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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

心理問題に関わる時、常に頭にあることのひとつが表題の「最悪のルート」です。

 

この「最悪のルート」はその人の状態や病態などによりある程度の予測がつきます。

 

改善するときは「そこからいかに外れるか」というのが重要です。

 

不登校の場合は何が「最悪のルート」でしょうか?

 

「学校へ行かない」ことではありません。

 

とくに今の時代はネットでいくらでもある程度の高度な学習はできますし、通信制含めて高校卒業資格もとれます。

 

問題は「長期のひきこもり」となってしまうことです。

元々ひどく傷ついて部屋の中に逃げ込むことができた=極度の不安から一時的とはいえ安心感の得られる環境にたどり着いた人たちです。他者への恐怖や不信感は相当です。

それは仕方のないことです。

ただ「長期化」は問題です。

なぜなら「経験」を失い、無意識レベルで自己評価を低くしてしまい、自己否定感を強くしてしまうからです。

しかもこれは慢性の毒のような側面もあって、それが一気に噴き出すのは数十年後だったりします。

三十代後半から五十代にかけて突然親を攻撃、最悪は殺害してしまう事件の中には「長期の引きこもり」のケースがあります。(もちろんそうではないケース、例外もあります)

これは「自分の人生を壊したのは自分をこんな嫌な世の中に生み出したおまえら(両親)だ」というような感情が醸成されてしまうからかもしれません。

そしてその感情の裏には怒りや憎しみ、恐怖や不安の他に、悲しみや絶望感もあるでしょう。

いまさら学校へ行けない、就職もできない、結婚もできないし、恋人も、友人も作れない。そしていずれは自分の生活の基盤である親も老いて、死ぬ。

破滅することへの絶望。

自暴自棄の状態になり、破滅的な行動を突発的にとってしまうのでしょう。

 

これが不登校をきっかけに長期化したひきこもりになり、中年という状況に気づいた場合に少なからず起こりうる「最悪のルート」です。

初期対応で誤ると、このような長期化したひきこもりのルートにはまってしまいます。

 

ほんの数十年前は「とにかく見守りましょう」という傾向が強すぎて実質「放置」の状態になり、そこから「最悪のルート」を辿ってしまうことが多かったように感じます。

なぜそうなるかというと、そのほうが本人も、親も、(一時的なはずですが)楽だったからです。

本人は「自分の見たくない部分を見なくていい」「好きなゲームやネットが好きなだけできる」「嫌な思いをしなくて済む」など。

親は「下手なことを言うと逆切れされる」「最低限の世話だけで一日が過ぎる」など。

 

最初は誰にでも起こるような心理や行動です。

 

しかし、当人はそれがいつのまにか「強固な逃避行動」となり、ネットやゲームの世界へどっぷりはまって現実が減っていく。まるでギャンブル依存の人間が毎日24時間ギャンブルのことしか考えられなくなる「依存」のように。

親は親で、ある種の共依存的な心理状態になり、いつも子供の心理をうかがうようになってビクビクして生活するようになる。DV関係の「共依存」のように。

 

このような関係はかならず破綻します。

しかも最悪な結果ばかりです。

 

一番良いのは早い段階で対処をすることです。

 

病気は早期発見、早期治療が大事というのと同様です。

 

当事者はなかなか気づかないのですが。

「認知のゆがみ」という言葉を時折耳にすることもあるかと思います。

 

その代表的ともいっていいものに「白黒思考」があります。

 

物事を0か100(無か完全)といったように両極端に考えてしまう考え方の傾向です。

 

このままでは生活していくのにいろいろと問題が起こったり、自分の行動に不必要な抑制がかかったりします。

なので修正(改善)が必要です。

 

ただそうなるのには理由があります。

 

例えばいじめにあった場合、直接の加害者はもちろんですが、見て見ぬふりをする第三者も被害者からは助けてくれない「敵」と感じられます。

とくに本来はその場の管理者であり、権限をもっていて子供の安全を最優先にしなくてはならない教師が加害者側や第三者側についたら今度は教師=大人というように大人全体が「敵」という感覚になってしまうことは珍しくありません。

なのでこのような行動パターン(ほぼこういう人物は同じ行動パターンをとります)をとる教師は害悪でしかありません。

被害者の傷を深め、そして第三者側には「自分がいじめの被害者になったら同じように助けてもらえない」という恐怖心を植え付け、加害者側には考え方や行動の修正機会をうばってしまうという悪循環のスパイラルへ突入するからです。

 

こういう悪い環境にいた被害者は世界中の人間が敵であり、裏切り者、信用できない存在になってしまいがちです。

 

それは普通に起こる心理過程ですし、致し方ない部分ではあります。

しかし、この状態は心理的に敵ばかりの世界を生きていくようなものなので、なによりも被害者本人がつらいのです。

一人でゾンビだらけの世界をサバイバルするようなものです。

 

なので、ますは「すべてが敵」を「敵もいるけれど、味方もいる」状態にしなくてはなりません。

 

敵100味方0ではつらさしかありません。

しかし敵50味方50なら多くの人は戦えます。

仮に見方が一桁でも、信頼関係=安心感が得られればなんとかなります。

 

どういう形にしろ、まずは味方が必要なのはその存在だけで認知のゆがみは修正されることもあるからなのです。

もちろん心理カウンセラーはまずは無条件で味方になるべき存在です。

クライアントの思考や行動の修正などを積極的に行うのは、まず味方になり、信頼関係を構築した後の話です。

順序は大事です。

 

 

前回、学校へ行かないことはたいした問題ではない、というお話をしました。

 

しかしこれはあくまで数十年という長い人生においては、という意味合いであり、適切な準備をしておけば取り戻せるのだ、という意味からのものです。

 

一方で、とくに思春期は青春時代などと呼ばれる(古臭い言葉かもしれませんが)くらいで、その時にしか感じられない時間(友人関係や恋愛関係、将来への希望や不安、さまざまな葛藤など)があることも事実です。

 

実際、高校中退した人などはいい年齢になっても口を揃えたようにちゃんとした学生生活をやり直したいなどと愚痴を言います。

 

失ったからこそ悔やむのでしょう。

 

なので私は基本的に「学校に戻れるのなら、戻りましょう」というスタンスです。

 

実際、数か月のカウンセリングセッションで学校へ戻った子のなかにはそれまで以上に学生生活を謳歌する子もいます。

 

これはつらい思いをし、人への信頼をとりもどし、苦難を乗り越えた自信、適切な他者との距離感や感じ方などを学んで戻ったからこそこういう結果になったわけで、ただ学校へ戻せばよいわけではありません。

その子に応じた(その子に必要な)改善があった上でのことです。

 

心を機械に例えるならば、なんらかの衝撃が起こって部品に問題が起こった。

 

そのままではやはりうまく動きません。

 

その状態に応じて、部品の位置を適正な位置にずらせばよいのか、あるいは交換が必要なのか、削るといった微調整が必要なのかとまずは問題になった場所を直すわけです。

そして焦らず試運転をして、状況を確認してから大丈夫なら元のように作動させる。

一部とはいえ壊れたまま作動させることはありえません。

 

心の問題も似たところがあります。

 

ところが心は目には見えないので、どこが悪いのかわからない、とにかく根性だ、まずは無理をしてでも動かせなどとなりがちです。

 

こんなことをすれば余計に壊れて取り返しがつかなくなることは機械に触れたことのある人なら明白でしょう。

 

まずは動作を止め(ときには電源も落とし)、どこがおかしいのか探し、対処法を探すはずです。

 

なのでまずは「休む」というのも大事なのです。

 

ただ「どこが悪いのか」「その改善方法は」といった部分は餅は餅屋で、専門家のほうが早く確実にみつかるでしょう。