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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

☀ 言うことが180度違う人は、一般的に信用度を落とすでしょう。

 

一貫性というものが信用の基礎になるからですが、しかし、心理カウンセラーは時にクライアントによって、また症状の度合い、回復・改善具合に応じてなどさまざまな理由でお話しする内容やアドバイスが真逆になることがあります。

もちろんそこに矛盾があっては信用=ラポールの形成を阻害してしまうのでその方についてのお話やアドバイスには一貫性をもたせる必要がありますが。

 

例えばですが、うつ症状のある方にはまずはゆっくりして体も心も、そして脳も休ませてあげましょうという方向でお話することが多いと思います。

しかし、何に対しても「逃げてしまう」人に対しては、もちろんまずはお話をじっくり聴きますが、ある段階では「まずは行動を起こしましょう」というようなアドバイスやアプローチを選択することがあります。(当然ですが、まず行動をしてそこから心理面を変えていくのは行動療法として他のあらゆる症状や問題でも行います)

というのはある種のタイプの逃げる人のお話は「ひたすら逃げるための言い訳」を繰り返すばかりでお話をいくら聴いていても改善しないことがあるからです。

ひとつの目安は「お話がループしているかどうか」です。

言い訳のお話が延々と続きます。

しかし、言い訳にも限界がくるのか話に矛盾がうまれたり、以前にしていた言い訳が復活してきたりします。

例えばですが、その点を指摘すると大抵はさらなる言い訳が加算されていきます。自分が否定されたと感じて逆ギレを突然することもあるでしょう。しかし、そこいらへんの段階に至るとほとんど嘘も混ざってきて、しかも本人も以前の話の内容や嘘をついたこと自体も忘れていたりするので話は混沌としてきます。

そして、言い訳のためのお話が無限にループします。

 

一般社会ではこの段階ぐらいで人間関係はおかしくなってくるでしょう。

先述したように話の内容に一貫性がないから信用を失うのです。

 

 

来談者中心療法の基本概念である3つの治療的パーソナリティーをもって傾聴すればいつか改善するのではないか。

 

するケースもあるかもしれません。

しかし、僕の経験上はそういう方は言い訳を最初のほうでずっと繰り返していてもある段階でご自分で気づきます。というよりも最初から気づいているけれど自分ではコントロールできなかったといったらよいでしょうか。

お話がループしていることに気づいた段階で(自然とご自分で気づくケースもあれば、カウンセラーの質問技法で小さなポイントを作ることで気づかれるケースなどさまざまです)、心の自己治癒力を発揮して改善していきます。

 

問題は、変わらないケースもあるということです。

 

そして、「アドバイス」や「指摘」をしてもうまくいかないケースもあります。

 

プライベートでの以前の知り合いは僕の知る限り、職業的なことに関して行動を起こさないための同じような言い訳のループを10年以上繰り返していました。

時間だけが経過して、条件はどんどん悪くなっていきましたが、止まることはありませんでした。

心配して「行動を起こせ」とか「気持ちを切り替えろ」というようなことを言った周囲の人には逆ギレをして人間関係を悪化させていっただけでした。

この場合はある疾患を疑わなくてはいけないケースかもしれませんでしたが。

 

人間はほんとうに十人十色、100人いれば100通り、です。

その方にもっとも合った、その人のための関わり方を突き詰めると人によって180度真逆の関わり方になってしまうことがあるのです。

ただひとつ、変わらないのは「クライアントの方のため何が最善か」という基準だけは揺るぎなく一貫していますが。

☀ 何かがうまくいかない時、結果から逆算してその原因を考えることは多いでしょう。

 

しかし、意外と本人は気がつかない、あるいは気がついても変えられないことも多いようです。

 

例えばですが、心の問題を抱えていて心理療法をしている場合、とくに認知行動療法は多くの本や情報がある上に、ワーク的色彩が強い療法も多いためにご自分で行うケースも多く、その場合に効果がないばかりか症状が悪化するケースもあります。

 

認知行動療法の手法のなかに「活動記録表」というのがあります。

これは1日の行動を記録していくものです。

なぜこのようなことをするのかというと心に問題を抱えている人というのは1日の行動パターンが不規則すぎたり、ゲームなどの仮想空間に逃避することも多く、その事実をご自分で自覚していただく効果があるからです。

これは会話だけではうまくいかないことが多いです。

なぜならば1日に12時間以上ゲームをしているような人でも、その人の意識ではせいぜい5,6時間(もっと少ないこともあります)という感覚でいることがあって危機意識がまったくないことがあるからです。

これは嘘をついているわけではなく、そもそも逃避行動の一部なので現実の実感が薄くなるし、現実をみつめたくない受け入れたくないという意識が強くあるために過小評価しがちだからです。

ですから実際の消費時間よりもはるかに少ない時間をお話しするのは通常です。

しかし、これを良い悪いの評価をしない前提で正確に活動記録表に記載してもらい、それを1週間後に確認するとご本人に危機感がうまれることがあります。

ご本人がなにより驚かれるのです。

 

「こんなに時間を使っていたんだ」

 

と。

 

これは視覚効果として問題部分が明らかになるためという点が大きいように思います。

会話という聴覚よりも、こういう部分においては視覚効果が、心理面に大きい効果を発揮すると感じます。

 

それだけ効果の高い手法ですが、クライアントの方の症状、状況、段階、性格など様々な条件で効果がでないばかりか、かえって症状が悪化する可能性もあります。

 

あくまで例え話ですが、うつ症状の改善のために認知行動療法をしようとご自分で始められて、まずは代表的手法のひとつといってもよい活動記録表をやろうとして実行したとします。

とくに不眠の原因をさぐると就寝時間が遅く、それに連動して起床時間も遅くなる、また就寝前にパソコンを長時間使用していたりして脳が活性化してしまい眠りに就きづらく、かつ浅くなってしまっている場合などがよくあります。

こういう問題点は活動記録表をつけるとまさに一目瞭然です。

 

生活パターン自体が問題をはらんでいることも結構あります。

ひきこもりの改善も、カウンセリングで傾聴しているだけでは一向に良くならないことがあるのはその生活パターンの問題が放置されていてカウンセリング中は改善したようでも、日常生活に戻るとまさに逆戻り状態になるからともいえます。

生活パターンに着目することも重要かと思います。

 

自己流でもうまくいってご自分の生活の問題点を自覚されて改善することにより症状が軽減していくことももちろんあります。

 

しかし、悪化する可能性があることは考慮に入れておかなくてはなりません。

とくにうつになりやすい方は真面目で几帳面な性格の方が多いように感じます。

もともと日記をつける習慣がない上に、うつになった背景に事務作業などの仕事の煩雑さがある場合、この活動記録表をつけるということが義務=仕事のようになってしまい逆に強いストレス要因になってしまう可能性もあり得るのです。

「正確にきちんと記録しなくては」などという心理状況になってしまって強迫的行動になってしまっていると本来、体も脳も休まなくてはいけないはずなのに常時緊張状態になるという真逆の効果、悪循環に陥る可能性があるのです。

 

活動記録表は事務作業が得意な方には簡単ですし、毎日日記をつける習慣があって、そのことにストレスを感じない方にはとても効果的でよい手法です。

ある意味、お手軽に感じられる手法かもしれません。

しかし、症状が改善しないばかりか、むしろ悪化していくようならば早めに専門家にすくなくとも今やっているやり方が正しいかどうか、ご自分に合った手法かどうかの確認はされたほうがよいでしょう。

 

一見、お手軽に感じられてもやはり心理療法は良くも悪くも人の心理に影響を与えるものですので。

☀ 物事を判断する時、僕は「バランス」を最重要視します!

 

「判断基準」は、人により、状況や時代、地域などによりさまざまでしょう。

この時、もっとも役に立たないと僕自身が感じている基準が「善悪」です。

 

でも、多くの人は善悪で判断することが多いように感じます。

 

「善悪」の判断は、とても大雑把にそのコミュニティをコントロールするには便利です。

そういう意味では有用な側面もあるでしょう。

 

でも、僕はこんなに役に立たない判断基準もないなと感じることが多いです。

 

例えばですが「殺人」は善か悪かと問われれば、今の日本ならばほとんどの人が悪だと言うでしょう。

でも、これが戦場に変わっただけで善となってしまいます。

なぜならばどの時代、どこの国でも英雄というのは多くの敵=人間を殺した人のことをいうのですから。

織田信長は殺した敵兵の頭蓋骨で酒を飲むのを好んだそうです。

宮本武蔵も最低でも二けたの人間は殺しているでしょう。

どちらも英雄として称えられ、死後も多くの人から好かれています。

(虚像の部分もあるでしょうが)

 

心の問題を抱えた人も、よく「良いのか悪いのか」とか「自分は弱いからダメ(悪い)なんだ」とかいうことを頭の中でぐるぐると思考して出口が見えなくなって悩みを深くしてしまうことがあります。

こういう時に、カウンセラー自身が善悪の基準でもって判断をしていくと袋小路に、クライアントの方と同様に入り込んでしまうことが多いように感じます。

 

「アイツを殺したいんです」

 

そうクライアントの方が言った時、カウンセラーは通常その言葉をそのまま受け入れます。

善悪の判断はしません。

限界まで共感をもってお話を聴いていくと、健康なレベルの人格の方ならばある段階で別の形のお話をされるでしょう。

例えばですが、友人だと思っていた人物に陰で悪口を言われていたことで「アイツを殺したい」と言った方ならば、じつは「自分はその友人のことを親友だと思っていて、本当に大事に思っていたんだ」という自分の奥底にある感情に気づき、ある種のわだかまりが解けていく、吹っ切れるということがあります。(もちろんこれはあくまで単純化した例え話なので、実際はもっと複雑なことも多いですが)

これは裏切られ体験をしたことで深く傷ついたのだけれど、そのまま受け入れるのは難しいので裏切った相手を非難・攻撃することで心のバランスを保とうとする無意識の心の働きだったりします。

しかし、心に怒りや憎しみをもったままでは苦しいものです。

それこそバランスを保とうとしたのにあまりに強い怒りや憎しみは逆にある段階で心のバランスを大きく崩してしまうからです。

その場合、怒りや憎しみといった表面の部分だけに着目しないで、その奥にある本心に向かっていくと最終的に心が安定=バランスが保たれるようになるのです。

 

この時に僕がイメージするのは「天秤」です。

 

天秤の片方にはすでに表れている怒りや憎しみ、殺意があったとします。

では、その反対側には何があるのか?

そう考えるのです。

 

トータルでその人の心なので、もちろん表にあらわれている怒りや憎しみ、殺意も重要なのです。

 

ここで「善悪」の判断基準を使ったらどうなるでしょうか。

教師の説教のように「そんなことを考えてはダメだ」「そんなことを考えるのは悪いことだ」となるか、あるいは法律家の理論のように「内心の自由はあるのだから行動に起こさないかぎり考えるのは自由だ」と突き放すのか、あるいは……。

 

いずれにせよそれはカウンセリング足りえないですし、その人の心の問題が改善する可能性も低いでしょう。

 

大事なことは崩れてしまった心のバランスを調整する

 

僕はカウンセリングをする場合にそう心掛けていますし、物事を判断するときにもバランスがとれているかどうかを重要視しています。

 

バランスは武道、武術でも重要とされています。

 

大抵は姿勢を地面に対して垂直に、姿勢よく立って構えることが多いように思います。

中国武術では「立身中正」というようです。

この姿勢が攻守のバランスが一番とれる、つまりは相手からしたら攻撃しずらい姿勢なのです。

体重のかけ方もそれぞれの武道・武術で個性はあるでしょうが、目的に応じて配分バランスに気を配っています。

空手でも試合ルールの影響もありますが、蹴り技中心の人は前足と後ろ足の配分は5:5か4:6で比較的後足に体重をかけることが多いかと思います。(もっと後足の比率が高いこともあります)これは前足での蹴り技を出しやすく、また踏み込みながら後足で蹴る場合は体重が後ろにかかっていても問題がないからです。

でも、突きなど手技中心で接近戦が得意な人は前足重心になっていきます。

これは重心が後ろにありすぎると動作が大きくなりがちで相手に読まれやすくなること、また接近戦だと押し合いやつかみ合いになりやすいので体重を前方にかけやすい姿勢をとりがちになることなどからです。

 

最終的にはその人の性格、好み、合っている戦闘スタイル、体格、打撃系か組技系かなどに応じて自分で作っていくことでしょう。

 

心に問題を抱えている人はこのようなバランスがあきらかに崩れています。

例えるならば、あまりに怒りや憎しみにとらわれるあまり顎をつきだしてわめき散らすというような構え?をとったりするようなものです。

打撃系の武道・武術をやったことのある人、あるいは喧嘩慣れしている人ならもう標的はそのつきだした顎になるでしょう。大けがを負わせないためならば体重の思いきり乗った踏み出した前足でしょうか。

簡単にやられてしまいます。

バランスが悪すぎるのです。

 

実際、「善悪」という主観的な判断基準だと行き詰るのに、「バランスがとれているか」という判断基準にした途端、物事を客観視できてうまくいくことが僕の場合は多いです。

 

心理に限らず、今後もバランスをとっていこうと思っています。

自分自身、なにか問題が起こっているときはどこかでバランスが崩れていて、そのひずみがあらわれているという経験が多いからです。