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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

もう「学校」は始まっているでしょうか。

 

夏休み期間中は、不登校の子も「みんなも休み」ということからいくらかは気分が楽だったのが周囲が学校へ行くとなると焦りや自己嫌悪など負の感情が沸き起こってくるかもしれません。

 

しかし、誰もが一か月ちょっとの期間=夏休み、「学校へ行かなくともどうということはない、問題ない」ということは証明されてしまったわけです。

ここは「考え方」次第です。

 

まだまだ学歴は問われます。

しかし、それは大卒かどうかという類のことです。

小学校、中学校は自分の知るかぎり卒業資格は得られます。

高校進学も今は不登校枠のある高校、高卒資格のとれるフリースクールなどもいくつも選択肢があります。

 

一か月、二か月休んだところでじつはどうということはないのです。

 

ただ「学習」の遅れは気になるでしょう。

 

ただその多くは自主学習でもじゅうぶん補完できます。

 

1、本を読む=漢字の読み書き能力、文章読解能力など国語力がつきます。

2、ドリルなどで計算式などはやる。

3、英語、理科や社会は暗記が多いので覚える。

 

基礎部分だけでもやっておくと取り戻しやすくなるでしょう。

 

そして自分なりにでもこういったこと(努力)をしておくと自信になりますし、自己否定感が強くなるのを防げます。

 

とはいえ、無理や強制はダメですが。

 

今はYouTubeなどの動画やサイトでも勉強はできますし(やる気のない学校の先生よりもずっとわかりやすい)、個別塾も多いです。

とくに親御さんは学習の遅れを心配しがちですが、そんなものは事前に対処はできますし、いくらでも取り戻せます。

大事なことは子供の自己否定感を最小化し、まずは次のステップへ進む準備をすることだと思います。

 

かならず改善や回復には段階がありますので。

「逃げる」ということに異常なまでの拒否反応を示す人がいます。

 

「逃げるのは弱いだけだ」とか「根性で乗り切れ」とか昭和時代に思春期を過ごしたおじさんはいまだによく言います。

 

しかし、火山が爆発し溶岩流がせまってきているのにその人は逃げないのでしょうか?

大きな岩の落石が起こり、自分のすぐ脇に落ちてきているのに何トンもの大岩を受け止めるつもりなのでしょうか?

 

きっとそういう人もすぐに逃げます。

そうしなければ命を落とすだけです。

 

では、なぜそういう人は「逃げる」ことに極端な拒否反応を示すのでしょうか?

 

よくあるパターンのひとつは体育会系スポーツなどで「理不尽なことも受け入れろ」的な指導を受けて、それを反面教師とせずに全面的に受け入れたケースです。

 

「自分は嫌な思いを散々して暴力も暴言も侮辱もいじめもあらゆる人格否定を我慢してきた」

 

とくにそのやり方でいちおう成功した場合、そういったパワハラやセクハラ(最近も高校野球でありました)指導を否定するのはよほどメタ認知能力が高く、地頭がよく、精神的に本当の意味での大人の人でなければ無理なのでしょう。

 

だからたいていはパワハラ指導を受けた人は同様か、それ以上にひどいパワハラ指導者になるのです。

 

その心理にはおそらく「自分自身を否定したくない」という自己弁護が働いています。

自分を守りたいだけ。

 

「今の自分があるのはあの厳しい指導があったおかげだ」

 

この手の人がよく言うセリフです。

 

しかし自分が知る限り、今のスポーツ心理学(自分の専門ではありませんが)ではこのような指導方法は否定されていると思います。

それは「恐怖心」で行動するのでむしろパフォーマンスの低下をもたらすからです。

 

「失敗したくない」

「失敗したらひどい目にあう」

 

そういった心理は、体を防御的にして縮こまらせてしまいます。

また、恐怖心から行動目的が「勝利すること」よりも「失敗しないこと」が上位にきてしまいます。

創造的なプレーがどんどんできなくなります。

 

しかし一定レベルまでは「強くなる」かもしれません。

 

それは強固な恐怖心から失敗をする確率が減る部分はあるからです。

 

ただこの点にも問題があります。

 

ひとつはマイナスはある程度減らせても、プラスの上澄みはない点です。

 

もうひとつは「恐怖心」はむしろ失敗を誘発することも多い点です。

 

あくまでバランスですが。

 

よくあるのが格闘技でもなぜか相手を見ずにやたらとセコンド(指導者)の方ばかりを見る選手、集団競技でも同様なケースが見られることがありますが、けっこう大ポカをやらかすケースがあるように思います。

 

本来、集中すべき相手ではなく、身内の指導者の顔色ばかりうかがう。

 

この癖がつくと、きっと集中力の低下や想像力(イメージ力)の低下、過度の緊張状態から不必要な筋萎縮が起こって運動バランスの悪さを脳が学習してしまう、など技術力や運動機能の向上さえマイナスに作用しかねません。

 

こういった心理過程はブラック企業などでも起こるでしょう。

 

最悪はうつ病になってしまう、回復の難しいトラウマを抱えてしまう、など長期にわたる問題を抱えてしまいかねません。

 

私は、うつ病は現状において寛解はできるけれど完治はないのだからまずはうつ症状の段階で心療内科などへ行き、投薬含めて悪化しないよう伝えます。

「我慢しましょう」などとは絶対に言いません。

我慢した結果、数年どころか数十年苦しむことがふつうにあるからです。

 

トラウマも話だけ聞くと簡単に改善できそうですが、深刻なものは(単発のもの、複雑性のもの含めて)そう簡単ではありません。

時間、精神力、治療費など多くの犠牲が必要です。

 

なので「逃げる」という選択肢は極めて重要なのです。

 

不登校事案においても同様で、いじめ空間に長期にいるのは問題なのです。

複雑性PTSDの改善は簡単ではありません。

いじめ問題の場合、いじめ加害者はもちろんですが、管理者(教師など)が積極加害(いじめに直接加担)はもちろんのこと放置する場合も間接的にせよ加害行為になります。

被害者からみれば「自分を見捨てた」「スケープゴートにして加害者を守った」と思うのは当然なので「放置」は最悪の対処法のひとつです。

そのような悪空間は毒ガスの充満した部屋のようなものなので早めに退避すべきなのです。

不登校の主たる原因が本人にある場合(遠因としては他人も関わっています)もあるというお話をしました。

トラウマ事案であっても、その主たる原因がトラウマ事案そのものよりも本人の性格的要因などに強く影響されている場合などです。

 

 

「繊細さ」

 

これはコインの裏と表のように、本人にとって良い面と悪い面があります。

 

良い面は、繊細であるがゆえに他者が気づかないようなことにも気付ける、他人の心の動きに敏感なので経験をつむほど共感能力が高まる、その繊細さがデザインなど創作方面で生きる、などです。

 

一方、悪い面としては気働きが多すぎて精神的に疲労する、とくに他人の心の動きを読みとるのは精神力をたくさん使うので毎日のように他人と接すると精神的疲労が激しい、自分の心の動きにも敏感なので悪いサイクルに入ると抜け出られなくなる、などです。

 

悪い面をみると不登校のお子さんの特徴が重なりそうです。

 

他人(親などからみても)からは些細な出来事にしか感じられないエピソードしかないのに、なぜか学校にいけない、他人と関われない。

こういう場合、「繊細さ」というその子の特性に注目することはよくあります。

 

この場合、まずは信頼関係を築き、とにかく話を聞けるだけ聞きます。(この段階は心理カウンセリングでは目に見えませんが最重要な部分だと考えています。ここが強固だとまず失敗しません)

そして些細とおもわれるエピソードも一つずつ検証します。

この時に絶対にやってはいけないことは「常識」というものさしを使うことです。

大人の日常生活においてこの常識というものさしは簡単で、便利です。

しかし、こういったケースでのものさしは「その人自身がどう感じたか、考えたか」です。

いくつかのエピソードを聞き、検証すると「共通項」が見えてきます。

それは、さまざまです。

 

例えば、「なんとなく人が多くいるといや」という場合。

 

直近のエピソードには原因らしきものがみつかりません。

本人もなぜ人と接するのが嫌なのか、認識はしていません。

髪型や服装なども平均よりもずっと気を使っているし、外見に問題があるようにみえない。

 

と、「普通」ならこの部分を切り捨ててしまうかもしれません。

 

平均よりもずっと気を使っている=拘っている

 

その理由をそれとなくまた聞いていきます。

 

するとある段階できっかけとなったエピソードが出てくることがあります。本人はこの時まで忘れています。

 

あくまで一例ですが、多くの人の前で級友に服装のことを「馬鹿にされた」ことがあった、などです。馬鹿にしたのは親、教師、親戚など多岐にわたります。

 

しかしその馬鹿にされたというのが「今日の服、ちょっとサイズが小さいんじゃない」という程度のものだったりしてどうやら相手の子は悪意があったのではなく「動きにくそう」とむしろ心配しただけのようなケースです。

周囲はとくに気にも留めていない、そういったエピソードもその一回きり、など客観的にはいじめや嫌がらせなどではなく、日常のよくある会話。

それでも問題なのは「その子がどう感じたか、考えたか」です。

ここで「繊細さ」が発動し、自分自身を苦しめるようになった。

 

この時の恥ずかしさが服装への過度の気遣いとなり、その服装への評価が常に気になるようになる。

しかし、親しい友人なら「今日の服装どうかな?」などと聞けますが、クラスメート全員には聞けません。それが全学年、全校などとなったら、もう不可能です。

なので自分の心の中で他者からの評価を推測します。

最初のうちは「大丈夫」と自分に言い聞かせられても、不安は残ります。不安は残ればたいてい増大していきます。

そして「自分は他人からどう見られているのか」という不安=怪物と精神的に戦っていくようになります。毎日です。

疲弊していき、心の力も弱まっていきます。

そのせいでより不安感は増していきます。

悪循環です。

 

この頃には自己評価はかなり低くなっているでしょう。

 

ただ原因がわかれば改善していくことはできます。

 

大事なことは「常識」というものさしを使って判断しない、その子に寄り添って心の動きを把握する、信頼関係を構築してから心の深い部分に入っていく、です。

 

すると小さなエピソードも多くは「他人からの評価」についてのものだったり、いわば「他人がいる環境自体がストレスで苦痛」という状態だったりという状況がわかるわけです。

 

「なにもない」ように見えても、いわば「その子と他者との空間そのものがその子にとっては苦痛」という状況もあるわけです。

「なにもない」と即断してはいけないのです。

 

※これはよくある問題の一例です。具体的なクライアントの例ではありません。当方は守秘義務を大事にしていますので!