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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

☀ 自分のルールというのは誰にでもあるでしょう。

 

一方で、社会のルールというものもあります。

 

あくまでどちらのルールも人権上など問題がないことが前提ですが、「適応的な人間」は社会のルールに妥当性を感じたら順応するためにマイルールを引っ込めて社会のルールを優先させるでしょう。

もしもこの時にマイルールを優先させたら、周囲の人間と諍いなどトラブルになることが多いでしょう。

 

発達障害やそのグレーゾーンの人が周囲の人間と問題を起こす原因のひとつにこの「マイルールの問題」があります。

 

彼らは、一つの傾向としてマイルールを何よりも優先しようとする傾向が強いように感じます。

 

例えばですが、自分の主張を正しいと信じ込んだらそれを「ほんの少しでも譲歩する」というようなことができなかったりします。

もちろんそういう部分は誰にでもある傾向ですが、多くの人は話し合いや信頼関係、社会的立場などを総合的に考えて自分の意思でマイルールを引っ込めることもできるので周囲の人との衝突は最小限にできます。

 

しかし、発達障害やそのグレーゾーンの人は、これが苦手なようです。

 

知的レベルが一定以上あるアスペルガーなどの方はマイルールを維持・主張するために言い訳の論理展開を次から次にくりだしてきます。

それも難しいとなると叫び声をあげながら壁や机を叩いたり、物を投げたりします。

その姿は正直なところ心理の知識がなければ常軌を逸しているので親御さんであっても恐怖やコントロールできない不安などを抱きます。

なので、放置することもあるようです。

たしかによくわからない理由(彼らにとっては大事なマイルールを守るという大義名分がありますが)で叫び、暴れる姿は誰も見たくはないです。多大なストレスになりますから。

親であれば尚更、複雑な感情に耐えがたいかもしれません。

 

しかし、これは負の教育につながる可能性があります。

 

彼らは叫び声をあげて、癇癪をおこして物に当たれば、マイルールを押し通せると学んでしまうのです。

 

しかし、小学校にあがるようになれば、常にマイルールを押し通すことはできません。

先生や級友など周囲とのトラブルに毎日のように見舞われるでしょう。

 

手に負えない

 

そういう状況になっているご家庭もあることでしょう。

 

そういう時は第三者の協力が重要なカギになることがあります。

 

いまだ発達障害の診断を恐れることから病院を受診しないケースもあります。

放置したことで周囲からの非難・攻撃を受け続けるという二次被害が起こっていることも多いようです。

 

でも、今の学校は発達障害などに理解が深いように思います。

発達障害だとわかれば、それに合わせた対応をしてくれる先生も多くいます。

勉強もかなりしているようです。

 

確定診断があったほうが周囲の理解がすすみ、無用な非難や攻撃が極端に減少するのです。

 

また療育などでより適応的に行動できるよう訓練も行われます。

 

マイルールについても、信頼関係が築ければ「マイルールの変更」や「マイルールを主張するときの方法の変更」も可能です。

 

いずれも簡単ではありません。

 

しかし、信頼関係が構築でき、これらの変更ができた場合、逸脱行為があってもそれまでのように無意味な話し合い(というより罵り合い)や叫び声や物に当たる行為に恐怖や不安を感じることはなくなるでしょう。

 

なぜならばコントロールできない不安や恐怖がなくなるからです。

 

例えばですが、「他人が話しているときに関係ない話を延々とする」という行動があり、それがマイルールでは「正しいこと」でそれを中断させられると「叫び声をあげて物に当たる」という行動パターンがある場合、「他人が話しているときは話を聞く。自分の話はその話が終わった後にする」というようなルール変更ができていれば、ひとこと「今、他の人が話してるよ」と声掛けするだけで「マズイ」と思って自分の話を中断します。ルール変更が行われているので、その後のキレる行動は通常、起きなくなるのです。

それでも虫の居所がわるい時、なにか苦手な行事などストレスが過大にかかっている時などはキレる行動をするかもしれません。

 

こういう場合のために、通常は「マイルールを主張するときの方法の変更」に「我慢できずにキレる行動をするときは自分の部屋ないしは自分以外誰もいない部屋でする」という項目を入れておきます。

 

もしもイライラしだしてキレそうならば「自分の部屋で」と声掛けをして自室へ行かせるのです。

その時に、やはり暴れるかもしれません。

 

でも、その自分の行為で自分の物(とくに大事な物)が壊れると、それ以降、物に当たるような行為が軽減されることがあります。

もちろんこれはすべての人に当てはまるわけではありませんが、本人の行動抑制の学習強化になるのです。

彼らは自分の物をとても大切にする傾向がありますから。

 

またこれには家族とはいえ第三者が必要以上のストレスを受けないようにするというメリットもあります。

 

ただいずれにせよこれらを成功させるカギは「信頼関係の構築」です。

 

信頼関係の構築ができていないときは何をやってもうまくいかない、反発ばかり、事態の悪化と良いことが悉くなかったのに、信頼関係が生まれた途端に良い方向へと舵がきられていくのです。

 

そしてこの「信頼関係の構築」は心理カウンセリング・心理療法の基本であり、もっとも大事な部分でもあります。

☀ 虐待を受けた人は、虐待者を「怪物」や「バケモノ」のように感じることが多いものです。

 

それは虐待の構図が、そもそも年齢的、肉体・体格的、立場的に、強者・弱者の関係にあるからです。

 

しかし、虐待者はほんとうに「怪物」なのでしょうか?

 

真実は、真逆です!

 

虐待者は、「社会」という広い場所にでるとむしろひどく弱い存在です。

 

なによりも一般的なレベルで考えても、虐待者の精神構造はひどく脆く、弱いものです。

 

「自分」というものを確立している人は精神的に真の強さを持っていますが、虐待者は「自分」を持っていないか、そうでなくとも自覚・意識できずに周囲の人間(自分よりも強い者)の顔色をうかがってばかりいて「自分」がわからないか、すくなくとも本当の意味で大事にはできていないものです。

 

心理学的には、自己実現能力に乏しい場当たり的な生き方しかできない人たちなのです。

 

そんな風だから、子供とか女性とか、生徒とか部下とか立場の弱い者に八つ当たりしてうっぷんを晴らすのです。

 

では、なぜ虐待者はそんな風なのでしょうか。

 

それは彼らの多くもまたすべからく「かつて虐待にあった被害者」だからです。(パーソナリティ障害、とくにサイコパスに分類される人は別の要素があります)

 

虐待にあった者は、過去に生きています。

 

過去に受けた虐待の記憶、それに付随する怒りや憎しみや悲しさや無力感や悔しさやその他さまざまな負の感情に支配されて、逃れられていないのです。

 

だから、虐待者はささいなことがきっかけで逆上し、怒りや憎しみを周囲にぶつけます。

もちろん自分よりも強い者にはしませんが。

その場の怒りだけでなく、過去の虐待記憶の感情も上乗せしているので事情を知らない人(周囲の人や虐待を受けている人)は怒り狂って暴れる怪物のように感じてしまうのです。

 

でも、真実は自分の虐待記憶や感情を処理してこなかった自分に向き合えなかった、自分をコントロールできない「弱い人」なのです。

 

実際、年をとり、老齢期になって社会的地位も体力もなくなった虐待者はむしろ卑屈で哀れな姿をみせるようになります。

 

自分がなく、他者ときちんと関われないので、そうなってしまうのです。

 

「怪物」だとかつて感じていた虐待者は、そんな存在です。

 

けして「強い者」ではありません。

 

しかし、虐待被害者の心には、仮に虐待者が死のうが、哀れな姿をさらそうが、「怪物」のイメージが残り続けます。

 

そして、その時の負の感情も残り続けています。

 

いえ、むしろ時間の経過とともにその「怪物」のイメージや負の感情は増幅しているかもしれません。

 

虐待に関する心理カウンセリングにおいて、真の「怪物」とはこのイメージとそれに付随する感情です。

 

虐待者が酷い生活をおくってようが、酷い死に方をしようが、虐待を受けた人が救われるわけではありません。

 

むしろ「なんでこんなチンケな、弱い、低レベルな人間に自分はあれほど怯えて、恐怖でいっぱいになっていたんだ」という苦しみさえ生まれるかもしれません。

 

放置すれば、いろいろな形でこの心の中の怪物に侵食され、虐待の被害者もまた、虐待者という「怪物」になってしまうかもしれません。

 

「虐待の連鎖」というものです。

 

もちろん中には強靭な精神力で反面教師的に虐待の悪影響を最小限にとどめる人もいます。

 

でも、これができるのはごく少数の人たちだけです。

そして、さすがに悪影響が0にはならないのです。

どんなに強靭な精神力をもってしても。

 

しかし、真実をみつめ、闘う意思をもち、今の自分にとって大事な存在(自分自身も、です)を守ろうとするのならば、倒して勝つことができます。

 

心理カウンセラーという伴走者、心理療法という武器もあります。

 

ただこれは簡単な戦いではありません。

 

強い敵を、自分も強くなって倒すなどという単純な話ではないからです。

 

自分自身の弱さや負の部分の感情、自分にとって都合の悪いことも含めて受け入れなくてはならないからです。

 

強烈な劇薬を飲むようなものです。

 

のたうちまわり、苦しむでしょう。

 

そして、「なんで自分だけがこんなに苦しい思いをしなければいけないんだ」という理不尽さにも苦しむでしょう。

 

世の中には、虐待とは無縁で子供時代を過ごし、幸福そうにみえる人たちがいくらでもいるからです。

 

もしかしたらそういう人たちと自分を比べて、「自分は劣っている」と感じるかもしれません。

 

しかし、虐待を克服した人たちには、そういった人たちとは別の力が生まれます。

 

「より自分らしさを追求する精神力」

「自分を否定する存在へ抵抗する精神力」

「弱者への強い共感能力」

 

など。

 

過酷な状況を生き抜き、「怪物」を倒した者のみが身につけられる力です。

 

目の見えない人が、聴覚を極限まで研ぎ澄ませて通常以上の力を発揮する、そんな力です。

 

虐待を受けた人たちが、自分と向き合い、過去と向き合った結末のひとつの形です。

 

「怪物」を倒したことのある人にしか、実感はわかないかもしれませんが。

☀ 「継続は力なり」とよくいわれます。

 

スポーツや学業、研究から芸術に至るまで、すべからく通じることに思います。

 

そして、心理療法にもこの言葉は当てはまります。

 

時折、1回のカウンセリングであらゆる心の問題が解決すると思われる方がいますが、さすがにこれは世界一のカウンセラーでも100%無理です。

できるという人はビジネストークをしているだけか、詐欺師かでしょう。

 

もちろん日常生活のちょっとした悩みならば1回や2回で解決できることもあります。

クライアントの方のお悩みの中には「日ごろの不満をただ誰かに聞いてほしいけれどその相手がいない」というものがありますが、このような場合は50分たらずで解決してしまうこともあります。

 

しかし、この不満が数年、あるいは数十年ぶんのものならば1回50分では時間が足りないでしょう。

 

この場合は、数回は継続する必要があります。

 

また初回のカウンセリングでは「本当の」主訴がわからないケースもあります。

 

主訴というのは、クライアントの方の解決してほしい問題に関する訴えのことですが、「初回カウンセリングでの主訴」の奥にさらなる問題が潜んでいてそこを解決しなければ最初の主訴も解決しないというようなケースです。

 

例えばですが、最初は学生時代のいじめのトラウマから人間不信がひどくて友人関係が築けないので改善したいということを訴えてこられた方が、カウンセリングを進めていくにつれていじめの問題は解決していっているのにまったく現実に変化がない場合、さらにお話を聴いていくと根底に家族関係の問題が潜んでいた、あるいはごく軽度の発達障害があって他人の心理を読み取れなくて周囲に適応できなかった、などのようにカウンセリングをすすめていく過程で明らかになっていくということもあるのです。

 

こういったケースなどの場合はクライアントの方自身も気づいていない、意識していない場合がほとんどですので(意図的に隠している場合はカウンセラーは「違和感」とか、「クライアントの方のお話を受容しきれていないな」という感覚をもつので気づきます)、カウンセリングを続けていったことで問題が明らかになるといってよいでしょう。

 

またとくに来談者中心療法はアドバイスや指摘、教育などの部分は必要なポイントだけで基本、クライアントの方の心の力を信頼して、それが弱くても育つのを待つような部分もあると思います。

 

「急がば回れ」

 

一見遠回りのようで、振り返ってみれば一番の近道だったというパターンです。

 

成功率が高くて、応用力もある療法だと思いますが、一定の時間は必要です。

 

そして、スポーツや音楽などの芸術、勉強などと同様に右肩上がりによくなっていくというよりは、ちょっと良くなって停滞、停滞期を継続してがんばっているとある日また少しよくなる、という感じで、それを繰り返していって、ある段階に来た時にどんと急激に改善するのです。

 

ほぼそんなパターンが多いように思います。

 

時折、カウンセリングをいろいろと変える方もいますが、たしかに療法やカウンセラーとの相性もありますから、変えること自体は選択肢として大事です。

 

でも、一つ一つのカウンセリングをきちんと最低限は継続はしているでしょうか?

 

少なくとも来談者中心療法のカウンセリングは8~10回(週一が基本なので二か月ほど)という回数が一定の成果が出ているか判断する基準です。

僕もこの回数でクライアントの方に心理変化や行動変化が起こっているか判断しています。

起こっていなければ、それまでのセッションはどこかに問題がある可能性があるのです。

 

逆をいえば、8~10回で最初に目に見える効果がでる(人によりますが小~中程度の改善、変化があらわれる)といってもよいでしょうか。

カウンセラーも本領を発揮できてくるといえます。

(ごく単純化していますが(;^ω^))

 

それ以前の回数でカウンセリングをやめることを繰り返して症状・問題が改善しない人は、この回数を考慮に入れてみてください。

 

最初の1,2回はよそよそしい感じがしたカウンセラーが次第にフレンドリーに感じられるかもしれません。

もちろんカウンセラーは訓練を受けたり、経験もあるので、初回から一定の関わりができるものですが、逆に経験があるとさまざまなケースを想定するので緊張する部分もあります。もちろんその緊張もコントロールはするのですが。

 

心理カウンセリングというものはほんとうにさまざまなケースばかりなのでじつはカウンセラーもとくに初回は緊張するものなのです。

もちろん僕の個性や未熟さもあるのですが。

 

また、同時に緊張がなさすぎなのも問題かとは思いますが。