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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

☀ 陰陽思想は物事をとらえる時にひとつの基準を与えてくれることがあります。

 

一般的にも人の表と裏というように、精神疾患レベルでなくとも多少は社会的スキルとして本音と建前というように使い分けるものです。

 

例えばですが、アメリカはほぼ10年ごとに戦争をしているといわれています。

 

世界の警察として正義感あふれる国だから?

 

多くの人はアメリカの軍需産業が利益を上げて存続するためだと言っています。

 

どちらがただしいのでしょうか?

 

その判断は置いておいても、まさに「陰と陽」です。

 

この陰陽思想の考え方ではどちらかということはなく、陰も陽もどちらもあり、そのバランスが大事だとされています。

 

この考え方は武道・武術でも取り入れられています。

 

剛柔相なす

 

剛柔相済

 

などといわれるものです。僕は個人的に「柔よく剛を制す」が好きですが。

 

うつ病やパニック障害の人と接すると、正直、「いい人だなあ」と思うことが多いです。

 

他人を傷つけようとしない、責任を自分で負いすぎるくらい負う、言動も態度も穏やか

 

そして、この真逆のような人間が彼らを追い込んで、痛めつけている。

 

しかし、いまの日本社会ではとくにエリートとされている人たちが他人の貴重な人生の時間を労働時間として搾取し、しかもサービス残業として対価である給料も支払わない、そして犠牲を強いられる彼らは睡眠時間と精神をすり減らし、脳や心、体のバランスを崩して最悪の場合は自殺へと追いやられる。

でも、こういうことを屁理屈つけて実行できる人間が優秀とされるわけです。

やってることは虐待行為であり、拷問なんですけどね。

アメリカの軍隊の拷問にはひたすら穴を掘らせて埋めさせるというものがあると聞いたことがあります。人間にとって意味の見いだせない単純作業は拷問そのものです。また睡眠をとらせないというのもCIAの拷問の常套手段だとか。

 

では、彼らエリート=経営者側の人間はなぜそのようなことをしたがるのでしょうか。

 

僕は、時代に取り残された感覚の古い経営者が、自分の短い任期中だけは利益を上げたようにみせかけて自分の給料を莫大なものにしたいから、だと考えています。

 

それを覆い隠すために、綺麗ごとを言う。

 

サイコパスじゃないかといわれている有名企業の(元)経営者も、そういえばまるで世界中の正義を背負っているかのように綺麗な言葉を並べていました。

その企業はいまやブラック企業として超有名になりましたが。

 

ただ、社会や集団はすぐには変わりません。

もちろん問題があればかならずそれが何らかの形となって、変革せざるを得なくなるでしょうけれど。

 

もちろん心を痛めた人に安易に「こうすべきだ、こう考えるべきだ」というアドバイスをする気はありません。

とくに、うつの方には禁句に近いことです。

 

ですから、アドバイスではありません。が、漠然と僕はこう考えています。

 

人間は完璧などあり得ないし、あってはならない。それはサイコパスの嘘と同じだから。

 

綺麗なだけの心はむしろ不完全。汚い部分も生きるのに必要。

 

立派な部分と、だらしない部分があって当然。

 

怒りや憎しみも、あって当然。いや、むしろないと生きてけないほど困る。

 

…・…etc.

 

少しくらい嫌な人間になってもいいのです!

 

もちろんサイコパスレベルの嫌な人間とは、僕も関わりたくはないのであくまで程度問題、バランス、ですが……。

☀ 来談者中心療法は、僕の行う心理療法のなかでも中核のものです。

応用範囲は広いし、型にはまるとほんとうにびっくりするぐらいクライアントの方の心や表情、話の内容や行動が変化します。

この療法を産みだしたカール・ロジャーズはある種の天才ではないかと思っています。

天才の多くがそうであるように当時はいろいろな面で叩かれたようです。その代表的な批判が「医者でないのに治療をするのはおかしい」というものですが、今ではそんなことを言う人はいないでしょう。この批判には当時の精神科医の自己保身(精神分析は基本的に医者じゃないとやってはいけないとされていた=自分の職が脅かされると考えた、のでしょう。単純なプライドもあるかもしれませんが)がベースにあったのでしょうが、カール・ロジャーズは闘い、そして心理療法の主流のひとつになるという形で勝利したといってもよいでしょう。

その点からも権力とか主流とかを嫌う自分にはしっくり感があります。

 

そして、この来談者中心療法の基本でもあり、奥義でもあるのが3つの治療的パーソナリティ(1、自己一致2、無条件の受容、3、共感的理解)に基づくカウンセリングだと思います。(傾聴技術も当然使いますが)

 

基本的に、来談者中心療法ではクライアントの方のお話を聴きます。

治療的パーソナリティの2に無条件の受容とあるように、基本、クライアントの方のお話は肯定的に聴きます。

クライアントの方自身についても肯定的に感じ、関わります。

(もちろんクライアントの方にとって望ましくない部分、肯定してはいけない部分は時期やタイミング、心の状態や関係性などさまざまな条件を考慮してお話したり、質問したりして改善します)

 

基本的に常識や通常ではありえないくらいにクライアントの方を肯定するのです。

そうすることによりクライアントの方は自己肯定感を自然と高めていって心の自己治癒力を発揮してご自分の問題に向き合い、改善していくのです。

 

が、それでは(正確には「それだけでは」でしょうか)うまくいかないケースもあります。

正確なデータはないので%では表しづらいのですが、感覚的には数%はうまくいかないケースがあるように思います。

一つは、境界性パーソナリティー障害のケースです。

このケースでは境界性パーソナリティー障害の方の特性のなかの問題のある行動=破壊的行動などがカウンセリングにより強化されてしまい、現実生活が悪化し、かつ症状も悪化することがあるからです。

良い意味でも悪い意味でも、来談者中心療法はクライアントの方を肯定するのですが、悪い方向へ傾きがちなケースかと思います。

 

もう一つは、「逃げる人」のケースです。

相手をある種全面的に肯定する関わりは短期的にはうまくいったかのように感じます。しかし、これも逃げる理由=言い訳を肯定しただけで終わることがあります。

結果としては行動が変わらない。

来談者中心療法の原則からすればひたすら3つの治療的パーソナリティーで傾聴技術を駆使してお話を聴き続ければクライアントの方は自己肯定感を高めて自分の問題に気づき、自己治癒力を発揮して改善の行動に出る、と考えがちですが、こういった場合は「逃げる」選択をしがちです。

彼らの多くはじつはそれらがきちんとした理由ではなくてただの言い訳だとわかっています。

それでも他者からその部分も肯定されると「逃げてもいい」と勘違いしてその部分を強化してしまうのです。

そういうアプローチのつもりではなくとも、です。自分に都合の良い解釈をしてしまいがちなのは「快・不快の原則」どおりではあります。

 

こういう場合は、ずばり「それってただの言い訳だよね」(文言はその時々・状況で変化します)と言って具体的な改善行動のやり方を説明したほうが良い結果になることが意外と多いように思います。

もちろん信頼関係=ラポールが形成されていることが前提ですが。

そういう時、その人が「しまった、バレたか」という顔をしてばつの悪そうな笑顔をみせたら、それが改善への分岐点となります。

 

ときには自分がもっとも信頼しているもの、得意技、シンパシーを感じているものをとりあえずわきに置いておいて、それが大原則に反していても効果的ならば使う勇気も必要に思います。

 

武術・格闘技に例えるならば、下段回し蹴りは有効な技で知らない相手にはリスクも少なくて効果的です。蹴りのある打撃系、総合系でもよく見受けられますが、しかしパンチによる顔へのカウンターが得意な相手には急激にリスクが高まります。下段回し蹴りの間合いはちょうどパンチの間合いでもあるからです。パンチを合わせやすいのです。

その場合にはむしろ上段回し蹴りのほうがパンチの間合いから遠く外れがちなのでスピード、技の切れがあるならこちらのほうがじつはリスクが低くなることがあります。ある程度、得意技である必要はありますが。

 

しかし、人間は成功体験や得意技に頼りがちです。

大企業病の原因のひとつでもあります。

 

大原則に反する勇気

 

時にはその覚悟も必要に思います。

 

 

 

 

うつ病やパニック障害の方のなかには症状が再発してしまう方が少なからずおられるようです。

 

以前にプライベートで知り合ったパニック障害の方は、お一人は当時でもう7~8年パニック障害で苦しんでおられましたし、もうお一人は投薬治療とカウンセリングでぱっと見にはそれとはわからないぐらいのレベルに回復していましたが、2,3年後に症状が再発したと聞きました。

 

再発の理由はさまざまかと思います。

よくあるのは自己判断で投薬治療をやめてしまい症状が再発・悪化するパターンでしょうか。

パニック障害はいまだ詳細は判明していないようですが、ノルアドレナリンやセロトニンといった脳内の伝達物質の部分に問題が起きているといわれています。

それだけにSSRIや抗不安薬が効きやすいようです。

 

ただ、それでも再発してしまったり、悪化してしまう場合もあるようです。

 

その場合、僕はスキーマの部分が改善されているかどうかに着目します。

スキーマというのは認知行動療法(ことに認知療法)において重要な用語で、一般的にごく簡単にいえば世界観とか人生観、人間観といわれるようなその人の中核になる信念のようなもの、といったらいいでしょうか。

 

例えばですが、「人間」というものに関するスキーマも人によって違います。

 

「人間というものは時には裏切ったり、残酷な行いをすることもあるけれど基本的に善良な存在だ」

 

という人もいれば、

 

「人間は絶対的に信用ならない。必ず裏切るし、他者を傷つけようと常に画策している悪の概念そのものだ」

 

という人もいます。

 

ひきこもりの方ややいじめ体験のある方は後者に近いことが多いように感じます。

 

パニック障害の方もどちらかといえば後者に近いのではないかと感じます。

 

パニック障害の方は、基本的に真面目できちんとしていて自分に厳しく学業や仕事などをきちんとこなす、といった部分が強い人が多いように思います。

 

それ自体は、能力値が高いということでもあります。

 

実際、仕事などは有能であることが多いようです。

 

しかし、物事にはかならず裏と表、陰と陽があると思います。

 

例えばですが、「真面目」ということは日常的にきちんとした考えや行動ができるということですが、一方で応用がきかなかったり、クリエイティブな部分では能力が活かせない、予想外の問題に対しては対応ができないなどという負の側面もあるといえます。

「自分に厳しい」という部分も通常は「だから良い結果が出せる」という意味で使われるでしょうが、「自分に厳しい人」は一般的に「他人にも厳しい」、いや「他人にはもっと厳しい」ことも多いように思います。

 

スキーマに着目していくと、もちろんすべての方ではないことは当然ですが、「人間観」がとてもハードであることが見受けられます。

 

先述ほどではなくとも、「基本的に他者は競争相手で、ライバル」とか「誰か困っている人がいても助ける人はいないだろう」とかの信念を強く持っていたりします。

 

パニック障害は症状が進行すると家の中や自室でもパニック症状を起こしますが、よくあるのは地下鉄の構内やスクランブル交差点、電車やバスの車内など比較的人が多い場所で起こります。

パニック発作を引き起こす起爆剤は不安(予期不安も含めて)ですが、その不安をつくる根底に「否定的な人間観」といった類のスキーマがないかどうか探るのも再発を防ぐ一助になるのではないかと考えています。

 

知人のおひとりは職業的にも(職業名はふせますが)自分に厳しいことが求められる立場でしたし、もうひとりの方は以前の職場では周囲の人から総スカン状態で嫌われていたそうです。仕事的にできないことを厳しく指摘した結果そうなったようです。仕事は優秀だったようですが、相当他者に厳しかったようです。

 

「厳しさ」というのはとくに仕事をする上で必要なものだと思います。

しかし、それも限度をこえれば自分も、他人も傷つけます。

 

例えばスクランブル交差点で多くの人が行き交う中、「この人たちは基本的には善良で、自分がなにか困ったときは手を差し伸べてくれるだろう」と考える人と、「この人たちは基本的に悪人で嫌な奴らだから、自分が少しでも隙を見せたり、弱味を見せたら自分は酷い目にあうだろう」と考える人、どちらが「不安」が少ないかは明らかでしょう。

 

長い目でみても、生きやすいのは前者です。

 

スキーマは自動思考よりも深い部分にあるといってよいでしょう。

親子関係、家族関係にかかわっていたり、いじめや虐待など過去のトラウマ体験に基づいていることも少なくないでしょう。

そこを改善するのは簡単ではないかもしれませんが、5年、10年、あるいはそれ以上の長い期間苦しんで本来の人生を生きられないのと比べればその苦痛はずっと少ないように思います。