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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

☀ 「話せばわかる」という言葉をこれまでに何度も聞いたことのある人も多いでしょう。

 

たしかにそのスタンスで粘り強く接することで良い結果になることもあります。

 

しかし、そうでないことも多いように感じます。

 

話せばわかるのは、基本的に相手が善良な場合だけです。

 

世の中には、話しても通じない、それどころか話せば話すほどなぜか頭も心も混乱させられていつの間にか相手の要求通りになってしまうこともあります。

こういう場合、一つには行動心理学に基づいた心理テクニックを使っているケースがあります。

「返報性の原理」や「カリギュラ効果」といったものです。

 

しかし、それよりもはるかに厄介なケースがあります。

経済的、身体的、精神的に「やられてしまって」人生を大きく狂わされてしまう。

そんなケースです。

そういうケースの被害者の多くは「悪魔に出会ってしまった」とか「あいつは悪魔だ」というような表現を使うことがあります。

それだけ理不尽な目にあわされるのです。

そういう場合は相手がサイコパスである可能性を考えなくてはなりません。

極端な例としては、連続殺人犯、猟奇殺人犯の多くがサイコパスである可能性があることがあげられるでしょう。

彼らは総じて他人のコントロールに長けています。天才的なまでに。

精神医学的には別の名称になるでしょうが、誤解の可能性もあるためにここでは省略しますが、そこまで極端な反社会的行動に出なくともおおよそ通常の人間だったらしない行動を彼らはとります。

 

彼らの特徴のひとつとして、基本的に他者への共感能力が極端に低いことが挙げられます。

 

彼らは、他人の苦しんでいる顔を見るのが好きです。

他人の失敗や困っている状況が好きです。

そして、それらがより身近で起こることを望んでいます。

 

このような人と理解しあうことは、不可能でしょう。

できることは一方的に彼らの特性を理解し、関わらなくてはならないならば戦略的に行動するしかありません。

もっとも専門家、それも彼らとさんざん関わった人ほど一番の対処法は「関わらない」だと言います。

そして、中途半端な知識だけで関わった人ほど痛い目にあいます。

ときにそれは回復不可能なほどの損害となります。

 

世の中は広く、人間もほんとうにさまざまです。

 

一般常識が通用しないケースもたくさんあるのだと僕自身、肝に銘じています。

つまりは痛い目にあったことがあるということですが。

☀ 他人のためと言いつつも、じつは自分のためにやっているということはよくあります。

 

虐待者はよく「お前のためだ」というようなことを言いながら暴力を振るいます。

虐待者が、虐待をするのは100%自分のため、です。

 

昔、知り合ったカウンセラーはよく第二次世界大戦下における旧日本軍の残虐行為を非難したり日本社会やひいては日本人そのものを非難していましたが、彼の成育歴を知るとなぜ彼が日常の雑談だけでなく多くのクライアントのセラピー中にもそんな話ばかりしていたのか納得できました。

彼は台湾人の母親と日本人の父親のハーフ(国籍は日本)で、日本人である彼の父親は妻と子供を捨てて若い愛人のもとへ去っていたのです。

なんのことはない、彼は自分の父親への憎しみや怒りを旧日本軍や日本社会、日本人に置き換えていただけなのです。

最初は純粋に人間の悪行について非難していて正義感の強い人なのかと思いましたが、そのことに気づいてからは興ざめしてしまいました。

気づいたきっかけは成育歴だけはなく、ある時、「アメリカもベトナム戦争時に残虐行為をしているし、黒人やネイティブアメリカン、日系人への差別もしている」と指摘したときに彼が感情的に反発したからでした。

彼はアメリカへの留学経験があってしきりにアメリカの良さばかり主張していたので軽くそれだけじゃないことを指摘しただけなのですが、物凄い反発でおかしいなと感じたのです。

 

正義は、偽善になりやすく、また、そもそも最初から偽善であることも多い

 

自分自身、気をつけなければと思っています。

☀ 真の虐待者は自分を虐待者だとは思っていません。

 

では、どう思っているのでしょうか?

 

良い親

優秀な人間

優秀な教師

優秀な指導者(監督、コーチなど)

善人

 

このようにおおよそ真逆です。

 

彼らは自分の虐待行為を正しい行為だと思っているのです。

 

しかし、その根拠はじつは極めて脆弱なものです。

なぜならばその多くが「自分もそうやって育てられた(指導された)」というのが最大の根拠だからです。

 

「虐待の連鎖」

 

今ではとても知られた言葉です。

 

とても残念なことですが、虐待された人の多くはまた自分よりも弱いものに虐待行為を繰り返してしまいがちなのです。

もちろん反面教師にして「自分はしない」ということを実行できる人もいます。

しかし、僕の実感ではそういう人は1割もいないように思います。

そう、そういう人はほとんど精神的にはスーパーマン並みの強さがあるといってよいでしょう。

 

お悩みのひとつに「自分の子供を愛せない」「つい手をあげてしまう」というものがありますが、そういう人は基本、善良な人です。

一般的には、「自分の子供も愛せないのか」とか「手をあげるなんて」と非難しがちでしょう。

もちろん愛せた方がよいですし、手をあげない方が絶対的に良いのは当然です。

しかし、そうなってしまったのは必ずしも当人だけの責任ではないのです。(もちろん例外もありますが)

自らが虐待の被害者であったことが少なくないのです。

 

彼らは、たしかにスーパーマンではないかもしれません。

しかし、自分の問題をみつめて改善しようという善良な人たちなのです。

 

真の虐待者は、自分が正しいと信じ切っています。

 

子供が骨折しようが、脳挫傷になろうが、自殺しようが、殺してしまおうが、です。

 

しつけのため、教育のため、指導のため、などと言い訳をします。

そして、そう信じ込みます。

自分さえ、ある意味精神的に殺せる人なのです。

 

問題をみつめられる人、改善しようとする人こそが真に優秀なのであり、善人なのだと思います。