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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

☀ 虐待の種類の中でもいちばんわかりづらく、また発覚しづらいのが「心理的虐待」です。

 

情緒的虐待、感情虐待などともいわれるものです。

 

わかりづらさの一つには通常と異常の境界が曖昧だという点も挙げられるでしょうか。

 

身体的虐待のように「暴力→怪我」、ネグレクトのように「育児放棄→子供の体重減少、栄養不足状態、そこからの万引き」というような目に見える形での原因・結果の因果関係が把握できるわけではなく、また性的虐待のように考えなくとも明らかに加害者側の行いが悪く、被害者の症状も極端な場合は解離性同一性障害(多重人格)のように現代においては典型的な症状を呈するというようなはっきりした部分が希薄なのです。

 

僕が知る心理的虐待の一ケースはこういう感じです。(僕は守秘義務を最大限尊重しますので、クライアントの方のケースではありません)

 

ある母親のケースです。

この母親は感情表現が希薄で、まるで自動的にうごくマネキン人形のような印象の人物です。

この母親は、見事なくらいに子供を褒めません。

褒めないだけでなく、矛盾したメッセージを無意識に出します。

 

そのメッセージ自体はごく一般的でありふれたものです。

 

「勉強しなさい」

「テストで良い点をとりなさい」

 

親ならば大抵の人が子供に言ったことがあるでしょう。

 

これだけならば問題はありません。

 

問題は、この後です。

 

その子は頑張ってこれまで60点台しかとれなかった科目を70点台にしました。

褒めてもらえるかと期待したその子へ母親は、

 

「ふうん。この程度しかできないの。もっと頑張りなさい」

 

とだけ無感情に(吐き捨てるように)言いました。

 

子供はもっと良い点数じゃなきゃ褒めてもらえないと考えて、今まで以上に勉強を頑張りました。

 

今度は80点台です。

クラスでも上位三分の一に入りました。

 

「まだまだね。この程度なら、まだ頑張れるでしょう。もっと頑張りなさい」

 

子供はがっくりしましたが、それでもまだ頑張りました。

さらに勉強して、ついには90点台です。

クラスでも上位5番以内です。学年順位でも一桁台です。

 

「この程度?まだまだね」

「あなたはもっと頑張れるはずよね」

 

もうこの頃には子供はイラつきやすくなっていて、兄弟姉妹間でのケンカが増えたり、逆に自室にこもってばかりになります。

 

それでも、子供は頑張ります。

 

お母さんに褒めてもらいたいのです。

 

ついには98点。

 

クラスでも、学年でも、一位です!

これなら褒められると急いで帰宅してテストを母親に見せます。

 

「まだ2点、足りない」

「100点とらなきゃ完璧とはいえない」

 

「でも、クラスでも学年でも一位だよ」

 

「他の学校の子はこのぐらいのテストなら100点とれる子はいるでしょう」

「あと2点なんだから、もう少し頑張りなさい」

 

子供はすでに絶望的な気分(無意識レベルで)ですが、まだ「気分」です。

希望は捨てていません。

 

100点をとれば褒めてもらえる

 

この希望はその子には残っているのです!

 

 

しかし、その子は結局、母親から褒めてもらうことは一度もありませんでした。

 

100点がとれなかったわけではありません。

それでも母親の基本姿勢は微塵も揺るがなかったのです。

 

「ふうん。今回は100点。それじゃ次も頑張りなさい」

 

これが母親の答えでした。態度はいつもどおり人形のようでした。

その子の最後の希望は、簡単に砕け散りました。

もうその子にも、無意識ですが、気づいていました。

 

何をしても褒めてもらえない

 

ゴールのないマラソンを走るようなものだ

 

と。

 

ゴールのない(意味のない)マラソン(行い)

 

マラソンは、ゴールがあるからこそマラソンという競技になるのです。

 

意味のない行為をさせられるのは、拷問と同じ、とうよりも拷問そのものです。

 

アメリカの軍隊でどういう拷問が一番効果的に捕虜にストレスを与えるか実験をしたところ「ひたすら穴を掘らせて埋め戻させる」だったそうです。

 

この母親のメッセージは、この拷問そのものであり、常識ではありえない矛盾したメッセージ(マラソン競技として成立しない)なのです。

 

 

それ以来、その子の成績は下降線を辿りました。勉強しないと母親から責められます。また、似た者同士がくっつくとはよくいわれますが、父親は父親で気に入らないことがあるとすぐに発狂したように怒鳴り、わめき、脅すように暴力もふるうような人物だったので、子供は嘘をつくことで自己防衛をするようになりました。

もちろんそれだけでなく精神的に不安定で、自己肯定感が低く、他者に対して攻撃的な態度が日ごとに増えていきました。

他者への攻撃性は父親から学んだことです。

 

 

もうお気づきでしょう!

 

問題の核心は、子供にあるわけではありません。

 

親にあります。

 

では、仮に常に100%、すべてのテストで100点をとったらこの母親は子供を褒めるのでしょうか?

 

答えは、「褒めない」です。

 

この母親は子供を褒める能力を持ち合わせてはいないのです。

 

仮に、頭では子供は褒めて育てた方がよいと理解していても、彼女は実行はできません。

 

それはこの母親自身が、その母親からただの一度も褒められていないからです。

 

無意識に、こう考えています。

 

もしも子供を母親である自分が褒めてしまったら、私は自分でこれまでの(子供時代からの)自分を否定することになってしまう

 

と。

 

傍からみれば、簡単なことです。

 

子供がテストで良い点数をとったら、「よく頑張ったね」「今回は勉強、頑張ったね」といった類の言葉をかければよいだけです。

 

でも、彼女はできません。

 

その言葉は、自分自身の存在自体を根底から否定することにつながるからなのです。

 

母親からただの一度も褒められなかったのに耐えて頑張ってきた自分

 

それが壊れてしまうのが怖いのです。

 

そして、子供は嘘つきで、自己肯定感が低いことから心に余裕がなく、常にイライラしていて、父親の影響もあり他者に攻撃的で、人間関係のトラブルを多く抱え込みます。

 

この子が大人になったらどうなるでしょう。

 

もちろん人格形成は親の影響だけでなく、その他さまざまなものから影響を受けるので一概にはいえません。

 

しかし、この子は親に対しては自分がされたように接するでしょう。

 

この親たちが加齢や病気で身体が不自由になったとき、母親には、

 

「なんだ。この程度のこともできないの?」

「ちゃんとやってよ。この程度のことぐらい誰でもできる」

 

というような態度をとるでしょう。

 

容赦ありません。

 

そこだけ切り取れば、加齢や病気への配慮がないと子供を非難しがちです。

しかし、この母親は同様の関わり方をもう数十年、続けてきたのです。

 

父親へは、加齢であれ、病気であれ、なにか不手際をしたらひっぱたいたり、どついたりするでしょう。

 

身体が不自由なので、いくら相手が娘であっても力ではかないません。

 

そこだけ切り取れば、身体が不自由な親への虐待です。

 

でも、この父親自身、子供が幼く、力も弱く、抵抗もできず、ただ泣くことしかできない頃にさんざん脅し、わめき散らし、暴力をふるって虐待してきたのです。

 

これは心理の世界に関わり、虐待の連鎖を知る者ならば自然の摂理のように、当然のように考えることでしょう。

 

このように心理的虐待はある程度の長い関係性によって行われて、時間の経過とともに悪化していくものです。

症状は当然、あるのですが、その症状もどちらかといえば「遅効性の毒」のようにじわりじわりとその結果があらわれてきます。

 

心理カウンセラーである以上、できるだけ早い段階で改善したいのですが(被害者の損害が最小になるので)、他の虐待も含めて難しいのが現状のように思います。

中でもとくに心理虐待は、難しいのです。

 

☀ 虐待の種類はだいたい4種類に分類されることが多いようです。

 

※正確な定義ではありません。個人的解釈です!学術的定義は本などでお調べください。

 

1、身体的虐待ー殴る、蹴る、叩くなどの暴力による虐待です。虐待の中でも一般的にニュースなどでも取り上げられやすく、認知もされている上にアザや傷などが残りやすく視認できるので、比較的発覚しやすくわかりやすい形態の虐待でしょうか。

 

2、性的虐待ー脅迫や奸計、暴力などを用いて相手の意思に反して性的な行為を強いる虐待です。1に比べれば発覚しずらいともいえますが、被害者はかならず何らかの症状を呈すのでその段階で発覚するケースが多々あります。「解離性同一性障害」(一般的にいう多重人格)を発症し、数十年前の虐待が発覚するケースがアメリカなどでは時折あります。ちなみに「解離性同一性障害」の原因の多くは幼少時からの度重なる性的虐待といわれています。その他の原因とされるケースもありますが、僕は懐疑的です。なぜならば「度重なる」という点が「解離性同一性障害」を発症するメカニズムに合致しているからです。その他の原因とされるケースで僕が知っているのは男性のケースで、家族が戦場で戦車によってひき殺されたのを目撃したというもの(記憶が間違っていなければ)です。ここに「繰り返しの要素」はありません。もしかしたらこの男性は幼少時から性的虐待を受けていたのかもしれないのですが、明らかになっていなかっただけの可能性を考えるのです。(この場合、目撃時に分裂し生まれた人格は最初の交代人格ではなく、何番目か後の人格ということになります)人格が生まれるメカニズムには「繰り返される虐待」が必要に思うからです。

もちろん「例外」の可能性もあるのですが。

 

「解離性同一性障害」は個人的に調べたりしたことがあったので、すこし道がそれました(;´・ω・)。

 

3、ネグレクトー育児放棄が一般的ですが、その他養育すべき者が食事その他の世話をしない形での虐待です。発覚はしますが、その発覚の仕方は子供や養育や世話を必要とする人が亡くなるという重大な形も見受けられるものです。そのために耳にすることも多くなった用語でしょうか。

 

4、心理的虐待ー精神的虐待、情緒的虐待などともいわれますが、4つの虐待の中でもこの心理的虐待がいちばんわかりずらい上に、発覚もしずらいとされています。

わかりずらさの一つにはさまざまな形態があるのと同時に、人間関係といった目に見えない要素が強く影響していること、形跡が被害者の心理的症状以外にみつからないことも多く発覚しずらいため情報も少ないことが挙げられるでしょうか。

しかし、この心理的虐待は他の3つの虐待と同じか、それ以上の損害を被害者に与えるともいわれています。

 

次回は、この「心理的虐待」についてもう少しお話しようと思います。

☀ 「依存」の改善法の第一歩で、最重要事項はすでにお話しました。

 

「まず依存行為を100%やめる」

 

しかし、もしもそれが継続的に自分でできるのならば、そもそも心理療法をうける必要はないと思われるかもしれません。

 

その通りです!

 

ずっと続けられるのならば、もはや依存ではなくなりますから。

でも、実際は自分だけの力では継続できないことが多いでしょう。

 

ひとつの理由としては、その方にとっては「依存」は一種の適応(正確には過剰適応)の可能性が高いからです。

 

自分の心を安定させるために一時的な逃避行動(快楽追及)をすることで孤独感や悩み、苦しさ、過去のトラウマなどから目をそらすことができるからです。

 

超一流の芸能人が将来への不安や自分の才能への懐疑などから薬物依存へ向かってしまうことを想像すればわかりやすいでしょうか。

 

さらに、もしも脳内麻薬とさえいわれるドーパミンが原因ならば脳内での物質的器質的な依存が複合されるためにいったん埋没した依存状況からは簡単には抜け出せないことが挙げられるでしょう。

 

そのために多くの方が再び依存行為をおこなってしまうのです。

 

とくに性依存(性嗜癖依存)の場合、窃視や痴漢行為など犯罪行為を繰り返してしまうことも多いものです。

 

そのために僕のおこなう依存改善過程では、直近の依存行為を半ば強制的に止める手法と、依存行為へと導かれてしまうクライアントの方の深い心理の問題の改善とを併用しています。

 

この部分は専門的になりますのでこれ以上は触れませんが、前者は強力な自己暗示法(瞑想法を組み合わせることもあります)を、後者は来談者中心療法(精神分析的な部分も含む)などを中心に行います。

 

完治はなく、寛解。

科学的エビデンスに保障された改善法はいまだ明確にはなくとも、複数の手法を組み合わせることで、長・中・短期への改善アプローチが可能です。

 

ただ、「依存」の改善は簡単ではありません。

クライアントの方の覚悟、家族など周囲のサポートや理解など、ほんとうに多くの要素がうまく嚙み合ってようやく成果がでるものと思います。

 

逆を言えば、「依存なんて簡単に治せるよ」というカウンセラーがいたら相当怪しいといえるかもしれません。