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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

☀ とくにトラウマ(心的外傷)関連について「加害者を許せば、救われる」というようなことがいわれることがあります。

 

これはどこかキリスト教的に感じます。

たしかに一理ありますし、間違いだとは言い切れないでしょう。

 

ただ、正直それは犯罪の被害者やその家族、また虐待の被害者にはあまりに「酷」だと感じます。

 

たしかに「許せる」のならば、自分の心の闇がいくぶんかは晴れているのでしょうし、問題を客観視できていて、そこに「とらわれる」ことはなくなっているのかもしれません。

 

しかし、それは簡単ではありません。

 

自分の家族が殺されたのに、加害者を許せるでしょうか。

それも明確な理由もなく、酷い殺され方をしても?

サイコパスは、反省など、針の先ほどもしません。

「反省するフリ」なら自分の利益のためにいくらでもするでしょうけれど。

 

それでも許さなくてはならない?

 

すくなくとも十数年、ひどい虐待を受け続けてきたのに、加害者を許さなくては被害者は救われないのでしょうか?

物以下に、さんざん酷い扱いをされてきたのに?

 

それではあまりに理不尽すぎます。

 

結論からいえば、「許す」必要はありません。

 

許すというのは、基本、相手のためです。主従でいえば、こちらが主です。

自分が救われるのだとしても、それはあくまで従です。

 

そして、無理矢理、相手を許そうとしても、そのこと自体が拷問に等しい行為になります。

 

許したい、でも、許せない

 

そんな思いに、心が引き裂かれるのです。

 

許そう、許したい、許さなきゃ、と思えば、思うほど、苦しみはより深く、重く、明確になっていきます。

 

「許す」

 

この言葉が、呪いの言葉のように心に突き刺さるのです。

 

「許す」

 

この方向性を目指しても、苦しみは増すばかりです。

 

目指すべき方向は、「とらわれない」です。

 

どうしても残る怒りや憎しみも、認めてあげる。

そうすると、悲しみや虚しさが、出てくるかもしれません。

それも受け入れて、認めてあげる。

さらにはその奥にある様々な感情、それも言葉にできないような感情にも気づくでしょう。

 

そういう風に自分の心をみつめていくと、最後には「今あるもの」が見えてきます。

家族、友人、恋人、など。

 

「そんなものはない」という人も、自分で、自分をきちんと認めてあげれば、その自分が「今ある大事なもの」になります。

 

それをきちんと見て、感じ、関わっていくことができれば、とらわれない方向へ向かえるかもしれません。

 

それもまた簡単ではありません。

 

でも、「許す」というとても綺麗で、人間的で、美しく素晴らしいけれど極めて残酷な言葉より、「とらわれない」ようにしたほうが100%ではなくともずっと楽になれる確率は高くなるでしょう。

 

「とらわれない」はどちらかといえば仏教的、三法印の諸法無我につながる言葉でしょうか。

悟りを得るのに等しい困難さがそこにはあります。

 

ただ「とらわれない」という言葉は「許す」という言葉よりずっと優しい言葉に感じます。

 

 

☀ このブログでは、本来あまり芸能ネタのようなものは取り上げません。

 

心理の世界に関わりが薄いというのが大きな理由ですが、もうひとつ「できるだけ他者を否定することは書かない。書くならば心理療法に関するような意味が必要」と考えているからです。

 

しかし、今回のジャズトランペット奏者のH氏の行動にはいくつか心理的に見過ごすことのできない点がありましたので、書かせていただこうと思います。

 

正直、H氏について批判的、否定的な文章になります。

ファンの方はすくなくとも音楽やジャズについては聞くのが好きなだけの素人の戯言とお受け取り下さい。

ただ、心理学的側面についてはいたって真面目で真摯なものです。

ご批判やご指摘は受け取りはしますが、理論的に正しいかどうかで判断しますし、基本的に論争を仕掛けるのが目的ではありませんので、ご了承ください。

目的はあくまで「子供に教育的に関わる」ということへの個人的意見です。

また心理カウンセラーは医者でなく、またこの子に直接コンタクトもとっていないので診断はできませんし、あくまでただの推測にすぎないこともお断りしておきます。通常ならば、ブログでは誤解も招きやすくクライアントのためでもないので、できるだけ推測も避けるのですが、将来にわたって無知や誤解、間違ったアプローチから被害にあう子供がでないようにとの思いから記述させていただきます。

 

まず今回の中学生男子へコンサート壇上での怒鳴るなどの威嚇行為や当たったかどうかはさておき暴力行為について、道徳的、また教育基本法で禁止されている(つまり違法行為である)体罰はダメだ、ということに加えて、じつはきわめて心理学的にも問題があります。

 

それは、それらの威嚇行為や暴力は子供の心に怒りや憎しみ、屈辱感や歪んだ自己否定感などを植え付けるからです。

この一般的なすべての子供に当てはまることに加え、見過ごせない点がもうひとつあります。

 

それはこの男子中学生が発達障害やその傾向がある(グレーゾーンの)お子さんの可能性があるからです。

 

これはテレビ番組で東国原英夫さんも指摘されていました。

お笑い芸人、タレント業に加え、政治家経験がありこういった心理学的な教育問題にも造詣がふかいのでしょう。

 

発達障害やグレーゾーンのお子さんと接したことのある方ならばピ-ンときた情報があったのではないでしょうか。

 

1、あのコンサートホールの多くの演奏者や観客のいる会場で自分のパートとはいえ突然、ドラムを自分勝手に演奏しだし、それだけでなくスティックをH氏に取り上げられても手で叩こうとし続けるなどの行為は豪胆ともいえますが、普通の中学生ならまずできません。

反抗を示すためとしても、通常は「(参加を)やめる」という行動をとるのが多いでしょう。それはそのほうが自分へのリスクが少なく、周囲への影響も少ないからです。

「反抗」にしても、抑圧から逃れるように一気に爆発的に行動するというのはどこかADHDの「衝動性」を想起させます。

 

2、情報では、「その個性的な性格から他の子とも衝突が多い」ということも挙げられていました。取材で被害にあったお子さんの性格などは「どういう子か」という観点でなされるでしょう。しかし、このような取材で真っ先に挙げられるということは、取材・情報に間違いがなければ、かなりその子の性格的特徴を示している行動が指摘されているともいえます。

よくあるのは「明るい子」「優しい子」「活発な子」「おとなしい子」などが多いように感じます。

しかし、「他の子と衝突が多い」というのは特徴的に感じます。

そして、この部分も発達障害、とくにADHD、グレーゾーンのお子さんに多い特徴でもあります。

 

 

今回の行動も、通常の範囲を超えて「自分をコントロールできなくなって突発的行動をとり、周囲(今回は主にH氏)と衝突している」ように思います。

 

もしもこの子が発達障害やそのグレーゾーンのお子さんであった場合、H氏のとった行動は最悪です。

 

この種のお子さんにこのようなアプローチをすると、行動改善をしないどころか、むしろ暴力的行動を助長させてしまう危険があるのです。

目の前で、「威嚇や暴力で問題を解決していい」というメッセージを与えることになるのですから。

 

しかも、情報では練習の段階からH氏は暴力行為などの体罰があったとのことです。

もしもこれが真実ならば、じつはこの行為こそがこの子が大事な場面で突発的行動をとった(とらせた)原因かもしれないのです。

 

もしもこの子が発達障害やそのグレーゾーンのお子さんならば、威嚇や暴力などで自分の行動を数ヶ月にわたり無理に抑え込まれて、その限界がきたのであのような衝動的行為に走った可能性があります。

 

では、どうすべきだったのか?

 

基本はあくまでその子に合ったアプローチを考えなくてはならないのですが、この子の突発行動からの推測では、練習中は周囲に行動を合わせなくてはならないのならば練習前の数十分、自由にドラムを叩かせて満足させる、その上で周囲に合わせる重要性を例えばそれぞれの楽器パートが自由に演奏した場合と合わせた場合を録音して聞かせて本人に周囲に合わせることへの重要性の認識と納得をさせるなどの対応ができるでしょう。

 

発達障害やそのグレーゾーンのお子さんは、個人差はもちろんありますが、じつは信頼関係が構築出来て、その人の言うことならば本人が納得すると他の人よりも極めて忠実にその約束は守ります。

融通の利かない性格が、良い方向性で発揮されるのです。

 

そう考えると、H氏はこの子と信頼関係を構築することはできなかったようです。

それだけでなく大事な場面で、突発的行動を誘発させてしまうような間違ったアプローチ(威嚇や暴力、納得のない抑圧)をH氏自身がこの子へしていた可能性があるのです。

 

じつは大事なコンサート場面でのこの子の突発的行動は、H氏が数ヶ月かけて醸成し、誘発した可能性があるのです。

 

これらは「無知」や「共感能力の低さ」から教育者、指導者として失格ということになると思います。

厳しい意見かもしれませんが。

 

ここまでは心理学的側面からの問題への指摘です。

 

 

 

しかし、もう一方で、H氏に関しては「ジャズ音楽家として」どうなんだ?という思いも正直、抱いてしまいました。

 

※ここからはただの音楽素人の戯言です。

 

というのは、僕の狭い認識ではジャズというのは即興性をいかした音楽だと思っていたからです。

 

その世界の天才トランペット奏者ならば、それこそこの男子中学生が暴走した時に、周囲の子へそれとなく指示してセッションさせる、あるいは自分が演奏しだす、それがあたかも演出であるかのように観客に感じさせたのならば、誰もが「ああ、やはり天才というものは違うものだ」と感じたと思うのです。

このような本当の突発事、それも負の出来事さえ即興でプラスに転換させてしまう。

それができる者が、しかも、その即興性を本気で楽しんでいる者が、本物の天才でしょう!

 

この子への説教は、楽屋へ帰り、威嚇も暴力も使わずに行えばよいのです。そのほうが効果的でしょうし。

みんながそれぞれハッピーエンド。もちろんあくまで理想の世界のお話で、現実は違ったわけですが。

 

もちろんH氏の才能を否定するものではありません。輝かしい経歴をお持ちですから。

才能がおありなのは、重々承知しています。

 

しかし、少なくともこの時はもしかしたらH氏は自分がジャズ音楽家であることを忘れてしまっていたんではないだろうか、と感じてしまったのです。

正直、あの映像にうつるH氏の行動は音楽家、それもジャズ音楽家のそれというよりは、「ただの昭和の体罰ダメ教師」のようにしか感じられませんでした。

 

自分は何者なのか

 

常在戦場とよく政治家はいいますが、常に自分は何者なのかは自分自身、問いかけなくてはと今回の問題を考えて、自省しました。

 

今回は、いささか個人への非難が含まれてしまいました。

H氏についてまったく個人的関りもなく、恨みもなにもありません。

個人攻撃や非難の意図ではなく、あくまで心理学的側面、および自分の心の在り方を振り返ってのお話です。なのでイニシャルにいたしました。

お読みくださった方は、ご了承くださればと思います。

 

☀ 「心理カウンセリング」というものは誤解も多いように思います。

 

まず「心理カウンセリング」というものに触れたことのない人は「なんだか恐い」とか「心理操作されるんじゃないか」とか「効果なんてないんじゃないか」というような恐怖感、不安や不信感などを抱くように思います。

 

実際、僕自身も自分が体験するまでは「どこか怪しげ」なものを感じていました。

下手をしたら「変なおじさんに説教されるだけでお金を損するだけなんじゃないか」と考えていました。

 

でも、きちんとした心理カウンセラーのカウンセリングは一定の法則にのっとって行われるもので、クライアントの不利になることはありません。(もちろん過去のトラウマに向かう苦しさとかどうしても避けられない一時期の症状の悪化などは別ですが。もちろんカウンセラーはそこにも配慮をします)

 

僕は心理カウンセラーになる前に自分自身が心理カウンセリングを受けています。

それは心理カウンセリングというものがどういうものなのか知りたかったからということと同時に自分の心を整理しておかなくてはきちんとした心理カウンセリングをできないと考えていたからで、それは今のほうが強くそう思っています。

 

実際、心に問題を抱えたカウンセラーが逆転移を起こしたり、クライアントの心理に鈍いためにクライアントを害しているのを知ったからです。

 

しかし、意外と心理カウンセラーは自分がカウンセリングを受けていないことも多いように思います。

 

教育分析やスーパーバイズは受けているかもしれませんが、正直、これは本来の意味での「心理カウンセリング」とは違うように思います。

 

なぜならば「心理カウンセリング」はクライアント側は「いつでもやめる権利」を有しているのに、これらはあくまでカウンセラーの育成・教育目的という側面が強いからです。簡単にはやめられないという前提があり、本来の意味での心理カウンセリングとはその自由度がまったく違うように思います。

 

優秀な人の教育分析やスーパーバイズは違うとは思いますが、なぜか心理カウンセラーのくせにカウンセリングトレーニングでのスーパーバイズになると攻撃的になり、相手の欠点の指摘に終始するというケースも見てきたので、ついそう感じてしまいます。

 

自分が心理カウンセラーであることを忘れている

 

僕はそう感じていました。

 

まさしく来談者中心療法における3つの治療的パーソナリティのうちのひとつ「自己一致」ができていないのです。

 

基本的に心理カウンセリング(とくに来談者中心療法)では相手に問題や欠点があってもそれをすぐさま指摘してやり玉に挙げるようなことはしません。

そんなことをしても効果がないばかりか、相手の防衛心を刺激して防御的な心理状態にさせてしまい反発心しか産みださないことが多いからです。

 

では、どうするかというと問題のある行動があるならばその行動について、あるいは直接が無理ならその行動にまつわる一連の出来事についてクライアントの方自身に話してもらうのです。

そして、そのことについての自己評価もしてもらうと、比較的健康な心理状態の方は自分自身で問題点をみつけて、しかも修正方法もみつけだせることも多いのです。

 

もちろんここいらへんは個人差もあるので、その人に合った形で関わるわけですが。

 

「相手の欠点を探し出して指摘するなんてことは誰でもできる」

 

昭和の時代、僕の周囲の教師や指導者はそれしかできない人が多かったように思います。

では、どうなったか?

多かれ少なかれ子供たちは学校嫌いになり、教師に不信感を抱いていました。

その子供たちが、少し前から今現在、親の世代です。

 

モンスターペアレントという言葉がありますが、そのモンスターを作ったのは教師や学校自身だと僕は思っています。

 

 

話がかなり脱線しました。(;´・ω・)文才のなさ、頭の悪さ全開ですね~(;^ω^)

 

心理カウンセラーはこのようなアプローチはしません。(一部の流派は除いて)

 

それとなく、穏やかに、でも、確実にその人に合った何らかの形でアプローチして、その人の心に変化をもたらすものなのです。

 

「北風と太陽」のお話のように、太陽のようなアプローチをするのです。

 

それを知るためにも、僕は心理カウンセラーこそが心理カウンセリングを受けるべきだと思います。

 

時間とお金が必要にはなりますが(;^ω^)