旧姓 神子上典膳(みこがみてんぜん)は一刀流創始者、
伊藤一刀斎門下の高弟。
第一の高弟は“善鬼”なる人物。
腕前は師匠をもしのぐといわれた恐ろしい腕前だったそうです。
伊藤一刀斎は諸国を流浪し、門弟もとらずひょうひょうと
生きてきた人物のようで実は腕前も確たる実績が残っておらず
よく分からない剣客です。
しかし、これだけクローズアップされるということは
メチャ強かったのではないかと推察されます。
さて、伊藤は言いました。
「私の剣は一子相伝。どちらかに譲らねばならない。」
まるで北○の拳です。
ただでさえ凶悪かつ腕前が飛びぬけている善鬼は典膳に言いました。
「辞退するなら命だけは助けてやるぞ!」
典膳は正直ビビリました。
「やっべー師匠も何言い出すんだよォ。善鬼とやって勝てるワケねーじゃんよー」
そして試合の刻限・・・
圧倒的な膂力の強さで押しまくられた典膳、実に生と死の狭間は数知れず!
逃げ回るのが精一杯でした。
「このやろう!てめえ逃げんな!うおー」
吠え掛かってくる善鬼を尻目に、典膳は一、二合打ち合うと
すかさず逃げ回ったのでした。
怒り心頭に発した善鬼は家すらバラバラに壊しながら剣を振り回します。
柱も据え物のように切れたといいますから恐ろしい限り・・・
「冗談じゃねーあんなの一撃でもくらったら刀ごとへし折られ、あの世行きだぁ~」
逃げ回りながら考えました。
そしてとうとう一間の間を挟んで対峙しました。
「ちょろちょろ逃げ回りやがって。殺す!」
善鬼の剣が振り下ろされた瞬間、典膳はまるで居あい抜きのようにわ
き腹を薙いでいました。
勝負は幕を閉じ、一刀流は神子上典膳が継ぐことと相成りました。
※ここいらは諸説あって、善鬼が師匠の側にあった秘伝書を
奪って逃げようとしたとか伝えられていたりします。
卑怯な人物像に仕立て上げられているところが
フィクションぽいですね。
そして改名後、小野忠明となり徳川家に仕えるワケです。
しかし、柳生家とは違いその禄高はほんのちょっとで、
小野忠明が政治家向きではなかったからとか、
あまりに強いため全く手心を加えなかったとか
いろいろ言われてます。
徳川家の直参でもビシビシやっつけたそうです(笑)
小野忠明の強さを物語る逸話が残されてます。
「どちらが強いのか、集住の人間がうるさいので決めようではないか」
とりあわなかった柳生一族もこれ以上ひいては沽券にかかわると
思ったのか十兵衛が立ち会うことになったそうです。
「そなたでは未熟ゆえ、三人でまいられるがよい」
柳生宗矩、柳生十兵衛三厳、柳生宗冬の三人で
かかって来いと言い放ったそうです。
「調子にのりやがって!バラバラにしたる!」
さすがの柳生もキレました。
腐っても柳生新陰流と標榜しているため許すことは
出来なかったはずです。
ところが・・・
宗冬は簡単にあしらわれ、宗矩は剣を叩き落され、
十兵衛はあまりの殺気に動くことも出来なかったそうです。
「ふむ・・もう少し修練が必要だな・・・」
と十兵衛に告げた忠明の顔は優しかったそうです。
恐るべし小野忠明!
個人的な意見ですが、武蔵より強いんじゃないかと思います(恐えー)
伊藤一刀斎門下の高弟。
第一の高弟は“善鬼”なる人物。
腕前は師匠をもしのぐといわれた恐ろしい腕前だったそうです。
伊藤一刀斎は諸国を流浪し、門弟もとらずひょうひょうと
生きてきた人物のようで実は腕前も確たる実績が残っておらず
よく分からない剣客です。
しかし、これだけクローズアップされるということは
メチャ強かったのではないかと推察されます。
さて、伊藤は言いました。
「私の剣は一子相伝。どちらかに譲らねばならない。」
まるで北○の拳です。
ただでさえ凶悪かつ腕前が飛びぬけている善鬼は典膳に言いました。
「辞退するなら命だけは助けてやるぞ!」
典膳は正直ビビリました。
「やっべー師匠も何言い出すんだよォ。善鬼とやって勝てるワケねーじゃんよー」
そして試合の刻限・・・
圧倒的な膂力の強さで押しまくられた典膳、実に生と死の狭間は数知れず!
逃げ回るのが精一杯でした。
「このやろう!てめえ逃げんな!うおー」
吠え掛かってくる善鬼を尻目に、典膳は一、二合打ち合うと
すかさず逃げ回ったのでした。
怒り心頭に発した善鬼は家すらバラバラに壊しながら剣を振り回します。
柱も据え物のように切れたといいますから恐ろしい限り・・・
「冗談じゃねーあんなの一撃でもくらったら刀ごとへし折られ、あの世行きだぁ~」
逃げ回りながら考えました。
そしてとうとう一間の間を挟んで対峙しました。
「ちょろちょろ逃げ回りやがって。殺す!」
善鬼の剣が振り下ろされた瞬間、典膳はまるで居あい抜きのようにわ
き腹を薙いでいました。
勝負は幕を閉じ、一刀流は神子上典膳が継ぐことと相成りました。
※ここいらは諸説あって、善鬼が師匠の側にあった秘伝書を
奪って逃げようとしたとか伝えられていたりします。
卑怯な人物像に仕立て上げられているところが
フィクションぽいですね。
そして改名後、小野忠明となり徳川家に仕えるワケです。
しかし、柳生家とは違いその禄高はほんのちょっとで、
小野忠明が政治家向きではなかったからとか、
あまりに強いため全く手心を加えなかったとか
いろいろ言われてます。
徳川家の直参でもビシビシやっつけたそうです(笑)
小野忠明の強さを物語る逸話が残されてます。
「どちらが強いのか、集住の人間がうるさいので決めようではないか」
とりあわなかった柳生一族もこれ以上ひいては沽券にかかわると
思ったのか十兵衛が立ち会うことになったそうです。
「そなたでは未熟ゆえ、三人でまいられるがよい」
柳生宗矩、柳生十兵衛三厳、柳生宗冬の三人で
かかって来いと言い放ったそうです。
「調子にのりやがって!バラバラにしたる!」
さすがの柳生もキレました。
腐っても柳生新陰流と標榜しているため許すことは
出来なかったはずです。
ところが・・・
宗冬は簡単にあしらわれ、宗矩は剣を叩き落され、
十兵衛はあまりの殺気に動くことも出来なかったそうです。
「ふむ・・もう少し修練が必要だな・・・」
と十兵衛に告げた忠明の顔は優しかったそうです。
恐るべし小野忠明!
個人的な意見ですが、武蔵より強いんじゃないかと思います(恐えー)