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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

一文字変えるだけで意味合いがまったく異なることがあります。

 

不登校の子は「学校に行けない」と考えていることが多いように思います。

 

しかし視点を変えてみれば、実際は「学校に行かない」と考えるほうが妥当なことも多いように感じます。

 

「け」と「か」の違い

 

もちろん行きたいのに行けないという部分もあるでしょう。

しかしいじめや教師の加害などトラウマ関連事案の場合はその人の心が本能的に自己防衛として「危険な場所から離れる」という選択をしているともいえます。

よく不登校の子に「心が弱いからだ」とか「そんなことでは将来うんぬん」と説教じみたことをいう人はいますが、もしもそのまま学校へ行き続けたら心が壊れるとしたらどうでしょうか?

 

いくら世界でNO.1の心理カウンセラーや精神科医でも治せるとはかぎりません。

一例ですが、一般にもよく知られている「うつ病」は現状では治癒はなく、寛解どまりまでしか改善できません。

寛解に至っても再発したり、あるいはその不安にさいなまれることもあります。

 

そういう意味において、危険因子から離れるのは爆発した火山から一刻も早く離れることと同じです。

自分は強いからと言って溶岩流に突っ込んでいく人間は強いのではなく、ただただ愚かでしかありません。

漫画やアニメではよくあるパターンですが。

 

現実化をしてはいけません。とくに他者へはなおさらです

 

なので「体=本能」が、あるいは心の奥底にある無意識が、シンプルに危険を避けているだけなのです。

 

逃げではなく、避けているのです。

 

頭の上から植木鉢が落ちてくればどんなに屈強な人間でも避けます。

 

なので「け」ではなく、「か」なのです。

 

ただそこは無意識レベルの部分を含んでいるので本人だけではコントロールが効きません。

ここが不登校の子の悩みどころでしょう。

しかし対処法はあります。

 

とても大雑把な言い方ですが、それが「心を整える」です。

 

 

「心の状態が整う」というのはどのような過程でなされていくのでしょうか。

 

もちろんその人の心の状態や問題の種類などで違いはあります。

また心理療法のスタイルでも違います。

専門書でも療法の種類ややり方などは説明されていても改善過程はあまり詳しく書かれてあることは見かけないでしょうか。

専門家は当たり前のようになっていてわざわざ書かなくてもという部分があるかもしれません。

しかし意外とどのように自分の心が変化し、良くなっていくのか、イメージができない方も多いようです。

 

あくまで一例ですがすこし書いてみましょう。

今回はあえて軽めの事例(創作のイメージ典型例です)にしておきます。

 

例えば学校の友人5人とこれまでは仲良くやっていました。(すくなくともクライアントはそう思っていた)

ところがある日から友人たち4人の態度に違和感をおぼえるようになりました。

・話しかけても反応が薄い。一人はほとんど無視。

・休日に遊びに行った話をしているが自分は誘われていない。

・移動教室のときなどにこれまでは一緒に移動していたのにいつのまにかほかの4人はいない。

 

など。

 

この段階で友人関係としてすでに何かは起こっています。

 

この段階のカウンセリングではとにかく話を聞いていきます。

クラス内、部活内、仲の良い友人、仲の悪い友人、担任教師、とくに小学校高学年~の女の子の場合などは原因に恋愛がからんでいることも多いものです。

 

1、違和感の原因を探る。

 

結果がある以上、原因はかならずあります。

「わからない」「みつからない」ことはあっても、原因がないということはあり得ません。

 

例えば「恋愛」が原因の場合。

 

よくよく話を聞いていくとじつは無視をしていた友人には好きな男の子がいる。

 

しかしクライアントの中ではまだ「無視」と「恋愛」が心の中で結びついていません。

 

ただ話を聞いていくとその男の子とクライアントは小学校が同じだったこともありよく話をすることがわかる。

たいていはそうやって話を聞いていくと友人は男の子とクライアントの仲に嫉妬していたり、変な勘繰りをしていたりする可能性があるのではないかと気づいてくる。

 

そうやって「整理」しつつそれとなく友人関係をクライアントにもよく見てもらうようにすると四人のうちの一人が、やはり無視していた子がクライアントと距離をとるよう残りの3人に影響力を使っていたことを教えてくれる。

 

ここでカウンセラーは「こうすべき」と決めつけはしません。

 

あくまでその子の意思を尊重するからです。

 

ただ「選択」の必要はあります。

 

大雑把にわけると、

 

1、もうこのグループは信用できないので距離を置き、同じ部活の子やちょっと仲のいい小グループのほうと仲良くする。

 

2、やはり誤解はときたいので無視している子と話し合いたい。どうするかはその後に決める。

 

3、とにかく仲直りしたい。

 

こんな感じでしょうか。

 

ここに正解はありません。

どれもが不確定ですし、問題もはらんでいます。

例えば1を選択する子は意外と多い印象ですが、ほかの子やグループと仲良くできる保証はありません。

2は実際に話し合いをする前に成功率の高い話し方(Iメッセージの手法など)を教示はしますが、誤解が解けるかどうかはクライアント以外の子の人格や性格などが大きく影響します。

3は当然ながら相手次第という部分がより強くなります。またほかの選択肢を選べない場合はクライアントのこの集団へのなんらかの依存心が問題となる可能性もあります。

 

ただどれを選択するにしてもトライ&エラーで試すしかありません。もちろん事前準備は念入りにしますが。

 

「試せる」

 

すくなくともクライアントをこのような心理状態にまでは持っていくことになります。

 

不登校状態の場合、「もう無理」ないしは「混乱状態」(なんでこんなことに、というような心理状態がぐるぐる回るような状態)なので、当然ながら心の力が弱いか整っていないので試しても失敗率が高くなります。

これはスポーツなどでも精神状態が不安定だと失敗する確率が高くなるのと同様です。

 

このようなケースは比較的シンプルですが、問題を整理して、対処法をさがし(通常は複数)、心の状態を安定化させるのです。

 

なにか行動を起こす前に「心を整理」したほうがよいのは自明のことでしょう。

とはいえ本人はこういった心理過程も通常は意識しません。

 

なんとなく自然とこうなった。

 

こんな感覚のようです。

常にクライアントの心に寄り添って、クライアント自身が選択し、行動できるような心理状態へ徐々に整理していったからです。

 

いわゆるアドバイスとは違うのです。

 

単純なアドバイスは多くが選択を本人ではなくアドバイスした人がして本人は追認しただけだったりします。

なので失敗したときにその責任を他人(アドバイスした人)に押し付けがちになるのです。

 

本人の心はなにも変わっていない。

 

ここが一番の問題ともいえるでしょうか。

 

文章ではなかなかうまく表現できませんが、心理カウンセリングがうまくいったときクライアントの方本人は「なぜか良い結果になった」というような感覚になるものなのです。

 

「心の状態を整える」

 

言葉にすると簡単ですが、人の心理状態はまさに千差万別です。

 

心理療法もいくつものスタイルがあります。

それでもすべての問題を改善できるわけではありません。

 

心理学を学ぶと人の心がなんとなくわかった気になります。

そしてとても嬉しくなります。

たしかにある部分は理解できます。

 

しかし理解できたとしても改善方法が確立されていない分野もあります。

そもそもクライアントの方の心理的防衛が強すぎて理解にまで到達できないこともあります。

心理カウンセリングを一年継続できればかなりの改善が見込めても、経済的理由という単純な原因で数回でリタイアになってしまうケースもあります。

たしかに安いとは言えませんが、数年から数十年の悩みから解放され、残りの人生がより自分らしく、楽に生きられるとしたら正直客観的に見れば安いと思います。

それでもその部分はカウンセラー側からはどうしようもありません。

 

未成年者の場合は家族(主に親)の協力がそういう点でも必要ですが、心理カウンセラーや心理カウンセリングへの不信感から拒否されてしまうケースもあるでしょう。

実際、「心理職なのに」→「話をまったく聞こうとしない」「パソコンをカタカタ操作していただけ」「カウンセリング中に政治の話(自分の話)をしはじめる」など問題のあるケースもあります。

ただ最初の面接(インテーク面接)や初期の面接では私も断りはいれますが、クライアントの方のファイルにいろいろと書き込んでいきます。

それは初期段階では情報がなさすぎるので、後で一人になったときや次回カウンセリング前に情報を整理して改善のために効率の良い状態に自分をしておきたいからです。

まずはその人を知りたいのです。

なので十数ページに一気にバーッと書き連ねることもでてきます。

 

ちなみに日常の悩み(知人・友人関係のこじれといった悩み)なら自分の場合1回のカウンセリングで解決してしまうケースが多いです。

しかし長期の複雑性PTSDの場合や病理が深く潜んでいる場合などは改善の方向性を見誤らないためにも初期の情報はできるだけ多く取得しておいたほうがよいと思っています。

当然書きながらも思考はフル回転状態です。あらゆる精神的問題や心理状態をいくつも想定してふるいにかけていくようなこともしています。外からは見えませんが。

なので心理カウンセリングは自分のスタイルもありますが、とても疲労します。

クライアントの方からはそうは見えないかもしれませんし、不必要にそういった部分は通常見せませんが、心理カウンセリングはカウンセラー側の精神的負担はかなり大きいものです。

 

しかし突然自分の興味のある政治の話や思想・宗教の話を始める人、そもそも話を聞かない人は疲れることもないでしょう。

 

そういう人物(心理カウンセラー)を実際に知っているだけに「心の状態を整える」ために心理カウンセリングを受ければよいと単純にはいえません。

正直、相性もあります。

ただ数回(数人)であきらめずにチャレンジはしてほしくは思います。

それは心に何か問題があるのならば、そこを改善したほうが良いのは自然の理、自明の理だと考えるからです。