こんにちは、けんちくんだよ。
日々、持たざる者である自分の存在を痛感していて、どうすれば求める物を手に出来るのか、毎日そんな空虚な問いを続けています。最近は、あんまり体調が良くないらしく、思考に常にモヤがかかっていて、前ほどキレのある文章や風刺的な表現が出来ず、これを書くにも時間がかかっているのですが、そんなことはどうでもいい。
タイトルに入れた通り、今日は「仕事」と「痛み」をテーマに書いていこうと思う。世間一般でいうところの「仕事がつらい」とかそういった仕事そのものを痛みとして捉え、その痛みから逃れたいという旨の論が私にはまだ、感覚的にあまり理解出来ていない。今後も理解出来るような気がしない。大した仕事をしていないから分からないのかもしれない。まだ、所詮4年と日が浅いからかもしれない。それはまだわからない。
私は仕事そのものが痛みであるならば、その痛みから逃れようとするよりも寧ろ、その痛みと向き合うことの方が楽であるように思えて仕方がない。
仕事をしていれば、社会的な評価はある程度担保され、給与が発生し、最低でも死なない程度の賃金が出る。長い連環の生命という時間の余白を、苦虫を噛み潰したような表情で消費する事が出来る。仕事をしていないと、膨大な時間の余白と向き合わなくてはならない。この膨大な余白と向き合うことの方が私にとっては辛い。それこそ、この余白を放棄してしまいたくなるほどに。
本来、考えなくていいはずの思考に囚われ、なにもかも手につかなくなってしまう。虚無の中を永遠に彷徨う幽体として生を享受しなくてはならなくなってしまう。加えて、仕事という評価軸から逸脱し、恋愛や社会性、人間性といった、より流動的な評価軸と向き合わされる。そんなことであれば、私は喜んで仕事という評価軸の犬に成り下がりたい。こういう思想そのものが弱者的であり、だからこそ、他の評価軸で評価されず闘っていけない大きな要因なのであろうと思うが、それでも私は成り下がりを選ぶ。
これはある種のリストカットであるように思う。刃物を使った身体への苦痛の転嫁なのか、仕事という社会通念上で美とされる概念を用いた思考の転嫁なのか、ただそれだけの話であるのだと思う。
所謂ワークライフバランスという概念も、あれはプライベートが充実した人間によって持ち出された概念であるのだろうと思う。私からすれば、単に苦痛の余白を増やすだけであり、何故余白を増やすのか、意図の理解に苦しむ。
余白を埋めるという観点であれば、喫煙も同じだ。正直、ロースト感がどうとか、着香がどうだとか、そんなことはさほど重要では無い。その時の気分で吸いたいものを赴くままに手に取ればいい。パッケージから取り出し、火を付けて、紫煙を吸って吐く。ただそれだけの行為そのものが、体内を蝕み黒く染め上げていくと同時に、時間という永遠にも近い余白をただひたすらに黒く塗り潰していると思うと、心安らかな気持ちになる。どれだけこれが幸せなものか、理解出来ない人間が昨今は増えているのかもしれないが、なんと不幸なことだろう。安寧というものはきっとこういうものだ。
余白を埋める手段を求めている。
莫大な余白を、愛おしい紫煙と、この益体のない文章と共に塗り潰すのだと思う。
ファッションガチ恋(22)
イントロダクション
どうも皆さんこんにちは!(大声)
22歳、新卒イキり社会人です。
今日も非常に生産性(凄惨性)が高い!!!
良い1日だったぜ~。
で、こんなブログ読んでる奴、マジで危機感持った方がいい。
この時間で何が出来る?
短い人生、君が納得する為にはどんな要素が必要だろうか?
社会に貢献せず、自分の事だけ考えて、
「自分さえ良ければ良い」
「今さえ良ければ良い」
「先のことなんてどうにかなる」
こんな短絡的かつ発展性のない思想に囚われていないだろうか?
今一度、自分を見つめ直した方が良い。
気づいた奴から明日が変わる、いつだって勝者は気づいている_
といった具合で、情報商材や薄っぺらい自己啓発本を買い漁り、実践する事も無く、単なる情報の1つとして受け流しているような奴が好みそうなコラムを書いてみましたが、本日は、このノリでけんちくんの「イキり哲学」をご紹介していきたいなと思っています。
イキりとは?
そもそもイキりってなんだよ。みんななんとなくで言葉を使いすぎである。言葉はKotono h(ouse🏡)なので、原作に忠実に用いなくてはならない、そう思っているんだ。ことの🏡くん、ほんと大好きだぜ、いつもありがとうな。
「イキりオタク!」ってけんちくんをいじってた鏡のオタクくん、元気かな?(不仲)
けんちくんよりも先に他界したらしいですが、やっぱりそういう奴は漏れなく弱者なんだなと。可愛い。余裕で同担拒否なので、全員くたばって欲しい。お前の死が俺のHAPPY。
以下、意味解説辞典より引用。(意味解説辞典 (meaning-dictionary.com)
虚勢を張ること。
「いきがる」の略だとされており、
漢字で表記すると「粋がる」または「意気がる」です。
粋だと思って得意になる、みせかけの威勢を張るという意味があります。
ほほう。という感じ。
薄々みんな気づいてたでしょ。知ってた。
上記の意味に従うのであれば、
けんちくんはずっと虚勢を張ってきたってわけ。
鏡のオタクの洞察力(笑)には脱帽である。
アイツ、弱者じゃなかったかもしれん。先輩、マジ尊敬です!
今回の記事についても、「イキり=虚勢を張ること」と定義づけて話していくよ。
イキりは必ずしも”悪”だろうか?
ここで、けんちくんはこれを読んでくれているみんなに改めて問いたい。
イキりは本当に”悪”であろうか?
本稿を読んで、考えが変わらずとも、何かしらの気づきを得てくれたらと思っています。
そもそも…
世間一般では、「イキりオタク」「イキり陰キャ」などにみられるように、
格下とされるイデオロギーの接頭語として用いられる事が多いように思われます。
イキりの意味が「粋だと思って得意になる、みせかけの威勢を張る」である以上、社会的評価と行動が乖離する局面・対象に対して用いられるのは仕方のない事ですが、そこに常に侮蔑の意が込められているのはなぜでしょうか?
一般的には、「虚勢を張る=見せかけの勢い=人間的な中身がない」と解釈される事が多いようで、これは解釈を広げれば、「人間的な中身がない=人間的価値が低い=格下である」こういったロジックで、イキりには常に侮蔑の意が付きまとうと考えられます。
しかし、ここで視点を改めて頂きたい、そういう話で。
当然であるが、必ずしも「イキり=人間的な中身ない」とは限らない。
イキっていることを判断するのは常に、内側の当事者ではなく、外側の存在である。
しかしながら、イキる動機は常に内側の当事者がもたらすものである。
イキり当人は「自分自身は価値のない人間である、故に虚勢を張る事で人間的価値を高め(誇示し)なくてはならない」と感じているが、周囲は「彼は人間的にすごく魅力的だ。」と感じているケースもあるだろう。(ドチャクソ簡単に書けば、イキリ側は自分の価値の低さを誤魔化す為にイキっているけど、実際は全然価値があって優秀ってパターンもあるよねってコト。カッコつけた文章を書き過ぎである。)
言い換えれば、これは当事者と周囲の視座の高さの違いから生まれるモノである。
本質的に捉え直せば、「意識高い系」といった用語も同じであるように思われる。
更に広げれば、当事者がイキったことに対し、真摯に向き合い、イキった姿を目指そうとする(能力の向上など)試行が伴うならば、その瞬間にイキることは目標設定&周囲への宣言へと変わるのである。実際に能力が向上するなどによってイキった姿が現実のものとなるならば、それは結果として、理想像の実現に他ならない。
ここまでを端的にまとめるならば、
イキることは、虚勢を張る事であるが、最終的に虚勢を実勢へと昇華させられたならば、それはある種の理想像の実現であり、自己実現の一種である。言うなれば、持たざる者が持てる者へと成り上がるための下剋上のマインドである。
けんちくんのような陰キャには縁のない話ではあるが、ヤンキーの強さはここに集約されているように思う。「ダチや後輩を裏切りたくない/守りたい」といった言葉の数々の根底には、「恰好良く在りたい」が常に存在しているように思う。このある種の虚勢(理想像)が彼らの強さの源泉なのではないだろうか。社会全般で言われる「ヤンキーは社会に出ても強い」という言説の解像度を上げると以上のような結論に到達するのではないだろうか。
イキり人生(笑)を経て思うこと
けんちくんは常にイキりで在りたい。当然死ぬまでである。
イキってないと死ぬ_とかではなく、イキりの真価を知っているから。
ここまで書いても、多分この感覚が分かる奴の方が少ないと思うんだ。
だってイキりきれていないから。(けんちくんもイキりきれていない)
人生の中で本気でイキる時間が人間には必要だと思う。
このマインドを早くに手に出来た方がきっと人生は上手くいく。私は信じている。
↑これに対して「幸せの価値観は人それぞれで∼」だのなんだの、講釈を垂れてくるようなタイプの人間は残念だけど一生幸せになんてなれないと思う(特大ブーメラン、I Kill)
俺は死ぬまでイキり。
歳を食おうが、どこかで今以上に恵まれる機会があったとしても。
このマインドを忘れず、いつまでも青くいたい。
全員俺のイキりで圧倒して、結果で殺してやるからよ。
首洗って待ってろよ、ボケどもが。
ファッションガチ恋(22)