することを提案する。主張する。
今年で10年目、10回目となった多国籍合宿は、先週末の土日に開催された。4年目から参加し、すべてでスタッフとして参加しているおれは、つまりは今年は個人的には7回目の合宿となった。
10年10回となると、ある程度形態が固まってくる。作業が効率化するメリットがある一方、組織が硬直化するというデメリットもある。最近このデメリットばかりが目立つようになったのが、この提案の一番の理由である。
多国籍合宿は、目的実現のための手段だと考えている。大きなテーマとして「多文化共生社会構築への挑戦」と銘打っている。言葉にしたら、なんと壮大なテーマである。壮大ではあるが、漠然としている。毎年、各自がこのテーマに対し、どう感じどう考えているか、スタッフ間で話し合い、そのために多国籍合宿という舞台で、具体的にどのような手段を用いて、達成させようと試みるか、議論を重ね、2日間の合宿を作り上げてきた。
こういう議論を自然とやってきた歴史がある。たかだか数年の歴史なのかもしれない。恐らくこのように文章にするとたいそうなことをやっているように思えるかもしれないが、やっていた本人たちは、さほど意識していなかったと思う。しかし、この意見のすり合わせ、情報の交換という議論が、そのまま異文化理解の手段につながるものであり、重要かつ基本的な姿勢であることは、言うまでも無い。
近年この姿勢が薄れていることを感じていたが、今年のその状況はきわめて希薄なものになり、さらにそれを立て直すことは非常に困難であった。直接的、間接的に様々な手段を通して、説き続けたつもりである。問題は今年に限らず常にある。問題は解決できれば、それに越したことは無いが、まずは問題に向かい合う姿勢が無い事には、解決なんて永遠に見えてこない。
そういった議論や衝突、問題に向き合う姿勢をできるだけ避け、とにかく楽しい2日間を作ろうとしたのが、今年の多国籍合宿だった。もちろん楽しい方が良いし、楽しくなければ多国籍合宿じゃない。しかしそれは目的達成のための手段を楽しくすることであって、2日間を楽しくすることが多国籍合宿そのもの目的ではない。楽しいだけなら、外国人が多く集まり毎週末ダンスパーティをやっている店が鹿児島にも幾つかある。そこで事足りる。
2001年に第一回目の多国籍合宿を開催した時は、初めてで様々な困難に直面しただろう。2006年は一度中止が決まり、それ以降の開催再開も危ぶまれる状況の中、秋開催(結果、例年5~6月開催だが、この年だけ10月開催されている)に向けて立ち上がった中心メンバーは、全くの新参者ばかりであった。
ここ数年、スタッフから頻繁に聞かれるフレーズが「初めてスタッフをするからわからない」「参加したことが無いからわからない」という言葉だ。偽らざる本音だろう。10年近く重ねた歴史が、新参者を臆する状況に置いてきているのか? しかし、問題はこのフレーズがスタッフとして参加して何ヵ月も経っても聞かれることだ。経験者との意見交換がほとんどなされていない。いや、経験者が居なくてもいい。多国籍合宿をどうイメージし、体現するかは、ひとりの力ではできない。新人スタッフ同士だろうが、意見を重ね合わせ、時には反論し合い、ケンカもして、作り上げてきたのだ。繰り返して言うが、これこそが、異文化理解・多文化共生につながる基本的な手法ではないのか? 他にどのような方法があるというのか? 外国人とニコニコし合いさえすれば、“国際交流”ができるなどと、甘い考えを持つ人がいまだに居るのか? 残念ながら、今の日本人にはそういう考えの人が多いので、その重要性を訴え続けている一人がおれである。
ここ数年、“実行委員長”が前年スタッフ経験者から選ばれるのが、当然の流れになってきた。初めてスタッフが加わる人間が、リーダーになることは非常に困難だと思われているらしい。排他的でない集団なのになぜ?
創造する意思がなくなってきている。創造できないということではない。創造は容易ではない。ただ、多国籍合宿を通して何かをやろうという意思のある人たちが集まったのが、このスタッフという組織だ。「こういうことをやろう」「こういうことはできないだろうか」「もっと良い方法は?」「これは無駄なやり方じゃ?」そういう議論から、創造は生み出されるものだと思っている。
今年はこれが絶対的に足りなかった。こういうことの重要性を訴え続けても、届かなかった。
いや、そもそも・・・・
こんなことをわざわざおれが言わなくても、目的と趣旨を考えれば、自然とそういう議論が活発化する雰囲気が生まれてくるのは必然だったはずだ。
どうしてこうなってしまったのだろう???
趣旨を考える人が少なくなった現状がある。前年の、前回の多国籍合宿を、ただ真似ようとする人たちが増えている現状がある。スタッフ間で議論することもなく、留学生と議論することもなく、淡々と前年のやり方を真似するだけとなった(+改善させようとはしている)。
その結果、「やらないといけないから、やっている」と堂々と発言するスタッフまで現れた。スタッフはボランティアである。義務も無ければ、仕事でも無い。学生主体のスタッフだが、いくらがんばっても単位が取れるわけでもない。ボランティアとは無償の仕事では無い。前も書いたが、好きなことを好きな人がやるということだ。
前出のスタッフは、ここ数年実施している、当日の困難なあるイベントを担っていた。準備が進まず、壁にぶち当たっていたのは知っていたが、具体的に何に手こずっているのか、個人的な相談もなければ、全体ミーティングでも明かされないので、放っておいたが、見るに見かねて、2週間ほど前に、様子を聞いてみた。このイベントは極めて難しい内容なので、中途半端に口を挟むのは良くないと思い、過去アドバイスを求められた時以外に、意見を言ったことは無かった。
予定より何もかもが遅れていた。それどころか、目途も立たず、どうしたらいいかわからないということだった。まったくもって楽しんでいる様子も無い。結論はただひとつだった。
「これ、やめれば?」
そんな状況で続ける意義を感じられなかったおれは、そう強く思い、そして、そのことを伝えた。その時の彼の反応が、先のフレーズだった。
「え? これ、何のためにやってるの? やらないといけないから?? やらないといけないなんてことは何も無いんだよ????」
別に意地悪を言ったつもりはない。この言葉を乗り越えて、より良いものを作れよ!なんていう発想でもない。そこまでのことを言うような時期では無い。先が見えなくて、ましてや目的すら“やらないといけないから”としか出てこないものを、400人の前でする意味は、それこそ何も感じられなかっただけだ。
その後も、彼らは苦しみ、結局当日まで苦しみ抜いた。・・・としか思えなかった。つまるところの責任者である小林教授も前夜のバタバタぶりを見て「やっぱり今年のこれはやめるべきだった」と発言した。
“やっぱり”
おれもまさに同意するところである。
不幸なことに(?)、当日は例年にない盛り上がりを見せたそうだ。盛り上がりという点では、かなり評価されているように思う。が、課題も当然多々あり、反省会では質問がいろいろ浴びせられた。おれも、根本的な疑問を再び尋ねた。
「しんどかったでしょう?? そのしんどさを押してまで、また来年これをやって欲しいと思う?」
ここから始まったやり取りの末、わかったこと・・・・
「何を目的にしてやったの?」「目的を持たずにやったの??」というおれの基本的な質問に対し、
「やめる理由は何ですか??」
????????
この発想にはビックリした。前年の真似をしないようにと、あれだけ言い続けていたのに、まさに伝わっていなかったことが分かった瞬間だ。前年まで毎年やっていたことを、やめさせないために、自身の目的も無くやっていたとは・・・。
「やめるかやめないかじゃなくて、今年やるかやらないかの判断でしょう??」
どうやら、このセリフも最後まで響かなかった。
誤解していないと思うが、できなかったことを責めているのではない。目的や意義も考えずに取り組んで、ただ苦しみ、周りが修正しようとしたのにも関わらず、最後まで目的を考えようとせずにやった姿勢に疑問を呈しているのだ。
これは何も、このイベント、このスタッフに限ったことではない。極端な例として挙げたが、全体的にこういう傾向になってきてしまっている。
1回目を作り上げたスタッフたちは、本当に何もわからないところから作り上げた。当時のメンバー曰く「こんなことが本当にできるか、実は懐疑的に感じていた」という。6回目の再建の時も、中心メンバーは全員が新人で、しかも1年生が中心、おれのような経験者や社会人は、時折アドバイスをする程度だった。横で見ていたおれは、一度中止になったものが、なぜ再開できるのか、遅れて合流することになったおれにとっての1回目のミーティングに参加するまでは不思議でしょうがなかったが、そのミーティングで感じた活気で一切の猜疑心がぶっ飛んだのは、よく覚えている。
こんな話をすると、技量だとか個人の能力的な問題と言う人が居る。そんなことは無い。当時のメンバーは優秀だったかもしれないが、それが成功できた要因ではない。向かい合おうとする姿勢、試行錯誤する姿勢、情報共有、意見交換・・・・そういう姿勢があったか無かったか、だ。結果的に試行したことが上手くいかないこともある。いや、むしろ上手くいかないことだらけだ。参加者アンケートで、参加者に失敗を責められると「そんな簡単にできないんだよ! じゃあどうすれば上手くいくのか教えてくれや」と、直接話したい気持ちは常にある。精一杯やっているスタッフがそんなアンケートで一方的に責められると、心底頭に来る(漠然とした記述じゃわかりにくいので、あとで連絡が取れるようにアンケートは記名式にしようという提案を今年もするのを忘れてしまった・・・)。
反省会で、この一連の話をしていると、ある大人の方が、「学生には無理」とおれに反論してきた。
「姿勢を持つことが、無理ですか?」
ここで多少冷静さを欠き、「1回目も6回目も、これまでやってきたわけだから・・・」などと、説得力の無い反論をしてしまったが・・・。
いやいや、いくらなんでも過去の学生スタッフにあまりに失礼でしょう。特に6回目立て直した状況を間近で見ていたおれにとっては、自分が直接の学生スタッフなら、キレてたかもしれん。
しかし、その一方で、今年のスタッフは、準備作業は非常に一生懸命がんばっていた。イベント運営の作業という意味ではこれまでに無いきめ細やかな配慮で、特に6月に入ってからは、これまで以上の疲れがあったと思う。
目的が見えずに(見えにくいままで)、作業量だけ大量にこなした彼らを見て、かえって虚しさを感じるのであった。いじらしいというか。
これら一連のことを考えて、おれは多国籍合宿終了の提案に至ったのである。まだみんなの前では言っていない。部分的に話をした相手がいるが、上手く伝えられず、長ーーーくなってしまったが、この文章を読んでいただければ、おれの真意が少しでも伝わるのではないかと思う。小林教授も、別の理由からであるが(しかし繋がるか?)、今回で最後と昨年から宣言していたし、ちょうど良い。
多国籍合宿は、惰性でただ、形式的な国際交流をやるイベントでは無い。400人集まって、1泊2日空間を共有すれば、国際理解が深まるなんていう夢物語は有り得ない。そんな簡単なことなら、この世からとっくに異文化摩擦や国際問題は無くなっている。400人も集めて、表面的なことをやるのは、おれには耐えられない。
2ヵ月前、過去のあるスタッフが状況を見かねて、「こんなのは多国籍合宿じゃない! 私達や先輩たちが作ったものを壊すな!」というようなことを言っていた。おれは、まあまあそこまで言わなくても・・・なんてその時は思っていたが、時間が経つにつれて、この言葉は非常に響いてきている。的を得た発言だった。
そこで、本来の提案は、ここだ。多国籍合宿を一旦全部忘れて、無くして、そして、本当に“多文化共生社会構築への実現”について考えている人間を集めて、もう1回その手法や手段を考えて、その機会を鹿児島の人、日本人、外国人、留学生に提供できるものを作りたい。
少なくとも今の流れで、「多国籍合宿」をやることはやめて欲しい。「多国籍合宿みたいなもの」は別の名称でやってくれ。
諸先輩方には、非常に申し訳ないですが、もう多国籍合宿を立て直す自信はありませぬ。個人的にはやり尽くした。
不運なことに、こういう状況である今年、多国籍合宿がドキュメント形式でテレビで取り上げられるそうだ。KTSが密着していて、8月くらいに25分番組で、なんと鹿児島ローカルではなく、九州地区放送らしい。ひょっとするとミーティングでおれが怒っているのが写っているかもしれん。KTSは「こんな熱い事をしている人たちが鹿児島に居るとは知らなかった」と言っていた。おれはミーティングでスタッフもKTSも居る時に「KTSさんは誤解している。こんなぬるい合宿は無い」と言った。いや、言わずに居られなかった。もちろん、何がどうぬるいか、ひとつひとつ挙げて、だ。多国籍合宿の名のもと、ぬるさが電波に乗って、九州全体に知れ渡る予定だ。
ぬるい状況をおれは初めから感じていたから、今年はスタッフとして自信がなかった。mixi日記やブログで参加者募集の時期に、その告知をしなかったのは、こういった経緯があったからだ。
今思えば、無くなったものを作り直した2006年の多国籍合宿というのは奇跡だ。現状を考えれば、おおげさではなく、本当に奇跡だったんだとしか思えない。