こんばんは。けんちです。
あ、まだ生きてたんだ。そんな反応で合っています。正解。
本日は推しメン?の生誕祭でした。
今回で3回目。
すなわち、彼女がアイドルとして生を受けてから3回目の生誕。
僕は別になにかしたいという感情を彼女に対して抱かないので、生誕委員等はやりません。やりたい人間が勝手にやればいい。
※以下は単に感じたことを書く形で、批判では御座いません。
というよりも、アイドル/オタクの関係において、プレゼントをはじめとする、なにかをしたい!という感情そのものが、所詮ただのエゴに過ぎず、時に障害となると思っているから。が正確な気がしている。
よく、プレゼントは気持ちだ。なんて論がありますが、あれは貰った側が使うフレーズであって、あくまで贈った側へのフォローでしかないと思うんだよ。対価を払って得られる限られた時間のなかで、彼女の意図を拾って、プレゼントという形に反映させること。これが僕には出来ない。所詮なにを渡してみたところで、到底正解には辿り着けない、精度の低いただの運ゲーになってしまう。この一連の行為そのものに価値があるか?と言われると僕には無いように思えて仕方がない。
彼女の意図をきちんと反映させた生誕祭になっているだろうか?
彼女の望んだ景色をこの小さい世界のなかで見せられているだろうか?
委員ではないからこそ、生誕祭という、盲目的になりがちで、ともすればエゴが剥き出しになるイベントを俯瞰して観れるのではないか?そう思っています。というより、そもそも生誕祭とは誰にとっての祭なのか、今一度再考する必要があるのではないかと。
当事者意識を持ちすぎてウザイ。そう言われればそうだと思う。ただ、フロアも生誕祭も、オタクサイドが持つ力は大きい。そう考えた時に、僕は客なのでなにも知りません。という態度は如何なものか。そういう奴は風俗の待合室でシコってろよ。ハゲが。ここが地下アイドルという、スモールコミュニティの面白さであり、本質であるように思えて仕方がない。
話は変わって、私には、一般的に言われるアイドルとしての成長がアイドルとしての個性を殺しているように思えてならない。前述の通り、地下アイドルの本質は、スモールコミュニティであることだと思っている。このコミュニティメンバーを集める上での、絞り込み条件として、音楽ジャンルがあったり、いわゆるアイドルの系統やコンセプトがあるのではないかと。であるならば、アイドルの価値は自分自身の存在証明を通じて、コミュニティづくりを進めること。これに尽きると思う。「あつまれ、キモオタの森~あなただけの箱を作ろう~」
パフォーマンスがいいだとか悪いだとか、歌が上手いだの下手だの、それはアイドルの構成要素のうちの1つであって、アイドル自身の存在証明に直接的には繋がらないように思える。また、グループ全員が全員、そこを目指すのか?というところにも疑問が残る。
私にはパフォーマンスを磨きたい!や歌が上手くなりたい!という意思表示そのものが、常に本質からずれているように思えて仕方がない。それはある種の選考基準というか、オタクとしてグループを観た時の最低ラインが担保されてさえいれば良いように思えている(ダンスや歌で売りたいなら別)そこまで細かい違いを、床みてギャーギャーやってるオタクがみているのか?と。もちろんみている層はみているだろうが、その層ってどれだけいるの?と、今一度問うて欲しい。
歌が上手くなりました。パフォーマンスが良くなりました。だからなんだよ、と。お前のバリューはそこなのか?誰よりもずば抜けて上手いなら話は変わってくると思うが、数年やって才が見えないならば、もう他の路線で戦うしかないだろうよ。アイドルになった頃の、今よりもずっと、歌もパフォーマンスもなにも出来なかった頃を思い出してくれ。その時居てくれたオタクはなにをどう感じて、お前に対価を払っていたんだよ。全ては知らんが、数は少なかったけど、居てくれている奴は居てくれていただろ。自我を殺さないでくれ。
今の彼女からは、彼女であることの意味、彼女としての価値を全くもって感じない。固執する理由が何一つ無い。
理性と合理/感情と非合理の狭間で浮遊する存在として、僕の天秤は狂ってしまったのか?変わったのは俺か?変わったのは君か?
質については甚だ疑問だが、民意は君が正解だ。そう言っている。狂ってしまったのは、やはり私なのか。あの空間に満足出来なかった者は、彼女の周縁というスモールコミュニティにおいて必要とされないコミュニティメンバーなのであろう。
彼女そのものを楽しめなくなったのか、アイドルという大枠を楽しめなくなったのか。一体なにが楽しめないのか。
次の問いはそれだ。
