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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

「良い学校」でも不登校は起こります。

 

なぜなら3人以上の人間が関われば、確実にトラブルが起こるからです。

 

社会性のある動物である人間はそのことから完全には逃れられません。

仮に一人になっても、今度は孤独感が襲ってくるかもしれません。あるいは同年代の他者と比べてしまい劣等感を抱くかもしれません。

 

不登校は環境が主たる原因のこともありますが、本人に主たる原因が存在することもあります。

次回は、そのお話をします!

前回は「学校」の負の側面をかなり強く書きました。

でも、大げさだとは思いません。

自分の経験上からも社会に出たのちに知り合った人の中と、学校の中と、どちらにより人格的に問題がある人物の比率が多かったかと考えると、正直なところ教師に問題を感じたケースが多いように思います。

 

とはいえ「良い学校」「良い教師」もいます。

 

その大前提は「子供を守ろう」という人権意識の強い校長がいる学校です。

 

どんな組織もそうですが、トップが駄目だとやはりどうしても組織全体が腐るようです。

 

必然、子供、人ではなく、学校=組織を守る校長は高リスクということになります。

 

いじめの隠蔽、加害者擁護の校長はその典型例です。

 

良い学校はどこかうわさ話も穏やかです。

 

とはいえ上っ面だけという可能性もあります。

そこで問題がないか聞くと、けっこういろいろ出てはきます。

やはりどこにも問題はあり、いじめの類もあります。

ただ「誰かが加害者をいさめます」

教師のこともあれば、友人間でということもあります。

 

問題解決能力=自浄作用があるのです。

 

だからこそ「問題」についてもオープンなのでしょう。

 

この問題解決能力のない校長の学校は、隠します。

隠蔽ですね。

なのでうわさ話もどこかおどろおどろしい空気感をもちます。

そして「当校はいじめ0」などと宣言します。

 

いや、いじめなんか三人いればどこでも発生します。

問題は「いじめがないこと」ではなく、「いじめが起こったらすみやかに解決すること」です。

現実を見誤っている「いじめ0」宣言は、その0という結果を達成するために「いじめがあってもなかったことにする」=隠蔽となるわけです。

そしてその空気感がいじめをさらに誘発するわけです。

もはや悪循環で、時間経過とともにより悪化する。

 

「あまりにきれいごとを言い、うまい話をする人間には気をつけろ」

 

通常は詐欺師関連でいわれることですが、「学校」問題でも当てはまるように思います。

 

とはいえ最近は発達障害に詳しい先生など良い先生の話も聞きます。

 

なので0か100かの白黒思考はよくないとは思います。

 

ただひどい話も報道ベース以外でも耳にすることがあるのは事実です。

最近では教師間のいじめの話も聞きました。

結局、いじめられた側の先生は教職から去ったようです。

穏やかで優しそうな人でしたが、たいていいじめられる側はそういった人です。

そして加害側は「なぜ?」というような攻撃性を持った人物です。

この構図はほとんど変わらないように思います。

 

これまで不登校の対処ルート3つのうち三番目の「心理状態を改善してその子の意思で学校へ行く」を第一選択としていますし、これはいちばんリスクが低く安全でいわば王道の対処法だと私は考えています。

実際、時間がかかるとはいえ早ければ2,3か月~数か月で変化は現れます。

 

ただ「学校へ行かない」という選択肢もきわめて重要なものと考えています。

 

それはそもそも「学校」という空間は場所にもよりますが、子供にとって高リスク空間なのではないかと感じることが多いからです。

 

それはいじめ事案で学校、教師、教育委員会が加害者側につき、被害者側をないがしろにするケースが多い、そもそも最近も盗撮という刑事犯罪をする教師の件が隣の市で起こったことなどからも明白なように教師に小児性愛者が多いのではないかと言われている点、親が教師だからなっただけの世襲教師=無能、優しい教師がパワハラでうつ病にさせられ自殺する件などふつうに考えて危険度が高すぎる印象が強いからです。最近では広島の高校野球部でのいじめ、暴行、性加害が疑われる案件もありました。

挙げればきりがないほどです。

それでもこれまで既存の「学校」が維持されてきたのは「教育」「学習」において代替策がそうはなかったからでしょう。

しかしいまやYouTube、学習塾はじめ学ぼうと思えばいくらでも学校以外で学ぶことはできます。

そもそも学歴も大学が問われるだけなのでとりあえず高卒資格さえとれれば問題はないのです。

 

そういうと「コミュニケーション能力を高めるのには直接他者と関わる経験が必要だ」と力説する人がいます。

 

それはそのとおりです。

 

しかし、学習(「勉強」だけでなく広い意味で)にはマイナス効果の学習もあります。

 

例えばですが、いじめの横行する空間、しかも管理責任者である教師が無責任で放置、それどころか加害側にたつような場所で学べることは何でしょうか?

 

「人は信用できない」

 

それもかなり強烈な不信感です。

これは逆にコミュニケーション能力を低下させて、かつモチベーションも低下させて本来の学習能力もより低下させてしまうでしょう。

しかもこれは負の記憶として卒業後も、下手をすれば数十年間も継続します。

これは不幸なことです。

 

このような負を与える教育機関はむしろマイナスの存在であり、存在理由がありません。

例えば先述した野球部。(情報が事実なら)

もちろん悪環境の中でも人間性を保てる強い人間もいますが、多くは「朱に交われば赤くなる」のように悪環境に染まって悪い方向性へむかう、例えば仕事環境などでもパワハラ気質になるなど社会にとっても悪影響を及ぼすでしょう。

 

もしもそのような悪環境ならば、そこから離れ、別の場所へ行くほうが結局は長い人生においてはプラスのほうが多いのは当然です。

しかも良くも悪くも感受性の強い子供の時期ならば尚更です。

自分は二十代のころに学習塾で働いていましたが、ある中2の担当になったときに強い違和感をおぼえたことがありました。

学年全体がどこかよそよそしいのです。

同僚などに話を聞いてみると常にそんな感じで、その理由もわかりました。

小学校時代に彼らは学級崩壊を複数回経験していたのです。

その経験は「大人への不信感」を学習させたのでしょう。

すでに数年が経過しているのにも関わらずです。

子供との信頼関係を築くのが得意な講師でも基本的には変わりませんでした。

そして、学年全体の学習向上度(業者テストなどで常にチェックしている塾でした)も他学年よりも常に低かったのを覚えています。

 

正直、マイナスの学習をするくらいならばそこは避けたほうが良いというのが私の考えです。