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浜崎あゆみ(ayumi hamasaki)Fingerfont-Logo No.261 フィンガーフォントロゴ ハンドロゴ
AとHをまぜたこのロゴは当時は画期的でしたね、一昔前はそこら中でこのステッカーを貼った車を見かけたもんです。 手を79使用
浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、1978年10月2日 - )は、日本の女性歌手・シンガーソングライター。かつては女優、モデルとしても活動していた。本名は濱﨑 歩(読み同じ)[1]。愛称はあゆ、ayu。公式の英語表記はayumi hamasakiであり作詞のクレジットとしてオリジナル曲の多くに用いられている。ロゴマークの角ばったAは「あゆみ」のイニシャルから。福岡県福岡市早良区出身。エイベックス・マネジメント所属。レコードレーベルはavex trax。
| 基本情報 | |
|---|---|
| 出生名 | 濱﨑 歩(読み同じ) |
| 別名 | 浜崎くるみ(旧芸名) 浜﨑あゆみ(旧芸名) ayumi hamasaki ayu(あゆ) CREA |
| 生誕 | 1978年10月2日(40歳) |
| 出身地 | |
| 学歴 | 堀越高等学校中退 |
| ジャンル | J-POP・ポップ ダンス・エレクトロニック ポップ・ロック |
| 職業 | シンガーソングライター・歌手 作詞家・作曲家 女優・モデル |
| 活動期間 | 1993年 - 1997年(モデル・女優) 1998年 - (歌手) |
| レーベル | avex trax |
| 事務所 | エイベックス・マネジメント |
| 共同作業者 | Max Matsuura(プロデュース) |
| 公式サイト | ayumi hamasaki official site |
概要
モデルや女優としての活動を経て事務所を移籍、1998年4月8日に1stシングル「poker face」でソロ歌手としてデビュー[1][2]。歌手デビュー後の楽曲については、オリジナル曲は全て自身で作詞し、「CREA」名義でいくつか作曲も手がけている。楽曲のみならず衣装、ミュージックビデオ、雑誌グラビア、CDジャケットのレイアウトやライブ演出といったビジュアルアートに至るまで、本人による徹底した非常に厳しいチェックを行っている[3]。
2012年発売のベストアルバム『A SUMMER BEST』のリリースによりシングル・アルバムの総売上枚数が5000万枚を突破、B'z、Mr.Childrenに続き、史上3組目、5年5か月ぶりの記録を達成。総売上枚数が5000万枚を越えたのはソロアーティスト並びに女性アーティストとしては史上初の快挙であった[4]。
影響
1999年1月発売のデビューアルバム『A Song for ××』が約150万枚を売り上げて歌手としてブレイクを果たすと女子中高生を中心に彼女のファッションやメイクを真似する若者たちが増え、マスコミなどから「女子高生のカリスマ」と呼ばれるようになった[2]。ファッションリーダーとしてネイルアート、大きなサングラス、豹柄などの流行を生み出し社会現象となった。のちにベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている[5][6]。
2001年3月期において、所属レコード会社エイベックス社の売上高・利益の4割を稼ぎ出し、同年秋にアルバムの発売延期の情報が流れただけで株価が下落するなど、同社の経営状態を左右するほど看板歌手としての浜崎の存在感は高まり、浜崎頼りの同社の経営体質の弱点を揶揄する「あゆ依存」という言葉も生まれたほどであった[7]。 また、2004年にエイベックスの経営方針を巡って当時の専務松浦勝人と依田巽会長が争った際には、浜崎あゆみの言動が大きな影響を与えた(詳細は「エイベックスお家騒動」参照)。
人物
名字の「浜崎」(濱﨑)の正しい読み方は「はまざき」ではなく、「はまさき」である。
趣味・嗜好
2007年から初の日本国外での公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーを本格的に行い、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意とコメントしており[どこ?]、ほとんどの歌詞は日本語であった。しかし、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多く発表している。2006年にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語を披露している。
犬、特に小型犬が好きで、チワワやダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてきており、ライブツアーのMC中にステージに登場したり、ミュージックビデオに出演することもあった。
婚約(結婚)・離婚
2011年1月1日、カウントダウンライブ終了直後、ツイッターおよび自身のファンクラブのブログにて、オーストリア出身のモデル・俳優のマニュエル・シュワルツ(50thシングル「L」収録のウェディングソング「Virgin Road」を含む3部作のミュージックビデオで共演していた男性)と結婚することを発表[14][15]。同日、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスにて挙式した[16][17]。ただし、日本国内での婚姻手続きをしていなかったため、戸籍上は未婚のままであった[18]。のち2012年1月16日、ファンクラブのブログにて彼との離婚の意向を発表し、翌日、離婚申請が受理された[19][20]。
2013年12月12日、自身のファンクラブのブログにてロサンゼルス在住の男性と婚約を発表[21]。2014年3月3日、代理人として本人の母親が都内の区役所に婚姻届と米国の結婚証明書を提出した[22]。しかし、2016年9月11日、公式ファンクラブサイトのブログにて離婚する意向を発表した[23][24]。
内耳性突発難聴
2000年、初のコンサートツアーの第二幕直前に多忙なスケジュールの積み重ね等の理由によって、左耳の疾患(内耳性突発難聴)を患い、一部公演を延期した。医者からは「すぐ治療にとりかかるべきだ」と告げられていたが、ツアーを強行した。後に左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表した。その後も定期健診は受けるが、治療のための休養をとらなかった。そのため、2008年1月4日、自身のファンクラブのブログにおいて、以前から抱えていた左耳の疾患(内耳性突発難聴)が悪化し、2007年末頃には医者から「治療の術はない」と、左耳の聴覚が完全に失われ治らなくなったことを告白した。
その他の疾患
2008年12月24日、過労による貧血で高所から落下。右手に全治3週間の重傷を負い、出演予定だった音楽番組の出演を急遽辞退。その後の自身のカウントダウンライブや初のトップバッターで登場するNHK紅白歌合戦の出演も危ぶまれたが、緊急手術後、医者の条件付出演を行った[25]。
2011年9月16日、滞在先の米国で急性咽頭炎を発症し、体調不良で帰国する航空機に搭乗できなかったため、生放送の音楽番組の出演を急遽取りやめた[26]。出演については意欲的であり、手配の際の心情を自身のTwitter及びファンクラブ公式ブログに書き込みをしている。「出演に間に合うまで各地の航空会社搭乗券を探している」という内容の発言等、謝罪をしている。
暴言騒動
2002年1月末、インターネット掲示板を発端として、ライブ会場で「浜崎あゆみが身障者の少女を罵倒した」という動画付きの噂が流れた。新聞報道にまで拡大し[27][28][29]、公式サイトやファンHPが荒らしに遭った。avexの会長兼社長(当時)の依田巽も声明文を発表。一方、本人の声明文でなかったことなどから大炎上に繋がる。雑誌『Free & Easy』とのコラボレーション雑誌『浜崎共和国』において「自分がデマを撒かれたことよりも、そのデマにファンが迷ったり辛い思いをしたのなら、その方がよっぽど辛い」とのコメントを発表している。なお、この事件の影響でこの年の『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A』ではスポンサーがつかない事態となり(浜崎のライブでスポンサーがつかなかったのはこの時のみである)、2003年1月に発売された問題の『ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002 A』のDVDはアンコールの大部分が(ラストの「Endless sorrow "gone with the wind ver."」以外)カットされている。なお、カウントダウンライブを行った国立代々木競技場での身体障害者用車椅子スペースは、緊急時すぐ避難できるよう、アリーナの左右入り口と指定されているため、暴言騒動となった「前列の障害者を罵倒」の信憑性はないと言える。DVDに収録されている終了際の浜崎あゆみのMCでは、浜崎自身の友達が本公演を見に来ていることを告げており、問題の動画は本公演での浜崎自身のMCを部分的に編集したものであることがわかる。
エイベックスお家騒動
2004年7月30日、当時エイベックス専務の松浦勝人は、会長であった依田巽と経営方針が決裂し別会社を設立することを表明した[30]。その直後、浜崎自身もマスコミに対し「彼の存続と共に浜崎あゆみの行方も決めさせて頂きたいと思っております。」と歌手デビューの際に世話になり自身のプロデューサーである松浦に追従し移籍する考えを明らかにした。当時、エイベックスの売り上げの40%を稼いでいた浜崎の表明が決定的な打撃となり、株は暴落、株主からの抗議が殺到し、また、エイベックス社内は混乱に陥った。8月3日、浜崎の表明を大きく受け、経営陣は方向転換を余儀なくされ、松浦は執行役員として復帰(後に社長就任)し、移籍の懸念等は解消された[31]。松浦と対立した依田は代表辞任に追い込まれた。このお家騒動を理由にこの年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以降賞レースからは距離を置くようになる。これについてはエイベックス・グループの内紛劇(クーデター騒動)も参照されたい。
渋谷ゲリライベント
2009年4月7日午後3時ごろ「渋谷109」前のイベントスペースで自身の書籍宣伝を行った[32]。しかし、ゲリラであったにもかかわらず、数千人の見物客が集まり、その一部が車道にはみ出すなどして交通を混乱させた。その後、道路使用許可を取っていないことが発覚し、道路交通法違反の疑いで関係先が家宅捜索を受けた[33]。その後、所属事務所と広告代理店は、略式命令を出された[34]。
その他
東京都内屈指の高級住宅街「田園調布」にある大豪邸を10億円で購入所持し、その内容がメディアに公開された。ちなみに売り物件情報によると地上3階建ての邸内にパーティルーム60畳、ゲストルーム50畳、ベッドルーム37畳を備えた坪170万〜180万円ぐらいの金額かつ約280坪あることから、土地だけで5億円近い値がつくという[要出典]。
エイベックス avex フィンガーロゴ Finger font Logo hand ハンドロゴ
エイベックス(avexgroup)Finger font Logo No.260 フィンガーフォントロゴ ハンドロゴ
今回から日本のミュージシャン編です。
一発目は、日本の音楽エンタテインメント業界の雄、エイベックス・グループの前のロゴですね。
エイベックス・グループ (avex Group) は、エイベックス株式会社(Avex Inc.)を持株会社とした日本の企業グループである。
グループの中核企業として音楽事業のエイベックス・エンタテインメント株式会社、マネジメント事業のエイベックス・マネジメント株式会社、映像事業のエイベックス・ピクチャーズ株式会社、デジタル事業のエイベックス・デジタル株式会社がある。
エイベックスの由来は「Audio Visual Expert」から[注 3]。
タグライン(企業理念)は『Really! Mad+Pure』。
創立は1988年4月11日。松浦勝人のほか4名が役員を務める「(旧)エイベックス・ディーディー株式会社」が輸入レコードの卸販売業として会社設立。1989年より顧問だった依田巽(よだ たつみ)を経営者として迎え入れ、自社レーベル「avex trax」を設立し、ディスコブームの中、「ジュリアナ東京」や「マハラジャ」のコンピレーションアルバム、「SUPER EUROBEAT」、「SUPER DANCE FREAK」シリーズをリリース、また小室哲哉とともにダンスと歌を融合させた音楽を1990年代に急成長させた。
1998年に「エイベックス株式会社」に商号変更し、1999年に東証一部へ上場。1990年代後半から2000年代前半にかけては、マネジメント事務所・株式会社ホワイトアトラス(後の株式会社アクシヴ、現エイベックス・マネジメント株式会社)を立ち上げた上で、TRFや安室奈美恵が基礎を造り浜崎あゆみを主力とし、レコード業界での一大勢力を築き上げた。
2002年、日本初のコピーコントロールCD(Copy Control CD/CCCD)を発売するも不評だったため、2004年9月CCCD運用弾力化を発表(レンタル版は2007年までは引き続きCCCDであったが現在は販売版と同様にCDDAでリリースされている。アニメのレーベルであるavex modeにおいても、一時期、権利者側の意向で販売用にCCCDを採用されていた。また、avex-CLASSICSでは原則SACD/CCCDハイブリッド仕様でのリリースにより、表向きの批判をかわしている)。
2003年から会長兼社長の依田は、同年日本レコード協会(RIAJ)会長に就任。かつては山水電気の取締役を務めるなど音楽関連の経営畑の仕事を続けてきたため、業界、政界や海外への強い影響力を持っていると言われた。しかしながら、創業者である松浦や他の役員との経営方針の対立が深刻化、松浦が退社したことで、浜崎あゆみを筆頭とする所属アーティストが移籍の動きを見せ、株価に影響を与えた[注 4]。それを受け2004年8月3日に依田は会長兼社長を辞任、名誉会長となり、同日RIAJの会長も辞任した。これにより、松浦はエイベックスに復帰を果たした。
2004年には「エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社」を設立し、ホールディングス体制へと移行。
2000年代中期より「ミュゥモ」「BeeTV」「UULA」、そして後に続く「dTV」など、レコード事業に限らず会員制の有料音楽配信・映像配信などのプラットフォーム事業を展開し、事業の多角化を行っていく。
エイベックス株式会社が出資しているディスクメーカーメモリーテックは、HD DVDプロモーショングループの幹事会員であるため、次世代光ビデオディスクはHD DVDのみを販売するという観測があった。しかし2007年10月、Blu-ray Disc・HD DVD双方に参入することを発表した。ただし現在はどちらの陣営にも参加していない。なお次世代光ビデオディスクの第1弾として、2008年1月1日に大塚愛の「LOVE IS BORN 4th Anniversary 2007」のライブDVDが発売された[8]。
グループ各社は三和銀行→UFJ銀行の流れで三菱UFJ銀行をメインバンクとしている。
上場以来、毎年株主総会後に同社所属アーティストによるシークレットライブが東京国際フォーラム、さいたまスーパーアリーナなどの大型会場で開催されていた。 そのため、ソニー等を抑えて日本一多くの株主が出席する株主総会となっていた。しかし、2010年の総会を最後にシークレットライブは開催されなくなった。
2015年、エイベックス・デジタル株式会社と株式会社サイバーエージェントによるAWA株式会社よって、サブスクリプション型音楽配信「AWA」を開始。また、LINE、ソニー・ミュージックエンタテインメント、ユニバーサル ミュージックと「LINE MUSIC」もスタートするなど、プラットフォーム事業を展開。
2017年11月に、商号をかつての「エイベックス株式会社」に変更すると共に、新ロゴを制定した[9][10]。
音楽・映像レーベル
音楽部門については「エイベックス・エンタテインメント#レーベル」を、映像・アニメソング部門については「エイベックス・ピクチャーズ#レーベル」を参照
レコード会社のエイベックス・エンタテインメントには、メインのavex trax、クラブ系J-POPのrhythm zone、ロック・レゲエ・ヒップホップなどのcutting edge、クラシック専門のavex-CLASSICSなどのレーベルがある。所属アーティストにはJ-POPやR&Bやダンスミュージックを主流とする者が多いが、最近はYOSHIKIや河村隆一や聖飢魔II、そしてD'ERLANGER、清春、ボアダムズ、the pillows、D、Janne Da Arc、J、kannivalismそしてレミオロメンや東京スカパラダイスオーケストラやTRICERATOPS、氣志團と言ったロックやミクスチャーロックやオルタナやスカを主流とするアーティストやバンドやヴィジュアル系バンドもデビューしたり移籍してきている。
映像ソフト会社のエイベックス・ピクチャーズには、メインのavex pictures、アニメ・声優系のDIVE II entertainmentなどのレーベルがある。
広島東洋カープ フィンガーロゴ Finger font Logo hand 指 ハンドロゴ
広島東洋カープ(Hiroshima Toyo Carp)Finger font Logo No.257 フィンガーフォントロゴ
カープ坊やがトレードマークですね。使用されているプロ野球球団のマスコットキャラクターとしては最古参らしいです。手を79使用
広島東洋カープ(ひろしまとうようカープ、英語: Hiroshima Toyo Carp)は、日本のプロ野球球団。セントラル・リーグに所属する。 広島県を保護地域とし、同県広島市南区にある広島市民球場であるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を専用球場(本拠地)としている。また、二軍(ウエスタン・リーグ所属)の本拠地は山口県岩国市にある広島東洋カープ由宇練習場である。
概要
特定の親会社を持たない市民球団を源流としており[注 1]、他球団と比較して特異な歴史を有する[5][6][7][8][9][10][11]。地元・広島の自動車メーカーであるマツダが球団の3分の1以上の株式を保有する筆頭株主であり、球団名の「東洋」もマツダの旧社名「東洋工業」に由来する。ただし、マツダは広島東洋カープを「持分法を適用していない非連結子会社」と位置づけており[12] 親会社としての球団への資金提供(赤字補填など)など球団経営への積極関与は行っていない[13]。その一方で、マツダ創業家である松田家一族の所有株式を全て合わせるとマツダの所有比率を上回り、議決権ベースでは過半数に達する[14]。歴代のオーナーも松田家から出ていることから、実質的には同族経営を行っているという見方もある。市民が直接株式を保有するという意味での市民球団ではないが、特定の企業に全面依存せずに経営を成り立たせているという意味では今なお市民球団のイメージを有する[15][16][17][18][19]。
永久欠番
- 3 衣笠祥雄(1988年 - )
- 8 山本浩二(1987年 - )※広島球団史上初の永久欠番
- 15 黒田博樹(2017年 - )※黒田不在期間の2008年~2014年は、黒田に誠意を示すため空き番としていた。
永久預かり[編集]
カープでは永久欠番に準ずる制度として、前任者が推薦する選手が出て来るまではその番号を空き番とする「永久預かり」制度を導入している。この制度が適用されたのは以下の通り(カッコ内は空き番だった期間)。
- 20(1995年 - 2002年) 前任者は北別府学。2002年のドラフト自由枠で入団した永川勝浩に与えられた。
- 7(2006年 - 2012年) 前任者は野村謙二郎。堂林翔太に与えられた(背番号13から変更)。なお、野村は2010年シーズンからの監督就任に際し、背番号は「77」とした。
- 9(2010年 - 2013年) 1996年から2009年まで緒方孝市が着用。2013年のシーズン終了後に丸佳浩に与えられ(背番号63から変更)、2018年まで着用した。丸がFA移籍した2019年以降は再び空き番となる。
- 1(2014年 - 2018年)前任者は前田智徳。前田智は引退時に背番号1の後継者はいるかと尋ねられた際、「しばらくはこの背番号を休ませてやってほしい」と語っていた[115]。2018年のシーズン終了後、前田智の了承を得た上で鈴木誠也の背番号が51から1に変更されることが発表され、5年ぶりに復活することになった[116]。
- 25(2019年 - )前任者は新井貴浩。新井は背番号25の後継者について、一つだけ条件を挙げ、「一生懸命やる選手。センスがあったり、技術的に高い選手じゃなくていい。チームのことを第一に考えて行動できる、プレーできる選手につけてほしい」と希望した[117]。
現在使用者が不在の番号
- 18(2016年 - )前任者は前田健太。黒田の「背番号15」とは状況が異なり、付けるに相応しい投手が台頭してきた、もしくはドラフトにて獲得出来た場合は与えるとのこと。
- 9(2019年 - )前任者は丸佳浩。前述の通り、丸が2018年のシーズン終了後に巨人へFA移籍したため、2019年以降は付けるに相応しい選手が台頭するまで空き番として扱われることになった。
- 11(2019年 - )前任者は福井優也。福井が2018年のシーズン終了後に楽天へ移籍したため、2019年以降は付けるに相応しい投手が台頭するまで空き番として扱われることになった。
歴代監督
- 1950年 - 1953年 : 石本秀一[※ 1]
- 1953年 - 1960年 : 白石勝巳 (第1次)
- 1961年 - 1962年 : 門前眞佐人
- 1963年 - 1965年 : 白石勝巳 (第2次)[※ 2]
- 1966年 - 1967年 : 長谷川良平
- 1968年 - 1972年 : 根本陸夫 [※ 3][※ 4]
- 1973年 : 別当薫
- 1974年 : 森永勝也
- 1975年 : ジョー・ルーツ [※ 5]
- 1975年 - 1985年 : 古葉竹識
- 1986年 - 1988年 : 阿南準郎
- 1989年 - 1993年 : 山本浩二 (第1次)
- 1994年 - 1998年 : 三村敏之
- 1999年 - 2000年 : 達川光男 [※ 6]
- 2001年 - 2005年 : 山本浩二 (第2次)
- 2006年 - 2009年 : マーティ・ブラウン [※ 7]
- 2010年 - 2014年 : 野村謙二郎 [※ 8]
- 2015年 - :緒方孝市
※太字は優勝達成監督





