不登校の主たる原因が本人にある場合(遠因としては他人も関わっています)もあるというお話をしました。
トラウマ事案であっても、その主たる原因がトラウマ事案そのものよりも本人の性格的要因などに強く影響されている場合などです。
「繊細さ」
これはコインの裏と表のように、本人にとって良い面と悪い面があります。
良い面は、繊細であるがゆえに他者が気づかないようなことにも気付ける、他人の心の動きに敏感なので経験をつむほど共感能力が高まる、その繊細さがデザインなど創作方面で生きる、などです。
一方、悪い面としては気働きが多すぎて精神的に疲労する、とくに他人の心の動きを読みとるのは精神力をたくさん使うので毎日のように他人と接すると精神的疲労が激しい、自分の心の動きにも敏感なので悪いサイクルに入ると抜け出られなくなる、などです。
悪い面をみると不登校のお子さんの特徴が重なりそうです。
他人(親などからみても)からは些細な出来事にしか感じられないエピソードしかないのに、なぜか学校にいけない、他人と関われない。
こういう場合、「繊細さ」というその子の特性に注目することはよくあります。
この場合、まずは信頼関係を築き、とにかく話を聞けるだけ聞きます。(この段階は心理カウンセリングでは目に見えませんが最重要な部分だと考えています。ここが強固だとまず失敗しません)
そして些細とおもわれるエピソードも一つずつ検証します。
この時に絶対にやってはいけないことは「常識」というものさしを使うことです。
大人の日常生活においてこの常識というものさしは簡単で、便利です。
しかし、こういったケースでのものさしは「その人自身がどう感じたか、考えたか」です。
いくつかのエピソードを聞き、検証すると「共通項」が見えてきます。
それは、さまざまです。
例えば、「なんとなく人が多くいるといや」という場合。
直近のエピソードには原因らしきものがみつかりません。
本人もなぜ人と接するのが嫌なのか、認識はしていません。
髪型や服装なども平均よりもずっと気を使っているし、外見に問題があるようにみえない。
と、「普通」ならこの部分を切り捨ててしまうかもしれません。
平均よりもずっと気を使っている=拘っている
その理由をそれとなくまた聞いていきます。
するとある段階できっかけとなったエピソードが出てくることがあります。本人はこの時まで忘れています。
あくまで一例ですが、多くの人の前で級友に服装のことを「馬鹿にされた」ことがあった、などです。馬鹿にしたのは親、教師、親戚など多岐にわたります。
しかしその馬鹿にされたというのが「今日の服、ちょっとサイズが小さいんじゃない」という程度のものだったりしてどうやら相手の子は悪意があったのではなく「動きにくそう」とむしろ心配しただけのようなケースです。
周囲はとくに気にも留めていない、そういったエピソードもその一回きり、など客観的にはいじめや嫌がらせなどではなく、日常のよくある会話。
それでも問題なのは「その子がどう感じたか、考えたか」です。
ここで「繊細さ」が発動し、自分自身を苦しめるようになった。
この時の恥ずかしさが服装への過度の気遣いとなり、その服装への評価が常に気になるようになる。
しかし、親しい友人なら「今日の服装どうかな?」などと聞けますが、クラスメート全員には聞けません。それが全学年、全校などとなったら、もう不可能です。
なので自分の心の中で他者からの評価を推測します。
最初のうちは「大丈夫」と自分に言い聞かせられても、不安は残ります。不安は残ればたいてい増大していきます。
そして「自分は他人からどう見られているのか」という不安=怪物と精神的に戦っていくようになります。毎日です。
疲弊していき、心の力も弱まっていきます。
そのせいでより不安感は増していきます。
悪循環です。
この頃には自己評価はかなり低くなっているでしょう。
ただ原因がわかれば改善していくことはできます。
大事なことは「常識」というものさしを使って判断しない、その子に寄り添って心の動きを把握する、信頼関係を構築してから心の深い部分に入っていく、です。
すると小さなエピソードも多くは「他人からの評価」についてのものだったり、いわば「他人がいる環境自体がストレスで苦痛」という状態だったりという状況がわかるわけです。
「なにもない」ように見えても、いわば「その子と他者との空間そのものがその子にとっては苦痛」という状況もあるわけです。
「なにもない」と即断してはいけないのです。
※これはよくある問題の一例です。具体的なクライアントの例ではありません。当方は守秘義務を大事にしていますので!