☀ 「依存」の対象はさまざまです。
「依存」と聞くとまっ先に思い出すのはアルコール依存症でしょうか。
次に薬物依存、ギャンブル依存、性嗜癖依存といったところでしょうか。
他にもニコチン(煙草)、買い物、仕事、テレビやゲームなどほんとうにさまざまです。
では、「依存」は何が問題なのでしょう。
人生を楽しんでいるのだからいいじゃないか、と思われる方も多いかもしれません。
たしかに初期はその程度で済むかもしれません。
でも、「依存」は確実にその人の人生を狂わせて台無しにします。
依存症の方にとって「依存行為」はもはや「ちょっとした遊び」や「気晴らし」ではありません。
そういう言葉を使って「自分は依存じゃない」という言い訳(証明)にすることはありますが、実際に問題になっている段階では本人にはコントロール不可能な状態になっています。
すでに人生が壊れ始めているといってもよいでしょうか。
実際、依存行為をやめさせられそうになった時、依存症者は常軌を逸した抵抗をみせることが多いように思います。
まさに生きるか死ぬか、といった様相です。
自己弁護の嘘を並べ立て、それが通用しないとなると逆ギレして怒鳴り、わめき散らし、物に当たり、最後は暴力を振るう。
このパターンはアルコール依存症の夫が共依存状態にある妻にみせる態度です。
それでも通用しないとなると出てくる脅しの典型例が「自殺する」「自殺した方がましだ」といったものです。
家族は、たまりません。
自殺されるくらいなら、と現状維持を選択しがちになります。
そして、依存症は悪化し、人生はさらに壊れていきます。
最終的には我慢に我慢を重ねた家族も、依存症者を見捨てます。
それは、当然です。
ギャンブル依存の例でお話してみましょう。
生活を共にし、人生を一緒に作っていくはずの夫(ないしは妻)が家族を家族ともおもわずにただひたすら依存行為にふける姿を何年、何十年と見させられつづければ、ある段階で気づきます。
「この人は家族よりも、妻である自分よりも、自分の子供よりも、なによりもギャンブルが大事で、自分のことしか考えていない人間なんだ」
と感じるようになります。
この頃には大抵は借金だらけ、仕事もうまくいかないなど生活自体が崩壊していたりします。
でも、不思議なことに依存症者は自分のイメージを先述のようには捉えていないことも多いようです。
「家族思い」「自分は無理をして家族のために生きている」「自分は被害者だ」「社会が悪い」
現実よりも良いイメージか、悪いイメージでも責任は他者にある、といった考え
自分に問題がある、とは「考えたくない」
この「考えたくない」が依存の始まりかもしれません。
一種の逃避行動です。
でも、大きな問題が起こると、さすがに改善しようと思います。
ただ、多くの場合、その段階では改善は困難な状態になっていることも多いでしょう。
治療したはずなのに数か月後には元に戻る、なんてことも「依存」ではよくあります。
脳の仕組みの解明がすすんだこともあって依存は「脳の病気」といわれるようにもなっています。
「依存脳」といわれるように、脳内の快楽物質であるドーパミンを脳自身が欲しがる状態、という説が有力なようです。
これは「依存」の改善は困難といわれる大きな理由なように思います。
次回は、「依存」の改善についてお話してみようと思います。