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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

ドナルド・トランプ氏が次期アメリカ大統領に決定しました。

マスコミ・評論家など多くの人がヒラリー氏優勢の判断。僕もそう思っていましたが、実態はそうではなかったようです。

 

嫌われ者同士の対決といわれていましたが、実態はヒラリー氏の嫌われ具合が深刻なものだったようです。

たしかにトランプ氏も暴言王といわれるくらいですし、差別的発言や問題発言も多く、いまだにデモが行われる状況ではありますが、彼には「愛嬌」があるようです。

これは人格の重要部分において「信頼できる」と感じさせる要素です。

 

ヒラリー氏が負けた理由。

 

僕の独断と偏見ですが、彼女にはこれが決定的に欠けていたように思います。

 

エリートコースをひた走り、次々に社会的成功をおさめた人物。

旦那の不倫騒動はあったもののそのほかは目立った大きな失敗はなく(メール問題など違法性の可能性がある問題はじつはあるのですが)、順調な人生。

実際に有能で、弁護士で元ファーストレディで国務長官。

文句のつけようのない経歴。

 

あとはなにが足りないかといえば、「愛嬌」

 

のように感じてしまうのです。

 

これは男女年齢に限らずいえることで、ときに人は能力の高さよりもこの愛嬌を重視します。

 

それは「信頼」につながるからです。

 

「愛嬌がある」と感じるということはそこにある種の人間的な共感が生まれている可能性が高いのです。

 

逆にいくら能力が高くとも、信頼がなければ、その能力の高さはいつか敵となる、自分や仲間を傷つけると他者に感じさせてしまうのです。

ヒラリー氏はとくに違法の可能性を指摘されていましたから、そのわずかな不信感は簡単に増幅したでしょう。

本来はプラスに働くじつに立派な経歴も、高い能力も、「不信」という土台に立った場合には簡単にマイナス要素になってしまいます。

旦那の不倫問題も、じつに人間的強さで解決し、政治的にはマイナスにならなかったように僕は感じますが、「不信」を前提にすれば「強い立派な女性」が簡単に「感情の薄い酷薄な冷血女」に評価がすり替わってしまうこともありうることでしょう。

 

またこれはテレビのニュースで紹介されていたのを見たのですが、ヒラリー氏の絵本の「出来の悪さ」が紹介されていました。

ストーリーはヒラリー氏の少女時代からの成功人生ストーリーで、じつに上から目線。

「やっちゃった感」が満載!

成功者の傲慢さがにじみ出ています!

これを公に発表するズレ感!

なんちゃって感があれば笑えて「愛嬌」があることになるのですが、じつに悪い意味で大真面目!

ご本人が実際どうかは当然わかりませんが、イメージ戦略としては最悪でしょう!

 

「愛嬌」

 

こんなに曖昧で、客観性にとぼしい主観的評価もないかもしれません。

 

しかし、人は印象というじつに曖昧な要素で他者を判断するというのも事実でしょう。

 

実際にはいろんな複雑な要素が絡んでのヒラリー氏の敗北なのでしょう。

しかし意外とこんな単純な要素が大きな流れを作っているようにもみえたのです。

これもまたただの僕の主観ですがー。

★ 物事を判断するのに、ときに即決や熟考も大事だとは思います。

 

しかし即決できるのは「良い意味でも悪い意味でも、明らかなケース」で、期間をおいてから判断したほうがよい場合もいろいろな面で余裕がある場合が多いかと思います。

 

そのどちらでもない場合の判断の最初の期間を僕は「2ヶ月」にすることが多いです。

 

というのは、一つには「2ヶ月」ならばどんなに悪環境でも、ひどい人間や組織が相手でも肉体的精神的ダメージがさほどでないことが多いためです。

 

鬱病になる人の性格的特徴のひとつに、「生真面目」「責任感がつよい」というのがあります。我慢強い、我慢する傾向が強いということもいえます。

 

我慢しなくともよい場合でも我慢する。

結果、鬱病になり、しかも長期間我慢した結果、重症化して長期の療養が必要になる。

数十年、苦しんでおられる方もいます。

最悪のケースは、「自殺」です。

 

日本人は昭和のスポ根アニメやスポ根ドラマの影響がよほど強いのか、なんにでも我慢するのが美徳のように考えます。

 

だから、鬱病の人を「弱い人間だ」「無責任な人間だ」などと言ってみたりします。

逆です。

彼らは通常よりも責任感が強く、むしろ精神的に強い側面さえあるといえます。

だからこそ無理に無理をかさねて、結果、自分でも気づかないうちに限界をはるかに超えたダメージを負ってしまうのです。(鬱病は今の研究では脳機能の問題とされてきています。「鬱病へのなりやすさ」に性格などは関係しますが、心の弱さなどが原因ではありません)

 

ほんとうに弱い人はとっととその環境から逃げますし、責任感のない人やいい加減な(悪い意味で)人は鬱病にはなりづらいものです。

 

時間的にも、無理をしすぎると予想以上の損害を被ったり、取り返しのつかない事態にもなるのです。

 

だから「2ヶ月」です。

 

この期間、人にしろ組織にしろ接してみれば「異常」か「まとも」かは判断がつくものです。

 

そして、じつはこの「2ヶ月」という期間は心理療法においても重要な判断をする期間でもあります。

来談者中心療法において、今行っているカウンセリング(心理療法)が目の前のクライアントに効果があるのかどうかを判断するひとつの目安の期間が「2ヶ月」なのです。

通常は一週間に1回のペースで、8~10回のセッション後に判断するとよいとカール・ロジャーズは言っています。

ちょうど「2ヶ月」程度ということです。

 

じゅうぶん判断ができる期間であり、もしもカウンセリングに効果がなかったとしてもクライアントの犠牲が最小になる期間ともいえると思います。

 

もちろんさらなる判断が必要な場合は、次の二か月後、さらには半年、一年、二年となります。

 

ただブラック企業やカルトなどの極めて悪環境な場所やサイコパスのように他者の心も体も深く傷つけるような人物と関わる場合は、一年は長すぎます。

二年なんて、とんでもありません。

ダメージが大きすぎるのです。

 

だから、「これはおかしい」「ここ(この人間)は異常だ」と感じたら、できれば「2ヶ月」で判断し、遅くとも半年がベストかと思います。

昔は、「最低でも二年は我慢」なんて言いましたし、個人的経験からも一理あるとは思います。

でも、それは「通常レベル」の環境や人間相手の話です。

そうではない企業や学校などは今の日本ではいくらでもあるでしょうし、そういう人間も一定割合かならずいるのです。

 

「2ヶ月」は一見短いようですが、一定レベルの判断ができる期間だと思っています。

来談者中心療法はざっくりいえば今の対話型カウンセリングにおいて主流、ないしは多かれ少なかれ影響を与えた心理療法です。

 

カウンセリングというとこの来談者中心療法をさしていることが多いかもしれません。

 

この療法は僕自身が主流にしている療法です。

それだけに細かい差異にも気づきます。

ホテルのコンシェルジュのようなやり方、とにかくオウム返しを中心にして指示的なアプローチを一切しないやり方、その逆などなど、今は来談者中心療法ですといっていてもカウンセリングスクールなど教える側のスタイルも同じ療法とは思えないケースもあります。

 

理由は、カール・ロジャーズの著作を読み、彼自身が行うカウンセリングビデオをみて何となくわかりました。

後からいろいろな要素をくっつけていったために原型から離れていったのだと感じました。

カウンセリングをしているカール・ロジャーズは終始、一言でいえばナチュラルでした。

もちろん礼儀はわきまえていますが、「お客様扱い」するわけでも、「偉ぶる」わけでもなく、中立的。

「自分が、自分が」と我を出すわけでもなければ、へりくだって卑屈になっているわけでもない。

ほんとうに自然な姿でした。

 

そう、自然さというのも来談者中心療法の特色のひとつかもしれません。

そうであるがゆえに誤解も生まれやすいのだろうと思いますが。

この点についてはいずれお話しようと思います。

 

来談者中心療法は、一言でいえばクライアントの方自身が本来もっている精神的な自己治癒力を刺激することによって改善していく心理療法です。

カウンセラーはさまざまな関わり方を通して、その部分を刺激していくのです。

その大前提として3つの治療的パーソナリティというものが来談者中心療法の療法者には求められます。

 

クライアントの方は心に傷を負っていたり、悩んでいたりするわけですが、多くの場合まじめな性格の方ほどご自分を責めています。

「自分が悪いから」

「自分が未熟だから」

「自分が弱いから」

などというようにご自分を責めて、そのこと自体で苦しんでしまうことも多いものです。

 

来談者中心療法のカウンセリングでは「もっと強くならなきゃ」とか「こうすべきだったのに」とかいうようなアドバイスや説教の類はまずしません。

それは、その多くがクライアントの方が持っている自己否定感をさらに強めてしまうだけで意味がないどころか、逆効果になるからです。

かといって「頑張れ」とか「大丈夫だよ」というように「励まし」をすることもありません。これはこれで「やっぱり自分はダメな存在だから励ましを受けるんだ」とか「自分はもうすでに精いっぱい頑張っているのに」とクライアントの方が感じてしまい逆効果になることも多いからです。

 

善意であっても、通じないどころか、逆効果になることもある。

 

「善意で踏み固められた道が、地獄へ通じていることもある」

 

僕の好きなことわざですが、現実に心理療法では起こりえます。

 

だから、まずはクライアントの方のお話を全力で聴きます。

「傾聴」です。

それはただの技術ではなく、クライアントの方を「かけがえのない一個の存在として」全力でお話を聴くのです。

そのために3つの治療的パーソナリティが必要であり、機能するのです。

100%でそれをやると、カウンセラー側の精神的な疲労度は相当なものです。

それはクライアントの方を最大限尊重するということです。(日常生活ではありえないくらい)

その無言のメッセージがクライアントの方に届き、受け入れられると、クライアントの方は自己否定感がやわらぎ、自己肯定感が強まります。

 

これがまずはカウンセリングの効果の一つであり、比較的初期からクライアントの方に起こる心理的変化です。

初回から起こることも珍しくないかもしれません。

 

もちろんクライアントの方の症状や状況などでその後、さらなるアプローチもありますし、行動療法と認知療法の時に起こるような「気づき」による変化もあります。

そのもっともダイナミズムに満ちた心理変化の一つが「数十年前、それも幼少期に無意識に沈めた記憶や感情、その時の考えが蘇る」というものです。

精神分析的色彩をもったこの領域は行わないカウンセラーも多くいるようです。

 

この部分は多くが悲しみや苦しみ、つらさに彩られたものなので、クライアントの方にとってはけして楽しいものではありません。

僕自身は、この点には注意していてそこに踏み込む前にクライアントの方に確認をとります。

そこまで行きますか、と。

その手法をとらなくとも認知の変化で問題が解決するならば、僕はそちらを選択することをお勧めします。

時間も経済的負担も、そしてクライアントの方の精神的負担もはるかに軽いのですから。

 

多くの心理療法は段階的に関わり方も、クライアントの方の心理変化も変化するものですが、この領域は成功すると最も大きなレベルの心理変化を起こすと思います。

それだけにクライアントの方の負担も大きく、安易に踏み込まないほうがよいとも感じています。

大きな効果・変化があるだけに、療法者側からしたらもっとも興味深く、俗な言い方ですが、「面白い」領域です。

でも、当然ながらリスクも大きいのです。

 

クライアントの方にとって何がいいのか

 

常に頭に入れておかなくてはならないことです。

 

と来談者中心療法で起こるクライアントの方の心理変化について一部ですが書いてみました。

しかし、実際はこの傾聴技術を使用したからこうなる、というようなものではなくて、カウンセラーが3つの治療的パーソナリティで接し続けていると段階的にクライアントの方の表情、話の内容、態度などが変化し、その方の必要に応じて、必要な部分が変化していくというのが正確なような気がします。

それこそ優秀な来談者中心療法の療法者のカウンセリングを受けたクライアントの方は「なんだかよく分からないけれど勝手に良くなった」とか「自分で勝手に話しているうちに良くなった(問題が、どうでもよくなった)」とかいうように感じるかもしれません。

 

それは来談者中心療法がナチュラルな療法であり、クライアントの方の精神的な自己治癒力を活性化させていくような療法だからであるように思います。

 

ときにそれを、来談者中心療法の療法者(カウンセラー)は「ただ話を聞いていただけだ」とか「ただ頷いていただけだ」と揶揄する人もいるかもしれませんが、実際は療法者は無意識レベルでクライアントの方の心理に蜘蛛の巣のように神経をはりめぐらせていることもありますし、それとなくクライアントの方も気づかないくらいの心理的アプローチをしていたり、目に見えない部分で日常生活ではありえない心理的状況をつくりだしたりしているものなのです。

 

ただ話を聞いていれば良くなる。

そんなことは起こりません。

水面に浮かぶ白鳥をみて「優雅だなあ」と感じる人は多いでしょう。

でも、実際は常日頃から羽根繕いをし、脂肪を蓄えるなど体調を整えて、必死に水面下では足を高速で動かしているのです。

 

そして、心理カウンセラーがそのことをクライアントの方に伝えることは少ないでしょう。(質問でもないかぎり)

なぜならばそれはカウンセラーの問題であり、カウンセリングの時間はクライアントの方のためのものなので最大限クライアントの方のために使うのが当然だからです。

 

ということで、普段は誰にも説明も解説もしないことをお話してみました。

全体にごく一部、とくに来談者中心療法については一割もお話できていない感はありますが心理療法ではクライアントの方の心理変化はある程度想定されている(例外も含めて)という点だけでも感じていただければ幸いです。