実際、知れば知るほどひどい虐待というものが存在します。
僕が知るなかでは(僕のクライアントではなく、守秘義務のおよぶ範囲外のお話です)解離性同一性障害(一般的には多重人格)の女性で、実際にお会いしたことがありますが、3~5歳で実父や近所の男からの性的虐待がはじまり、その後も十代後半で家を出るまで実父や家族からさまざまな虐待が継続されていたケースがあります。
そのケースでは実際に刃物で父親を刺そうとして失敗しています。
それ以外でも、ほんとうに継続的にひどい虐待を受けた人のお話は、もはや常識的な人間の話の範疇を超えていると感じたものでした。昔は。
しかし、なによりもやるせないというか、割り切れないような、言葉にもできないような感覚になるのは、どんなにひどい虐待を受けていても、子供は親から愛されたいし、愛したいと願っているという事実です。
あくまで第三者である僕からみれば「そんな人間とも言えないような化け物は見限って捨てればいい」と感じていても、当の本人は、心の奥底、ほんとうに深い部分、無意識でもさらに奥の底のほうで「ふつうに愛されたい」「ふつうに愛したい」と願っていることが多いのです。
残念ながら、その想いがかなえられるケースを僕はほとんど知りませんが。
もちろん意識の表層では怒りや憎しみなどの攻撃性が前面に出ています。
実際に殺そうとしたり、殺してしまったケースもあります。
そういうケースでさえ、奥の奥にはなぜか「親として愛されたい」「親として愛したい」という想いがあるのです。
それはお話のどこかで親を理想化した話があったり、無理に親をかばう話が初期や途中の話に出てきたりすることでも垣間見られます。
個人的には、「そんな親は切り捨てればいい」というのは正解だと思います。
実際、無理して関わっても得られるものがないばかりか、関われば関わるほど、ひどく傷つけられます。
彼ら虐待者には、「子供をふつうに愛する能力が備わっていないから」です。
彼らもまた虐待を受けていたり、サイコパスのように生来の問題を抱えていたりということはあるでしょう。
適切な心理療法を受ければ、改善する部分はあるかもしれません。
しかし、そもそも彼らは心理カウンセリングも心理療法も受けようとはしません。
受けるとしても、せいぜい重大な犯罪を犯したため半ば強制的に隔離施設で受けるのが関の山です。
その動機も受けたほうが模範囚扱いになって刑期が短くなるからというサイコパス的発想で、自分の利益を考えているだけ。自分の問題を改善しようという高尚な人間らしい心情からではありません。
それでも子供は無意識に「親から愛されたい」「親を愛したい」と思っています。
そのあまりにも大きなギャップ自体に苦しめられてもいるのです。
虐待を受けた子供が骨を折られようと刃物で刺されようと、親の元へ戻ろうとするのもそんな心情が心の奥底にはあるのでしょう。
虐待を受けた人、というよりも人の心は複雑です。
笑っていてもじつは人を怖がっていたり、怒鳴り散らして周囲を威嚇していてもじつは人を怖がっているだけだったり、というのが通常です。
さすがにもう慣れてしまいました。
人の表面で、人を判断することもありません。
それでもこの虐待を受けた人が「それでも親を愛し、親から愛されたい」と願う、心の奥底のほんのわずかな、でもなによりも強い想いにふれると、憐憫でも同情でもなく、また心理カウンセラーにとって一番大事とされている「共感」なのかもしれないけれど、それとも違うような、同じような、それを超えた部分なのか、なにかわからないような、言葉にできない感覚になります。
そういう時、心理学的知識とか心理療法の技法とかが入り込む余地は自分の中にはありません。
そういったものや、ましてやアドバイスなんかでどうこうなるものではないからです。
自分にできることはなにもなく、ただ寄り添いその場でその人の心を感じることしかできないというのが正直なところです。
しかし、同時に人の心には大きな力が秘められてもいます。
ご自分の心の力で、ご自分なりに区切りをつけて、次へ向かおうとされる方も多くいます。
人の心の可能性、です。