22年間飲み続けたリボトリールを1年6ヶ月で断薬し、まもなく断薬後1年9ヶ月になる余裕のKYです。
私の場合は、まだまだ22年間も飲み続けたリボトリールの後遺症は大きく、抑うつ症状が一番の問題です。
ベンゾジアゼピン系はドーパミンも増えるので、ドーパミン受容体が減少していて、ドーパミン不足による抑鬱なのです。
仮に、リボトリールを1/8にカットしたのを、4日連続で飲めば、日常生活の用事がサクサク動けると思いますが、
当然飲みません。
私の場合、自分はADHDだと思っていました。
しかし、友田明美先生の生まれつきのADHDか虐待によってADHD類似症状になっているのか専門家でも見分けがつき難いという文章を読み、徹底的に発達障害を勉強しました。
生まれつきの発達障害者の特徴として、発達性協調運動障害があります。
右手と左手、両足の協調運動を伴なう動きがとても苦手です。
ですから、野球は苦手です。
体育の授業も苦手です。
ASDの特徴として、顔の三叉神経の働きが弱いことが分っています。
ですから、ASDの人は無機質で能面のような表情をしています。
整理整頓、かたずけが苦手です。
独り暮らしの発達障害者の家に行くと、どうしたらここまで汚部屋になるのかという散らかり様です。
ただ、発達障害者でも、協調運動を伴わない、水泳や長距離走、キックボクシングなどは秀逸な人がいたりします。
虐待を受けて発達障害類似症状になった人は以上のような特徴は無いです。
うつ病になれば、汚部屋になりますが、うつ病で無い時は、整理整頓は普通にできます。
星野仁彦著 発達障害を仕事に活かすには、画像診断による、定型発達者と発達障害者の脳の違いが詳しく書かれています。
>余裕のKYさん
私も個人的には生まれつきの、
いわゆる発達障害といわれる特徴を持つ子供は
いるとは思います。
でも
別に向精神薬など必要ないと思いますし、
それなりにちゃんと成長するものだと思ってます。
いま、夜中の午前3時で、寝ていてトイレで目が覚めました。
一つ書くのを忘れていました。
今も発達障害者の人達がいるのは、人類が絶滅を防ぐための生存戦略です。
例えば、ASDの状況を写真のごとく覚えている能力は、狩猟採集時代には必要な能力だったのです。
あと、発達障害に関しては、偏った報道のされ過ぎです。
発達障害者は被害者であり、周囲の人が理解してあげるべきですという啓蒙です。
そんなことばかりではありません。
発達障害者は大いに加害者になります。
私のような虐待を受けた発達性トラウマ障害者も、自分が受けてきた暴言、暴力を周囲の人達に振るったりします。
今は、当然そのようなことはしないですが。
カサンドラ症候群という言葉があるように、健常者が発達障害の人と暮らすと精神的ストレスが過剰になり精神的不調になるのです。
ただ、発達障害を薬で抑え込むという治療は間違っています。一時的には効果がありますが、後々薬害で苦しむことになります。
あくまでも、精神療法の療育が本人にとって一番良い療法です。
Amebaブログでは、ASDの旦那と結婚して、人生を後悔していて、若い女性の人達に、ASDの男性とは結婚するなと発信しているブログもあります。
>余裕のKYさん
その通りだと思いました。
人類が絶滅を防ぐための生存戦略て、
なんだか妙に納得できました。
確かに、
ある意味、発達障害と呼ばれる特質を持った人達の方が、
本当の意味で優れてるのでは?と思うこともあります。
大多数が健常だという発想そのものが実は間違ってることだってありますものね。
確かに、
周りの人の方が参るというのわかります。
私もかつて仕事仲間に、
大人の発達障害的な方がいて、
こちらの方が参った経験がありますから(笑)
最後は自分で決める。
私は薬は借金だと思っています。
明日の自分を前借りしているだけ
で、いつかは返済しなければなら
ないし、借金ばかりを続けていれ
ば身体が自己破産するだけです。
とにかく精神薬という高利貸しか
らの返済に苦戦しているからには
他のどの薬にも融資を受けるつも
りは
まったくありません。
「薬なんかで抵抗力を弱らせて」
············「たまるもんか!」
··········「薬反対!薬反対!」
············「エイエイお〜!」
精神薬は人生の最大の教訓になり
ました。
もう薬は結構です。
懲り懲りです。
薬に人生を賭けるつもりもないし
人生に薬を賭けるつもりもありま
せん。
デパスの多幸感を求めて飲みすぎて、何故か減薬ではなく断薬で離脱症状にめちゃくちゃ苦しみました… 引越し先のメンクリで中途覚醒に悩んでリボトリール処方されて多少甘い夢を見せてくれるようになりました(マイスリー服用中) 寝る前に0.5mg×2で処方されてるけど、調子に乗って多めに飲むと多幸感は無いけど筋弛緩作用でぼーっとして何も考えられなくなる…
Mさんが生活レベルを変えずに羽振りのいい生活をしていたのは、「夫の遺族年金が月15~16万円入っている」と勘違いしていたためでした。しかし、実際の受給額はわずか月2万円。夫の遺族年金をあてにする妻は多いですが、遺族年金は老齢基礎年金(国民年金)の支給はなく、もらえるのは「老齢厚生年金」部分の4分の3だけなのです。
また、遺族厚生年金では、自身の老齢厚生年金の額を差し引いた残りの差額分を受け取ることになります。つまり、ご自身の老齢厚生年金が65万円、遺族厚生年金が90万円なら「90万円-65万円=25万円」が遺族厚生年金として受け取れる金額なのです。月に換算すると約2万円となるのは、こうした理由です。
遺族年金の仕組みを知らず、夫が受給していた年金総額の4分の3をもらえると思い込んでいる方は多いようです。Mさんは「主人は2カ月ごとに35万円ももらっていたのよ。こんなに遺族年金が少ないなんて思いもしなかったわ」と言い訳。しかしようやく、節約して暮らさなくてはならないことを自覚しました。
見た目を整えると
人に会いたくなる
といっても、自分は人と会話をするのが好きじゃないし、別にそんなに社会的交流がなくてもいいよと思う方もいるでしょう。ところが逆説的ですが、ファッションでもメイクでも、自分の見た目を整えると、少しずつですが人に会いたくなる、あるいは外に出たくなるように感じると思います。
これは「健康に良い行動変容」を外側から起こすことにつながります。
私たちの生活の半分近くは「習慣」からできているといわれています。そしてその習慣を変える、自分の心身にとって良い、新しい行動を始めようと思っても、脳科学的にそれは簡単なことではありません。変化を避けて今のままでありたいという「現状維持バイアス」がかかるからです。
例えば運動しようと思って筋トレを始めても、3日や1週間で終わってしまうことがよくありますよね。でもそれは普通のこと。
かつて「ポケモンGO」(位置情報活用で、現実世界そのものを舞台としてプレーするゲーム)がはやったときには、ゲームをする上で「歩く」ことが必要になり、これまで運動しなかった人の運動量が劇的に増えたといわれています。このように新しい行動を起こすときには、ダイレクトではないほうが取りかかりやすいでしょう。
まずは体形に合った服を
選んでみるのがお勧め
ですから、まずはとにかく「自分の見た目」を整えてみる。
その第一歩として「サイズ感が合った服を着ている人が脳が若々しい傾向にある」と述べましたが、体形に合った服を選んでみるのがお勧めです。今はオーダーメイドのスーツもお手頃価格で手に入りますから、仕事で使う服から変えてみるのも一案です。
あまりファッションに興味がなくても、雑誌やアパレルショップで働く方の服装を見るなどして、そこですてきだなと感じたスタイルを安く模倣してみるのもいいですね。それだけで印象はガラリと変わりますし、自分にもっと自信を持てると思います。
自分に合ったファッションを研究することは、脳の健康を維持する「好奇心」を高めることでもあります。好奇心が強い人は脳の萎縮が抑えられることが明らかになっているのです。
つまり、身なりを整えていると好奇心が高まり、同時に人にも会いたくなって社会的交流が活発になるという、さまざまな方面から脳が健康になる好循環に入ります。
「会話」は最も簡単にできる
幸福感を高めるもの
そして「リアルな会話」というのは、実は幸福感をも高めるのです。幸福感を高める方法はいろいろありますが、最も簡単にできるものが「会話」です。
会話の本質は「情報交換」ではなく、「気持ち(感情)のやりとり」といわれています。対面で人と話すことは言語以外の情報を多く得ますよね。声の抑揚、身ぶり手ぶり、表情などで私たちはお互いの気持ちを伝え合っているのです。そして「自分の気持ちを相手に理解してもらえたとき」あるいは「相手の気持ちを理解したとき」に、人として幸せを感じます。
ですから社会的交流が多い人は、主観的幸福感(主観的な幸福感)が高い、少なくとも低くはないといえます。主観的幸福感は、認知症や動脈硬化のリスクを下げることがわかっていますから、医学的にも健康を保つ重要な要素です。
ビジネスパーソンの方は休み明けに「また会社に行く日々が始まるのか」と憂鬱(ゆううつ)になっている人もいるかもしれません。ですが職場や仕事上でのつながりは、いろいろな方とコミュニケーションができ、主観的幸福感を高められる場でもあるんですよ。
ぜひ明日から出勤時の身なりを整え、人と会う時間を楽しみましょう。
スイーツやドリンクで疲労感を「マスキング」せず、「攻めの休養」を
寝ることだけが休養ではない――。多くの人が“睡眠一本足打法”の落とし穴にはまっている、と疲労研究の第一人者である医学博士の片野秀樹さんは指摘します。
「適切な睡眠を一定時間取るのは大切です。ただ例えば1か月間寝てばかりだと、筋力が半分に落ちるので、ずっと寝ていることは決していいことではない。それ以外の休養もぜひ取っていただきたいです」
片野さんは、「疲労」と「疲労感」を混同していることも問題だとして、両者の違いを次のように説明します。「疲労は過度の肉体的・精神的活動で活動能力が低下している状態のことで、疲労感はその状態で感じる不快感のことです」
「私たち人間は脳が発達したので、疲労感だけを“マスキング”できるんです」そして、甘いものや栄養ドリンクの摂取などで疲労感をごまかして活動を続けると、疲労が蓄積し健康を損なう恐れがあると警告します。
では、どのように休養すればいいのでしょうか。片野さんは積極的に休みを取りに行く「攻めの休養」が重要だとして、3つのグループに大別できる7つの休養タイプを提唱しています。
まずは生理的休養に分類される3タイプ。「休息タイプ」は体を安静にすること。「運動タイプ」は散歩や体操など軽い運動で血行の循環を促進すること。「栄養タイプ」は食事を抑えめにしたり、冷たい飲み物を控えて白湯などを飲んだりして、消化器官を休めることです。
心理的休養にも3タイプあり、「親交タイプ」は家族や近しい他者と会話をしたり、森林浴などで自然と交わったり、動物と触れ合ったりすること。「娯楽タイプ」は映画やゲームなど、好きなことに程よく没頭すること、「造形創造タイプ」は日曜大工や料理など何かを作って、ストレスから自分を切り離すことを指します。
社会的休養である「転換タイプ」は、旅行や机の整理、模様替え、また服を着替えたり、オフィスの違う席に座ったりすることなど、体の「皮膚の外」の環境を変えることだといいます。
休養タイプの組み合わせ方と「オフファースト」という発想
「複数の休養タイプを組み合わせることが効果的です」と片野さん。例えば、公園を散歩しながら友人と会話を楽しむことで、運動、親交、転換の3つの休養タイプを同時に取り入れることができます。
夏海@夏海のお部屋
2013年の秋から向精神薬の減薬を始め、
2014年の元旦に完全断薬しました。
完全断薬までに19年間うつ病で、
障害者手帳も取得して、障害者就労支援の施設にも通いました。
私は一生薬を飲んで生活をすると覚悟をしていましたが、
でも、薬を飲むことをやめることができ、
うつ病も卒業しました。
うつ病は 生活習慣病です。
うつ病にならない為に、
うつ病を卒業する為に、
2度と再発をしない為に
私の経験がお役立てればと思います。
筋肉が認知機能の低下を防ぐ鍵であることが判明©Getty Images
運動と食事が、実際に認知症やアルツハイマー病などの深刻な神経疾患を予防できることをご存知だろうか?研究によると、レジスタンス運動や筋力トレーニング、持続可能な筋肉量の増加は、最も深刻な脳の病気を発症するリスクを大幅に低減することが示されている。筋肉量を増やすことは、運動と食事の両方に関連した課題である。持続可能な筋肉量を築く鍵は、漸進的な過負荷運動に基づいた戦略的なワークアウトプランを作成し、同時に十分で質の高い脂身の少ないタンパク質源を摂取することに重点を置いた食事を実践することにある。
フェロモンと聞くと匂いをイメージする人が多いかと思いますが、実はフェロモンは匂いとして知覚されているのではありません。フェロモンは無意識下で私たちの脳に直接働きかけ、ホルモン分泌を促します。それによって身体が反応するのです。そのため、フェロモンが影響を与えているのも潜在意識だと考えられています。
少し具体的にお話ししましょう。我々人間の身体は、鼻の粘膜にある嗅覚神経で匂いを感じ取り、その信号を脳で認識することで「くさい」「いい匂い」などの判断をしています。一方、フェロモンは鼻の先端にある小さなくぼみ「鋤鼻(じょび)器官」で感知し、性欲やホルモン分泌などを司る脳の視床下部が反応するというメカニズムで伝わります。フェロモンは嗅覚とは少し違うということがお分かりいただけるでしょうか。
また、フェロモンは1グラムの1兆分の1程度の極めて少量でも効果をもたらすものが多く、それ自体はほぼ無臭であることからも、嗅覚とはまったく異なるものであることがわかりますよね。
■人間のフェロモンの発見
前述のように、動物たちにはフェロモンがあることが昔からわかっていました。しかし、人間の持つフェロモンに関する研究が進んだのは、意外にも50年ほど前のことでした。
リボトリール (クロナゼパム、ランドセン)
難治性疼痛のコントロールにリボトリール0.5~1mgがしばしば使われる。数日後に蓄積性の眠気を生じることがあるが、大きな副作用はなく、不眠がある場合には使用しやすい治療薬である。
クロナゼパムはベンゾジアゼピン系薬と呼ばれる種類の薬で、「脳の神経興奮を鎮める物質」の働きを強めることによって、異常な興奮を抑える作用がある。つまりベンゾジアゼピン受容体を刺激することで、神経細胞の異常な興奮を抑える作用を持つ。
神経の興奮にはNa+、Ca2+、Cl-などのイオンの動きが関わっている。Na+、Ca2+は興奮性のシグナルで、Cl-は抑制性のシグナルである。元々細胞内はマイナスの電荷を帯びており、ここにプラスの電荷をもつNa+が細胞内へ流入すると、細胞内の電荷がプラスへ転換される。この現象を脱分極と呼ぶ。脱分極が起こることで、神経の興奮が伝わってゆく。一方、マイナスの電荷をもつCl-が細胞内へ流入すると、先ほどとは逆に、細胞内がマイナスへ傾き過ぎてしまうため、なかなか脱分極が起らなくなる。つまり、神経興奮が抑えられてしまうことになる。体には「Cl-」の流入に関わる受容体」が存在しており、これをベンゾジアゼピン受容体と呼ぶ。ベンゾジアゼピン受容体の刺激作用が刺激されれば、Cl-が細胞内へたくさん入ってくるようになり、異常な神経興奮を抑制できるようになる。なお脳の神経でCl-がたくさん流入するようになると、脳機能の抑制、つまり、鎮静作用が起こる。そこで主な副作用としては眠気(13.9%)やふらつき(7.6%)などが知られている。
認知症の人にこれだけは絶対してはダメなこと
危険を察知する能力、怖いものを怖いと思う感覚も、認知症を発症してからかなりあとの段階まで残りますし、むしろ、危険を回避するための防御反応は高まります。
私はこれまで3000人以上の認知症の方を視てきましたが、徘徊中に転んでしまった人はいても、道で車にぶつかったという人は一人もいませんでした。車にぶつかるのは危険なことだと認識する能力は残っているからです。
私が高齢者医療の現場である浴風会病院に勤務していた当時は、年間100例ほどの解剖が行われていましたが、その結果判明したのは、85歳を過ぎると、脳にアルツハイマー型の神経変性がない人は一人もいないということです。
つまり、認知症は誰もが罹患するもの。病気というより老化現象の一つです。高齢になって体の機能が衰えるのと、何ら変わりはありません。
そして老化であるがゆえ、その進行速度もゆっくりしたものですし、個人差があります。
一番避けたいのは、認知症だからといって悲観的になり、家に閉じこもってしまうことです。頭と体をしっかり使うことで、認知症の進行は遅らせることができます。
ですから認知症になったときこそ、意識的に以前と変わらない生活を送ることが重要です。無理に行動を制限するほどに、進行は早まってしまいます。
私自身、医師としてたくさんの高齢患者さんを診察してきましたが、一人暮らしをしている人ほど、認知症の症状は進みにくいことがわかりました。それは、いろいろな家事をするなかで、必然的に頭を使うからです。日常生活を送るというのは、思っている以上に脳を働かせるものなのです
認知症の方が一人で暮らすのは不可能なのでは? と思う方もいるかもしれませんが、先に述べたように、認知症になると防御反応が高くなるため、多くの場合、食事の用意なども自分でしっかり行います。食べることは自分の生存に関わることだからです。
認知症になっても、できることはたくさんあります。その「できること」を失わないように、残存機能をとことん活用し続けることが大切なのです。
認知症のポジティブな面を知っておく
「認知症にだけはなりたくない」と、認知症になることがこの世の終わりかのようにとらえている人は多いと思いますが、認知症になってもまだまだやれることはたくさんありますし、医師の見解としては、ポジティブな面も大いにあると思っています。
認知症の症状が進んだ人ほど、嫌な記憶がなくなるせいか、ニコニコと温和な性格になり、多幸感にあふれているような印象を受けます。老人ホームなどでも、患者同士でレクリエーションを楽しんでいたり、職員とにこやかに会話をしていたりといった光景をよく目にします。
周囲がいくら不憫に思っていたとしても、当の本人が幸せでいられるのならば、それに勝るものはないのではないでしょうか。
また、かつては偉そうな態度だった人も、認知症が重くなると、いつしか誰に対しても敬語で丁寧に接するようになっていきます。
先にお伝えしたように、認知症になると防御反応が高まりますから、失敗やトラブルを起こさないように、相手が誰かわからなくても、ひとまずあらゆる人に丁重に接しようという意識になるのです。結果的に、朗らかでソフトな印象を与える、まさに理想的なシニアになっていきます。
認知症は誰もが経験する老化現象であることに加え、このような側面も持っています。であればこそ、「なったらなったでよい面もあるかも」という意識を持つことで、過度に怖れることはなくなるのではないでしょうか。
(初公開日:2024年11月2日)
医者の言いなりにならない賢さを持とう
60代以上の方の関心事といえば、老いや病気に関するものが圧倒的に多いのではないでしょうか。
誰だってできれば老化もしたくないし、病気にもなりたくはありません。けれど生きている以上、人は老いていくし、病にもかかります。そういったなかで、それらとどのように向き合うかという姿勢は、人生の質そのものに関わってくると言えるでしょう。
ここではそういったことを踏まえ、私が考える「老いや病気との知的な向き合い方」をお伝えしていきたいと思います。
読者の皆さんのなかには、かかりつけの病院がある方も多いかと思います。
ここで改めて振り返ってみてほしいのですが、その医師の言う通りに薬を服用して、調子は悪くなっていませんか? あなたが抱える疑問や不安に対し、その医師は雑な対応をとったりしていませんか? あなたの体質や状況を加味することなく、「とりあえず薬を飲んでおけば大丈夫」という雰囲気を出していませんか?
もし思い当たることがあるのなら、その医師を疑ってみてください。そしてその人が不機嫌になるのを承知の上で、診察の際、質問してみたり、臆せず自分の意見や希望を言ってみたりしてみるのです。メモをとったり、録音したりするような姿勢を見せると、医者も横柄な態度はとれず、丁重に対応しようとするのではないでしょうか。
それでも自分が安心できるようなコミュニケーションがとれないのなら、別の病院を探すことを視野に入れてみましょう。
多くの方が、医者という存在を絶対的なものだと思い込んでしまっているように感じます。どの病院に行っても、変わらず最善の治療が受けられるものだと信じている人は少なくないでしょう。
けれど、決してそんなことはありません。医者は万能ではないし、彼らの言うことは絶対ではないのです。
本当に有益かわからない薬でも杓子定規に処方するケースが
経験のある方も多いでしょうが、病院が効率重視に陥り、一人ひとりをじっくり診ることができなくなっているというケースは多々あります。その人の状態をつぶさに観察することなく、ひたすら数値を正常値に戻すことに必死になってしまう。そのために、その患者にとって本当に有益かどうかわからない薬であっても、杓子定規に処方するのです。
私は、安易に薬に頼るべきではないと思っています。
もちろん、風邪や頭痛などが辛いとき、一時的に力を借りるぶんには問題はないでしょう。しかし、長期にわたって薬を飲み続けることで、内臓の機能が衰えていくことも考えられますし、多剤服用のリスクもあります。
ですが、医者がこういった薬の副作用について話すことは多くありません。
高齢になるほど薬の副作用は出やすくなるものですから、薬を飲んで体調が悪くなったのであれば、時には薬を捨てる勇気も必要になってくると思います。
血圧、血糖値、コレステロール値……大切なのは、血眼になってこれらの数値を正常値に戻すことではなく、自分の体からのサインに目を向けることです。
私は血圧が最大220ですから、高血圧とされる140をはるかに超えています。それでも医者から処方された通りに薬を服用することはありません。指示通りに薬を服用して無理に血圧を下げてしまうと、頭がボンヤリしてしまうからです。
そのため、自分で薬の量を調整しながら、おおよそ170あたりを維持できるようにコントロールしています。
また、血糖値に関しても放っておくと600くらいになります。正常な血糖値は140未満と言われていますから、こちらも平均よりかなり高い状態ですが、処方された通りの量は飲まず、運動をすることで300くらいまで下げています。
薬を服用して無理に正常値に近づけようとし、不調になるくらいなら、たとえ将来的に病気になるリスクがあったとしても、今、心地よく毎日を過ごすことのほうが、私にとっては重要なのです。必要以上に健康を気にして我慢を強いられる生活を送るよりも、長生きにこだわらず、死ぬまで楽しく、自分らしく生きたいと思っています。
自分が受ける医療は自分で決めていいと私は思います。それは、自分がどう生きたいかということにそのままリンクするでしょう。
あなたの医者は、あなたの人生観や死生観を理解しようとしてくれる人ですか?
大事な命を任せるに足る人でしょうか?
常にそんな問いを持ってみてください。医者の言いなりにならないということは、シニア世代を迎えた私たちの人生の質を向上させる、大切な知性だと思います。
医者も病院も、自分で見極め、選ぶ
それでは、自分にとってよい病院、そしてよい医者とは、どのようにして見分けるのでしょうか?
まず先にお伝えしておきたいのが、恐ろしいことに、日本の医師は、患者のその後の人生については考慮せず、「死にさえしなければなんでもいい」と思っている人が圧倒的に多いということです。
彼らは、自分の病院を訪れる患者の生活の質がその後どれだけ低下してしまうか、どのような後遺症が残るのかといったことには、残念ながら関心を示しません。また時には、患者よりも、自身のメンツを優先することも往々にしてあります。
そういったなかで、患者の想いや不安にしっかりと向き合い、適切な治療を施してくれる医者に巡り合えるかどうかは、非常に重要です。
よい医者と出会えるか否かで、心身の健やかさや安定感、そして人生の幸福度は大きく変わってくるでしょう。
信頼できる医者の条件の一つとして、ことさらに標準的な数値や方法にとらわれるのではなく、患者一人ひとりの状態に合わせた、柔軟な治療ができるということが挙げられます。「基準値至上主義」の医師は信用できないと私は思っています。
たとえば薬を処方したあとは経過観察を丁寧に行い、この患者さんは薬の量を減らしたほうがよいようだとか、この方は血圧が多少高くても調子がよさそうだなどと、患者さん一人ひとりの状態を踏まえながら、柔軟に対処すべきです。
実際に私も、「先生に処方された薬を飲んだら調子が優れない」などと患者さんから言われれば、すぐに量を減らしたり、別の薬に替えたりします。そのようなことを繰り返しながら、その患者さんにとって最適な治療法を見つけていくのです。
また、特定の疾患や臓器だけを診る、というスタンスの病院は推奨しません。その人の年齢、体質、その他の持病などといった要素も考慮しながら総合的な治療を施してくれる病院を探しましょう。そういった意味では、個別の臓器を専門的に診ることが多い大学病院は、高齢者にとっては最良の選択とは言えないと感じています。
そして主治医は、話すと気持ちが楽になるような、通院するのが楽しみになるような人であることが大切です。心身を健康にするための病院で、不安やストレスを抱えてしまっては本末転倒でしょう。
場数を踏めば、相性のよい医師と出会える可能性もそれだけ高くなります。
医者も病院も、自分にとってベストな選択肢を自分で見極め、選ぶ。それはシニアに求められる大切な知恵だと思います。
健康診断を絶対視する必要はないと理解する
健康診断の結果に一喜一憂したり、不安をあおられたりしている方も多いことと思います。そのような方には衝撃的かもしれませんが、私は、健康診断の数値を絶対視する必要はないと思っています。
その理由は、検査結果と実際の健康状態がリンクしていないから。数値が異常でも健康な方はいますし、その逆で、数値が正常でもあっても病気にかかる人もいます。
このような現象が起きる理由は、日本の健康診断は、相対評価によって「正常」の数値を設定しているからです。健康とみなされる人たちの数値から平均値を割り出し、その95%の範囲内に収まる人を「正常」、そこから外れる人を「異常」とします。
つまり、例えば「コレステロール値が異常」という結果が出た場合も、あくまで平均値から外れたというだけのことであり、明らかに病気になるというエビデンスがあるわけではないということです。
健診では何十項目という項目を検査されるかと思いますが、そのなかで病気との明らかな因果関係を持つのは、血圧や血糖値、赤血球数など5項目程度ほど。それ以外の項目に関しては、明らかな異常値ではない限り、将来的に病気になるというエビデンスはないのです。
コレステロール値に関しては、高いほうが免疫力が上がり、がんになりづらくなることがわかっています。また、血糖値を無理に下げようとすると、低血糖になり、意識障害のリスクが高まります。また、血圧を下げ過ぎると転倒の危険性が高まります。
こういったことを加味せず、やみくもに正常値を追いかけることは危険です。健康診断を受けるより、脳ドックや心臓ドックを受けるほうが、突然死につながる恐れのある病気の発見に役立つので、よほど価値があると言えます。
(初公開日:2024年10月28日)
---------- 和田 秀樹 (わだ・ひでき) 精神科医 1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)、『60歳を過ぎたらやめるが勝ち 年をとるほどに幸せになる「しなくていい」暮らし』(主婦と生活社)など著書多数。 ----------
認知症患者の60%以上がアルツハイマー型認知症
認知症とは「脳の神経細胞の働きが衰えることで認知機能(記憶、判断力など)が低下し、社会生活に支障をきたすようになった状態」です。ひと口に認知症といっても、その原因や病状はさまざまで、大きく4つに分類できます。
※本書はアルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症の方を対象としています。
アルツハイマー型認知症
認知症の中で最も患者数が多く、脳血管性認知症との合併型を合わせると全体の60%以上を占めます。脳の神経細胞にたまった「アミロイドβ(ベータ)」というたんぱく質が神経細胞を壊し、脳の萎縮(縮む)が起きて発症します。
特徴と症状
・昔のことは覚えているが、最近のことは忘れる
・軽い忘れ物のような症状から始まり、行動そのものを覚えていない
・時間や場所の感覚がない、徘徊(はいかい)、失禁、性格の変化
レビー小体型認知症
レビー小体という特殊なたんぱく質が脳にたまり、脳の神経細胞を破壊することで発症します。レビー小体が脳にたまる原因は未解明です。
特徴と症状
・現実にはないものが見えるなどの幻視の症状
・妄想に発展し怒り出す
・うつ病や睡眠時の異常行動
・手足の震えや体のこわばり、歩行障害
脳血管性認知症
認知症全体の約20%の患者さんがこのタイプです。脳梗塞などの脳血管障害によって脳細胞への血流が阻害され、脳細胞の一部が死んで発症します。
特徴と症状
・障害を起こした脳の部位によって症状は異なる
・歩行障害、手足のしびれ、言葉が出にくい、意欲低下、不眠
・血管障害を再発する度に症状が重くなる(再発しなければ進行しない)
前頭・側頭型認知症
脳の前頭葉や側頭葉が萎縮することで発症します。50~60代に多く、10年以上かけてゆっくりと症状が進行していくケースがほとんどです。
特徴と症状
・感情の抑制が利かない
・万引きなど社会のルールが守れなくなる
・性格がガラリと変わる
・時間や場所にこだわり、同じ行動を頑固に続ける
【出典】『認知機能改善30秒スクワット』著:本山輝幸
この本にも載ってるアランの名言 。
(アランはフランスの哲学者)
「悲観主義は気分に属し、楽観主義な意思に属する」
物事を悲観的にとらえるか、楽観的にとらえるか、
それはその人の「性格」で決まると思いがち。
しかし、
数多くの名言を残したアランの見解は違います。
「楽観主義」は自然に備わるわけではなく、 意志の力によるもの だと強調しました。
仕事がうまくいかなかったときや人間関係で落ち込むことがあったときに、
気分に任せていると、どんどん悲観的な考えが浮かんでくる。
「大丈夫、きっとなんとかなる」といった楽観的な考えを抱くためには、
意志の力が欠かせません。
逆に言えば、
楽観的でいたいという意志さへあれば、
どんな時も大丈夫!!
アランはほかにも
「幸福だから笑うのではない。
笑うから幸福なのだ」
「我々は現在だけを耐え忍べばよい。
過去にも未来にも苦しむ必要はない。
過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないだから」
など、
幸福に過ごす秘訣を多く授けてくれてます。
このアランの名言から引き出される結論は!
「悲観主義から逃げられない人は、望んでそうしている節もある」 です。
不幸アピール
可哀想アピール
この手のアピールで他人の気を引こうとする人は必ず
存在します。
ある意味、卑怯者。
精神科医の和田秀樹氏によれば、研究費を得るために積極的に治験を行いたい医局は、製薬会社にとって不都合な事実を隠すのだという。それゆえに、製薬会社のMRの営業トークにおいて医者たちは薬の副作用にはほとんど興味を持たないのだ。製薬会社との癒着にまみれ、「学会ボス」が牛耳る歪んだ医療界の実態を暴く。本稿は、和田秀樹(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。
医局の教授たちは逆らえない
「学会ボス」とは?
喉から手が出るほど研究費が欲しい医局にとって、頼らざるを得ないのが「治験」です。
治験というのは、新しい薬を国に認可してもらうために行う臨床試験のことですが、それが実施できる医療機関は全体の10%ほどとかなり限られていて、その半数くらいは大学医学部の附属病院です。この治験が回ってくれば、依頼元の製薬会社からかなりの額の委託研究費を受け取ることができます。
つまり、治験が割り振られるかどうかは医局にとっての死活問題なのです。
実は循環器科とか、呼吸器科といった各科の治験の責任者となり、どこの大学病院に治験を割り振るかを決めるのは、多くの場合、各学会でボス的な存在となる限られた大学医学部の教授です。
このような「学会ボス」の半数くらいは東大医学部の教授が占めていて、残りの半分もそのほとんどが慶應大、京大、阪大といった、入試偏差値でいうところの難関医学部の教授たちです。
既存の学説こそが絶対正しいと言い張ったり、これまでの常識を覆すような研究データや新しい治療法を潰そうとしたりする「力のある医学部の教授たち」の多くは、まさにこの学会ボスたちのことです。
学会ボスに嫌われたりすれば、自分たちの医局に治験が回ってこなくなって資金源が途絶えてしまい、医局は危機に瀕します。だから医学部の教授たちはみな、学会ボスの言いなりとなり、内心ではおかしいと思っていても、ニセ常識に従うしかなくなってしまうのです。
そもそも単なる個人である学会のボスが治験の責任者を務めるということ自体、製薬会社と癒着してくださいといわんばかりの構図です。
製薬会社に不都合な事実は
出さないのが医局の“マナー”
報酬がどういうかたちのものかはわかりませんが、彼らのほとんどが大学教授の給料だけでは決してできないような贅沢な暮らしを送っているのは事実です。
治験を割り振られる医局にとっても製薬会社は資金源なので敵に回したくはない相手です。そういう意味でも製薬会社に有利なように治験のデータが改ざんされるようなことは絶対にないとは言い切れないと思いますが、万が一、不都合なデータを何度も出してくるような医局があったりすれば、学会ボスの判断でそこには二度と治験を回さないようにすることだって不可能ではありません。
治験に限らず、自分とつながりのある製薬会社にとって不都合な事実が医局から出てくるようなことがあれば、そこに圧力をかけることもできる でしょう。
実は私が東北大学の老年内科の非常勤講師を任期途中でクビになったのは、『週刊文春』に骨粗しょう症の薬の批判を書いたことがきっかけでした。当時の学会ボスから東北大学の教授宛てに電話がかかってきたようです。
これ自体は20年以上前の話ですが、薬の副作用の危険性の問題などがいまだに重要視されることがないのは、製薬会社が損をしないように学会ボスが常に目を光らせるという状況が今も続いている ということなのでしょう。
このような癒着が生まれないようにも、薬の認可が降りるまでの一連の手続きは、アメリカのFDA(Food and Drug Administration:食品医薬品局/保健福祉省に属する政府機関)のような独立機関が担うべきです。
それに加えて、医局が研究費を製薬会社に依存しなくて済むような環境を整えれば、学会ボスや医局と製薬会社の癒着が生まれにくくなり、薬の過剰処方という問題の解決にも近づくのではないでしょうか。
日本の医者は薬の副作用について
積極的に知ろうとしない
原則的には保険会社が医療費を負担するアメリカでは、無駄な薬が出されるようなことは起こらず、必要最低限の種類と量しか処方されません。
保険会社だって余計なお金は出したくないので、医療機関がやみくもに薬を出そうとしても、「その薬が効くというエビデンスを出せ」とか「複数の薬を併用すると効果があるというエビデンスを出せ」などといって、簡単にそれを認めないのです。
エビデンスといっても、単に血圧が下がったというレベルのものでは認められず、例えばその薬を飲むことで5年後の脳卒中の死亡率が下がったなどという統計上のしっかりとした根拠が求められます。
また、アメリカの医者が副作用について熱心に勉強しているという背景もあります。
日本の多くの医者が副作用についてあまり真剣に考えないのは、薬の副作用によって患者さんが亡くなるようなことがあっても、医者は罪に問われないからだと私は思います。
訴えられるのは製薬会社だけで、医者のほうは「ガイドラインに沿って処方しただけだ」と言い逃れることができ、副作用のことを知らなかったことに対して驚くべきことに何の咎めも受けないのです。
アメリカの場合はそうはいかず、その薬の副作用のせいで患者さんの体に危険が及んだりすると、製薬会社だけでなく、処方した医者も「副作用の認識が甘かった」という理由で訴えられます。
だからアメリカの医者は薬の副作用に対する知識を蓄える努力を決して怠りません。
私がアメリカに留学していたときも、製薬会社の営業担当者(MR)から新しい薬を売り込まれると真っ先に副作用について聞く医者たちの姿をたくさん見ました。
当時の日本では通常、MRとは接待とかゴルフの話ばかりしていて、医者がMRに質問することがあるとすれば、その薬のいいところだけ だったので、その違いに大きな衝撃を受けたのをよく覚えています。
副作用の知識があれば、できるだけ処方する薬の種類を少なくしようという意識が働くのは当たり前です。日本の医者が何種類もの薬を平気で処方できるのは、副作用についての知識が乏しいことの証拠でもあるのです。
学会長を務めることに
異常に執着する医学部の教授
医学部の教授たちが学会ボスに逆らえない理由は実はもう1つあります。
全国にいる医学部の教授にとって、一世一代の晴れ舞台となるのは年に1度開かれる自分の専門科での最大規模の学会(学術大会)を地元で開き、そこで会長を務めることです。
ただし、全国には82もの医学部があります。しかも50歳前後で教授になっても65歳くらいで定年を迎えますから、任期中にその夢が叶う確率は決して高くはありません。先ほど書いたような一流大学の医学部の教授のほうが選ばれやすい傾向もあるため、それ以外の医学部の教授の場合はその確率はさらに低くなります。
この貴重なポストである学会長を誰に任せるのかを決めているのが、やはり学会ボスなのです。 医学部の教授たちが学会ボスの言いなりにならざるを得ないのにはそういう理由もあるのです。
なぜ、そこまでして学会長を務めたいのか。
その理由は私にもよくわかりません。
正直、儲かりませんし、医局医も総動員ですごく手間なので、そうなると残るは名誉欲のためだとしか思えません。要するに、医学部教授にまで上り詰めた人というのは、人より偉くなるとか、トップになるということに対する執着が恐ろしく強い人たちの集まりであるということなのでしょう。
入試面接を廃止しない限り
医療界の変革は起こり得ない
医局に残りたい人間は、教授批判も医学部批判もできません。また、既存の教授の方針に反するような新しい治療法の提案もできません。そうやって悪い意味で目立ってしまえば、既存の教授陣から総スカンを喰らって、出世の道は閉ざされるからです。
そもそも既存の教授陣の方針というのはより権力のある学会ボスの方針でもあるので、医局の異端児になるような人間は学会からも嫌われます。だから、この大学の医局は自分に合わないから別の大学の医局へというようなことは現実的に難しく、そういうケースは極めてまれです。
つまり、学会ボスも含め、既存の教授陣がごっそり入れ替わらない限り、現状を変えたくても変えられないのが大学医学部の実態 なのです。
しかも、次の教授を選ぶのも既存の教授たちによる教授会なので、たとえポストが空いたとしてもその椅子に座れるのは、既存の教授には逆らわないタイプの人間です。
これではいつまで経っても医療の変革など起こりようがありません。
もちろん「これはおかしいのではないか」と内心では感じていて、本当は異を唱えたいのに、状況的にそれができないという人が医局の中にそれなりにいるのであれば、ひょっこりクーデーター的なことが起こる可能性もゼロではないでしょう。『ヤバい医者のつくられ方』 (和田秀樹、扶桑社)© ダイヤモンド・オンライン
けれども残念ながらその可能性は極めて低いと思います。
そういう異分子になりそうな人間は、入試面接の段階で排除され続けているからです。
そのうえ、私のように現状の医学部を批判している人の子弟も面接で落としている疑惑もぬぐえません。
つまり、多くの人たちが他人事だと考えている医学部の入試面接の制度を廃止しない限り、日本の医療界の変革は起こり得ないのです。
2022年3月にアメリカの裁判所で、
ファイザー社のワクチン治験データ公開命令が下されました。
アメリカの非営利団体が訴えた結果です。
そこには、
ワクチン接種が始まった頃には完全に伏せられていた膨大な副反応のデータが記載されてました。
また、
ワクチン接種による自己免疫疾患のリスクや免疫力低下の可能性にも触れられていました。
これは衝撃的な事実です。
あえて日本の大手メディアは報道しなかった のでしょうね。
政府の信用問題になりますから。
内海聡は著書「新型コロナワクチンの正体2 」の中でこう述べています。
自己免疫疾患のリスク、免疫力低下をコロナワクチンは引き起こすのであるから、
昨年あたりから話題になっている「ターボがん」と
呼ばれる急速に進行するガンもワクチン後遺症の一つといえます。
普通、
初期ガンがわかってから、それが末期ガンに進行するまでは短く見積もっても2〜3年はかかる。
ところが、
最近はそれが1ヶ月やそこらで進行する人が増えてるそうです。
実際に、
この2,3年でガンとわかってからあっという間に進行して亡くなった芸能人や著名人多かったですよね😱
ターボガンは陰謀論だとメディアは切り捨ててます。
しかし、
現場の医師達は知ってることでしょう。
実際に目にしてるわけですから。
帯状疱疹がやたら流行りましたが、
これも間違いなくコロナワクチンによる免疫力低下が
原因でしょうね。
いずれにしろ、
ここ2,3年内に起きている異常なことは、
コロナワクチンが影響してる可能性は否定できないですよね。
接種回数が増えるほど、
免疫力低下などのリスクが高まり、
死者が増える。
なんだか世紀末感 がありますねぇ。
ここで再度振り返ってみます。
減薬を始めたのが2020年10月から。
その時点で服用していたものは、
2020.10
サインバルタ 20×1
カルバマゼピン 100×1
炭酸リチウム 200×3
トラゾドン 25×2
リボトリール 0.5×1
ベルソムラ 15×1
要した歳月は4年4ヶ月。
最も困難だったのは、ベンゾじゃなく
オピオイドの再来と言われている
サインバルタ(デュロキセチン)でした。
いや~、これは実に大変でしたね。
「もう一生止められないのではないか」と
思い詰めた時期もありましたが、
何度か断薬にトライしていく内に
コツが分かって来て、
自分の身体に合うやり方で止めることが
出来ました。
だから今減薬中の方も、
諦めずコツコツゆっくり時間を掛けて
やっていけば、必ず止められます!
完全断薬を果たして思うことは
色々ありますが、向精神薬が私に及ぼした害は
生涯死ぬまで消えることはありません。
その傷(心も身体も)に生涯苦しめられるのです。
ミトコンドリアは母方、すなわち卵子からだけ遺伝して、精子のミトコンドリアは子孫に伝わらないというのは誰もが知っている事実だが、なぜと問われると、よく理解していないことに気づく。ずいぶん昔、精子にミトコンドリアはあっても、ミトコンドリアDNAが欠損しているという論文が発表されているが、その後あまり追求されていない。逆に、ミトコンドリアがマイトファジーで破壊されるとか、今はやりの説明が行われているが、決定的ではない。
2013年に難病・スティッフパーソン症候群の疑いで入院し、車椅子生活となった作家の中村うさぎさん。女性であることをテーマにした著書を数多く執筆してきた中村さんですが、病気になったことで「女であること」に変化があったといいます。(全4回中の4回)
ファスナーが上がらないなら、シリコンを抜けばいい
── 中村さんはこれまで、「女性であること」をテーマに作品を書かれてきました。2013年にスティッフパーソン症候群のような症状を発症して入院後は、夫の介護が必要な状態になりましたが、この病気を通して考え方に変化はありましたか?
中村さん: 退院直後ぐらいまでは、女性として美しくありたいとか、女性として価値を認められたいという気持ちがまだあったんです。いつか歩けるようになったら、遊んだりデートをしたいなって思っていました。だから、治療で使ったステロイドの副作用で体重が増えたときはショックでしたし、見た目が変わっていくこともかなり気にしていました。でも今は、女性としてどうこうという感覚はまったくなくなりましたね。
── 美容整形で胸に入れたシリコンも抜去したと聞きました。
中村さん: 足が不自由になって動かなくなったぶん、消費カロリーがすごく少なくなって太りやすくなったんです。60代になって基礎代謝も落ちてきたんですが、私は食いしん坊なので、今まで通り食べていました。そしたら洋服が入らなくなって。普通の人だったら「痩せればいいじゃん」って思うかもしれませんが、私の場合、「シリコンを抜けばいいじゃん」と考えたんですよね(笑)。胸がひっかかって、背中のファスナーが上がらないからシリコンを抜きました。
── シリコンを抜去することに、迷いはなかったのでしょうか。
中村さん: なかったですね。ひとりでトイレに行けなくなってからは、しばらくオムツを履いていましたから。その時点で、今後恋愛とか誰かと性的な関係を持つことはないなって思っていました。だからもう胸もいらないかって。退院して間もないころは、デートしたいとかそんな欲求もまだあったんですけどね。異性と食事に行って、いい雰囲気になってお泊りすることになったけど、「どうしよう、私オムツ履いてる!」って焦る夢を見たりもしました。
── 今は、そのような夢を見ないんですか?
中村さん: 見ないですね。今は自分で歩けるようになったから、オムツは必要ないんですけど、オムツが本当に便利で今でも使用しています。病気になる前からトイレが近い体質だったので、外出しているときやお腹が痛くなると、いつもハラハラしていました。でも、今は外出していても「オムツがあるからいいか」っていう安心感があるんです。あまりにも快適すぎてオムツが手放せなくなってしまって、持ち歩いています。普通のパンツじゃなくて、オムツを選んだ時点で、私は女として生きていないなと思ったんですよ。だから、胸を抜くことに関してもなんのためらいもなかったですね。
減薬を始めたのが2020年10月から。
その時点で服用していたものは、
2020.10
サインバルタ 20×1
カルバマゼピン 100×1
炭酸リチウム 200×3
トラゾドン 25×2
リボトリール 0.5×1
ベルソムラ 15×1
要した歳月は4年4ヶ月。
最も困難だったのは、ベンゾじゃなく
オピオイドの再来と言われている
サインバルタ(デュロキセチン)でした。
いや~、これは実に大変でしたね。
「もう一生止められないのではないか」と
思い詰めた時期もありましたが、
何度か断薬にトライしていく内に
コツが分かって来て、
自分の身体に合うやり方で止めることが
出来ました。
だから今減薬中の方も、
諦めずコツコツゆっくり時間を掛けて
やっていけば、必ず止められます!
はじめに
ヒトには加齢と共に動脈硬化症の発生,進展がみられ,40〜50歳以降になると大動脈の硬化度は加速的に進行してくる。しかし隣を走る大静脈には最後まで同じような硬化性変化を認めることはない。大動脈硬化症の程度がどうであろうと,年齢がどうであろうと関係ない。われわれが動脈に認めているような硬化症は起こらない。高齢者でもその静脈内面は正常の肉眼所見を示す(図l)。この理由を最新の知見に基づく今日の動脈硬化成因説で説明することはできない。その秘密の多くの部分は壁の形態と機能を維持している両平滑筋細胞の性格の中にある可能性が高い。すなわち両血管平滑筋細胞のathero—genesisに対する比較研究は両血管の壁在因子の相違を明らかにすることになり,atherogenesisに対する動脈壁の特異性を浮き彫りにすることになろう。こうした観点から,われわれは色々なモデル実験を行ってきたが1〜13),最近の知見も交えて,この点について,私見を述べてみたい。
10日間の勾留が決定した広末涼子容疑者© (C) スポーツニッポン新聞社
服用薬が事故やその後の傷害事件に関係したことについて、医師で医療ジャーナリストの森田豊氏は「薬剤性せん妄という精神症状があります」と可能性の一つに挙げた。
せん妄とは、脳が機能不全を起こした状態で軽い意識障害や注意障害を中心にさまざまな精神症状が起こる。ボーっとしたり、興奮したり、人が変わったように不機嫌でイライラしたりする。
その中で、睡眠薬や抗不安薬、麻薬性鎮痛剤、抗ヒスタミン薬(抗アレルギー薬)などの服用が原因で起こるのが「薬剤性せん妄」だ。広末容疑者は自身のファンクラブサイトで、抗アレルギー薬にあたる花粉症の薬を処方されたことは発信していた。
森田氏は「最近の花粉症の薬では薬剤性せん妄は起こりにくいので、可能性としては低い」と指摘。しかし、これらの薬を「過量に摂取したり、急に中断したことで症状が出ることがある。気分安定剤や鎮痛剤では投薬中断すると離脱症状としてせん妄が出ることがある」と話した。