が走り!
天流の頭蓋は断ち割られました。そしてそのまま仰向けに倒れました。
あまりの駿足に見物人も何が起きたのか全く分かりません。
なんと中段を飛び上がりながらかわし、脳天に渾身の一撃を放っていたのです。
馬庭念流奥義「岩切」が炸裂した瞬間でした。
念流は専守防衛を理念とし、好んで戦わない「非戦」の剣です。しかし攻めに転じてこれほど恐ろしい剣はなかったといいます。
「無益な殺生をしたものよ」
一言言い放つと定次はその場を後にしました。
まもなく定次は道統を弟の頼次に譲り、諸国へ旅立ちました。
その後は行方知れずです。
噂には暗殺されたとも隠棲したとも伝えられます。
馬庭念流との戦いは「死」を覚悟せねばならぬ、と千葉周作にいわしめた当代随一の剣法なのです。馬庭念流の皆伝者は木刀で岩を断ち割るのも容易だったとか。。
現在でも馬庭念流は群馬県の地で残っており代々樋口家が継いでいるそうです。
高名な剣客としては赤穂浪士の堀部安兵衛、昭和の今武蔵と呼ばれた國井善弥が馬庭念流の達人でした。また剣豪のトップに樋口定次を推す人もいます。
念流は元々慈恩なる僧が(元は相馬義元なる武士)が編み出した剣術です。
そしてその一派である馬庭念流は上州多野郡馬庭村で発展した土着の剣法です。
分派である斉藤弥九郎の神道無念流は江戸時代後期から幕末まで隆盛を誇った一派。
著名な剣客としては桂小五郎、仏生寺弥助、戸賀崎熊太郎、岡田十松(この人は新撰組永倉新八の師)、初代新撰組局長の芹沢鴨などなど江戸三大道場の面目躍如といったところでしょうか。
馬庭念流は戦国期の名残を残した、一撃必殺の剣で主に鎧武者を対象とし発展させたものでその修行たるや激烈を極めました。
樋口定次は家伝の新刀流を修めたのち、念流の継承者某という坊さんの下で修行を積み、正式な念流8世継承者として馬庭念流を興しました。
さて、ある日「天下無双日の本一」の旗を掲げた天流開祖、村上天流が上州の道場を恐怖に陥れておりました。
斉藤伝鬼坊直伝の弟子で新当流も免許、当たるところ敵なしの猛者です。
その剣は熾烈を極め、ほとんどの相手を撃ち殺してしまいます。
烏川にて幟を立てた天流は石の上にどっかと座り、周りを見渡しながら大声で叫びました。
「誰か拙者に挑戦する者はおらんのかー!常陸国古河の住人、天下無双の村上権左とはワシのことじゃー!」
「調子にのんな!てめえなんぞはワシが撃ち殺してくれる!」
上州勢多郡の住人、立山某が二刀を引っ提げやってまいりました。
「ワシは鐘捲流皆伝、立山じゃ。いずこなりとかかって参れ!」
村上天流は数ある得物の中から木刀を一本拾うと軽く二、三度素振りをくれました。
「よかろう。お主では少し役不足であるが、まぁいい稽古台くらいにはなるであろうて。」
「なにっ!キサマ愚弄するか!」
「愚弄ではない。本当のことだ。お主はその二刀でかかってまいれ。」
「ぐぐっ・・・おのれえ・・・すぐ後悔することになるぞ・・・」
鐘捲自斎門下の立山は大太刀一本、もう片手には小太刀を携えじりじりと近寄って行きます。
「なんじゃ、片手の木刀一本しか使わんと言っておるのじゃ。もう少し近づいてきたらどうだ。」
「ふふふ・・・その手はくわぬぞ・・・揺さぶりなぞワシにはきかん」
「んじゃ拙者からまいるぞ!」
すすっと歩み出た天流に慌てた立山は後ろへ後退しようとしました。
しかし雷撃のような一撃が立山のこめかみをかすりました。
「ぐうっ、、何という一撃だ。このままじゃ・・・うわあっ!」
右からなぎ払った一撃が返す刀で上段から袈裟懸けに振り下ろされると立山の肩口からめりこみました。左手の小太刀は叩き折られ、何の役にも立たなかったのです。
「ぐわーっ!」
あまりの斬戟に立山は意識が飛び、前のめりに倒れこみました。
二刀ですら防げない天流の技に周囲の人間は畏怖しました。
「・・・死ななくてすんだみたいだな。でもあれじゃあ二度と剣は握れまい・・・」
「さあ!他に打ち合うものはおらぬか!拙者はいつでも引き受けるが。どうじゃ?」
烏川のほとりでは連日地獄絵図が繰り広げられておりました。
「馬庭はどうした?あの御仁がくれば何とかなるじゃろ?」
「樋口は恐ろしくて震えておるそうな。」
「いくら馬庭が強かろうと、あんな化け物が相手では・・・」
人々は口々に噂しあいました。
そんな時馬庭念流の門弟が天流に撃ち殺される事件がおきました。
村上の狙いも樋口定次、一点のみであったことは言うまでもありません。
散々念流の悪口を言い放った村上に門弟が立ち向かったのです。
しかし、勝負は一瞬でした。
脳天を叩き割られ、門弟は即死でした。
「これでもまだ引っ込んでおるのか、樋口!念流はよほど臆病と見える」
我慢に我慢を重ねた樋口定次もとうとう重い腰を上げました。
「是非もなし。望むと望まざるとにかかわらず、災難は降りかかるものよ」
数日後の未の刻、烏川のほとりに天流と定次が対峙しました。
「ようやっと出てきたか。お主を待っていたのじゃ」
定次は無言です。すり足でお互いがそろそろと近づくと、手の届く距離まで来ました。
さすがの天流もおいそれとは近づけません。
一転定次は涼しい表情で、何かを極めた者ののみが持つ鈍い殺気を放っています。
四半刻も向き合った後、たまりかねた天流がしかけました。
「とりゃー!」
中段から上段へシフトしたと見せかけ、横殴りに定次の胴を狙いました。
一瞬閃光が走り!
天流の頭蓋は断ち割られました。そしてそのまま仰向けに倒れました。
あまりの駿足に見物人も何が起きたのか全く分かりません。
なんと中段を飛び上がりながらかわし、脳天に渾身の一撃を放っていたのです。
馬庭念流奥義「岩切」が炸裂した瞬間でした。
念流は専守防衛を理念とし、好んで戦わない「非戦」の剣です。しかし攻めに転じてこれほど恐ろしい剣はなかったといいます。
「無益な殺生をしたものよ」
一言言い放つと定次はその場を後にしました。
まもなく定次は道統を弟の頼次に譲り、諸国へ旅立ちました。
その後は行方知れずです。
噂には暗殺されたとも隠棲したとも伝えられます。
馬庭念流との戦いは「死」を覚悟せねばならぬ、と千葉周作にいわしめた当代随一の剣法なのです。馬庭念流の皆伝者は木刀で岩を断ち割るのも容易だったとか。。
現在でも馬庭念流は群馬県の地で残っており代々樋口家が継いでいるそうです。
高名な剣客としては赤穂浪士の堀部安兵衛、昭和の今武蔵と呼ばれた國井善弥が馬庭念流の達人でした。また剣豪のトップに樋口定次を推す人もいます。