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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

肉体の病気ならそれぞれ(病気の種類、ステージ、個人差など)にタイムリミットがあることは想像しやすいかと思います。

 

しかし、心の問題については「いつまでも大丈夫」と思いがちに感じます。

 

心の問題にもいろいろな意味でタイムリミットがあります。

 

比較的長い期間のものは「ひきこもり」でしょうか。

もしかしたらタイムリミットなどないと思われる方もいるでしょう。

しかし、おおよそ35~50歳という年齢がそのリミットです。

たしかにかなり幅はあります。

ではなぜその年齢なのでしょうか?

ひとつは経済的な理由。

親の退職などで金銭的余裕がなくなったこと。

ただ次の理由のほうが本人にとっては深刻かもしれません。

それは希望がなくなる=絶望です。

どういうことかというと、ひきこもりの人はある意味時間が止まっているか、きわめてゆるく流れています。もちろんそれは「体感」の時間です。

学生時代からのひきこもりであれば、多くはその頃の感覚のままといえるでしょう。

自分の部屋が世界のすべて。

夜中などにときおりコンビニなどへ外出はしても人間関係は親兄弟くらいなのであまり大きな変化はない。

そのまま年齢はとっていっているけれど、多くの情報はネットの世界やアニメや動画など限定された情報ばかりで「自分が年をとっている」というフィードバックは皆無に近い。

意外と友人の白髪や体型が中年っぽく変化したことに自分の年齢を意識するものですが、そもそも他人への不信感や嫌悪感など負の感情が強すぎるがゆえに親の変化にも関心を向けられない。

 

まだ大丈夫

いつでもやり直せる

その気になれば

 

そういった心理状態にもある日、限界がくる。

それがいつ来るかの個人差はあれど、たいていは突然です。

ある日、気づいてしまうのです。

自分は15歳(もちろんその自分の年齢イメージは中学生や高校生だったり、18や20歳だったり、さまざまですが)ではない。

大学受験はできるけれど、いまさら受験勉強なんて。

ましてや就職なんて新卒採用は無理だし、職歴は0。

恋人はもちろん、リアルな世界の友人もいない。

 

自分に本来あるはずのものがすっかり抜け落ちてしまっている。

 

この絶望感は、凄まじいものがあるのでしょう。

 

人生が奪われた

 

その怒りの矛先はたいてい「親」へ向かいます。

親殺しのニュースの背景情報からその手のケースに思われるものがときおり散見されます。

 

タイムリミットを超えてしまったのです。

 

大事なことはその前に改善の方向性へ向かうことです。

いわば手遅れになる前に。

 

本人が気づくのは少ないかもしれません。

むしろ親の立場のほうが気づきやすいように思います。

「放置しても悪化する一方だ」と。

しかし、けっこう多くの親御さんは「なんとかなるのでは」と根拠のない希望を持ちがちです。

 

そういう方ほど、「タイムリミットがある」ということに気づいてほしく思います。

 

心理テストによって混乱したり傷つく人がいます。

 

大抵はネットで「これ面白いよ」とか「これってよく当たる!」とかでやってみて「?」となり、「そんなつもりじゃないのに」となる。

こういう場合に知ったかぶりの人、知識のみの人は「それはあなたが気づいていないだけです」とか「無意識のことだから」とか嘲笑気味に語ったりする。

 

きちんとした心理テストは基本的に専門家が必要だと思います。

 

なぜなら”解釈”というものは必ずしも一定ではないからです。

例えばですが描かれた絵をみて「あなたはどれですか?」という質問があって木を見上げている人を選んだとする。

それをそのテキストでは「夢見がちで他人を羨望しているだけの人」と決めつける。

それは正しいのでしょうか?

その解釈はその心理テストの製作者の解釈にすぎません。

もちろんその可能性もあるでしょう。

しかし、それ以外の解釈もいくらでもあるのです。

例えばその「木を見上げる人」を「これから落ちる覚悟で登ろうとする人」と解釈するケース、「なんの木か種類を特定しようとする学者」とか「カブト虫を捕まえようとする人」とか自分の属性や趣味で解釈する人など。

 

なぜそれを選んだのか?

 

それは本人に聞いてみないとわからないなんていうことはよくあるのです。

 

意外な解釈をするケースもそれなりにあります。(絵がへたくそでいくらでも解釈可能という面もあるかもしれませんが)

 

パーソナリティ障害(人格障害)の要件なんて誰でもどれかに当てはまることも、またその時によって違う型になったりなど自己診断は病んでいる人ほど危険です。自分で自分を決めつけるきっかけになりかねません。

 

”決めつけ”は心理問題で最高レベルで危険なことです。

なので”決めつけ”に陥らないために専門家(との対話=カウンセリング)は大事なのです。

 

まあ精度の低い遊びと割り切ってやるのはいいのですが、想像力豊かな人ほどあまり真に受けないほうが良いと思います。

心理療法には様々なスタイル・流派や手法があります。

 

例えばですが、効果は高いもののリスク(離脱率など。つらくなったり、一時的でも症状が強くなったりなどでカウンセリングを中断=実質終了)が高いもの、効果はそれなりで適応の心理問題も限られるけれど離脱などのリスクは低いなど。

 

前者がいいのか、後者がいいのか。

 

実際はクライアントの方の問題や状況などによって選択することになります。当然、カウンセリングの時期に応じて混合する場合も多くあります。

とくに前者のような場合は重い問題を抱えた方が多いのですが、改善にどうしてもある一定の期間が必要です。(もっとも同じ手法でも日常のトラブルによる悩みなどは当ルームではほぼ一回のカウンセリングで改善します)

理由はいくつかありますが、そのひとつに急ぐとクライアントの方の心理負担が重く、耐えられないため徐々に進めるというのがあります。

普段運動をしていない人にいきなりエベレスト登山をしろというのは無理なのと一緒です。

なので最初はまずは軽く散歩程度です。

気分転換にもなるので心地よいくらいです。

カウンセリングも最初の数回は大抵は気分がよいものです。

しかし、そのままでは一時気分がよくなる、すこし体力がつく程度なのである段階からは必然的につらさも必要になります。

心肺機能の向上のために走る、脚力強化のため筋力トレーニングをする、などつらさが介入してきます。

 

ここがひとつのメルクマールでしょうか。

 

ここはほんとうに個人差があります。

 

何事もなかったかのようにすんなりいく人、わずかにとまどうものの乗り越える人、資質や経験などの差で難しそうだけれど乗り越える人、そして残念ながらここで離脱する人。

最初と最後の人は両極ですが、じつはあまり変化がないという点では同じ状況に思います。

それはこの段階ではどのようなアプローチをしても結果はほとんど変わらないという意味でもあります。もちろん前者はどんどん改善へ進むことも多いですが「この程度か」と早合点して離脱する人もいます。準備運動を本番と勘違いしたようなものですが。マウントを他者に対してとりがちな人は要注意です。

問題は中間層の人たちです。

ここの人でうまくいかない場合は人によってよりペースを早めたり、逆に遅くしたりと個人差があります。

多くの場合は急ぎすぎで失敗しがちな印象です。

ただこの段階で成功体験を得た人はある種の「気づき」を手に入れたといえるでしょう。

この「気づき」は心理療法で極めて重要なものです。

これがあるかないかが改善の最重要ポイントに思います。

 

おそらくすんなり乗り越えられた人はこの段階では「気づき」が少ないので勘違いをしてしまうのかもしれません。

 

人が変わる(改善へ向かう)時、即時かその後かは置いておくとしても、「ああ、あの瞬間だったな」「あの時のカウンセリングが転換点だったな」ということがよくあります。

これはカウンセラーだけでなく、クライアントの方もそう感じる方もいます。

私はその「気づき」の瞬間を待っている感覚が強いかもしれません。