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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

☀ 親からひどい虐待を受けた人は「あんな奴はクズだ」「人間じゃない」とか「殺してやりたい」とか強烈なことばを言います。

実際、知れば知るほどひどい虐待というものが存在します。

僕が知るなかでは(僕のクライアントではなく、守秘義務のおよぶ範囲外のお話です)解離性同一性障害(一般的には多重人格)の女性で、実際にお会いしたことがありますが、3~5歳で実父や近所の男からの性的虐待がはじまり、その後も十代後半で家を出るまで実父や家族からさまざまな虐待が継続されていたケースがあります。
そのケースでは実際に刃物で父親を刺そうとして失敗しています。

それ以外でも、ほんとうに継続的にひどい虐待を受けた人のお話は、もはや常識的な人間の話の範疇を超えていると感じたものでした。昔は。

しかし、なによりもやるせないというか、割り切れないような、言葉にもできないような感覚になるのは、どんなにひどい虐待を受けていても、子供は親から愛されたいし、愛したいと願っているという事実です。

あくまで第三者である僕からみれば「そんな人間とも言えないような化け物は見限って捨てればいい」と感じていても、当の本人は、心の奥底、ほんとうに深い部分、無意識でもさらに奥の底のほうで「ふつうに愛されたい」「ふつうに愛したい」と願っていることが多いのです。
残念ながら、その想いがかなえられるケースを僕はほとんど知りませんが。

もちろん意識の表層では怒りや憎しみなどの攻撃性が前面に出ています。

実際に殺そうとしたり、殺してしまったケースもあります。

そういうケースでさえ、奥の奥にはなぜか「親として愛されたい」「親として愛したい」という想いがあるのです。

それはお話のどこかで親を理想化した話があったり、無理に親をかばう話が初期や途中の話に出てきたりすることでも垣間見られます。

個人的には、「そんな親は切り捨てればいい」というのは正解だと思います。

実際、無理して関わっても得られるものがないばかりか、関われば関わるほど、ひどく傷つけられます。

彼ら虐待者には、「子供をふつうに愛する能力が備わっていないから」です。

彼らもまた虐待を受けていたり、サイコパスのように生来の問題を抱えていたりということはあるでしょう。
適切な心理療法を受ければ、改善する部分はあるかもしれません。

しかし、そもそも彼らは心理カウンセリングも心理療法も受けようとはしません。
受けるとしても、せいぜい重大な犯罪を犯したため半ば強制的に隔離施設で受けるのが関の山です。
その動機も受けたほうが模範囚扱いになって刑期が短くなるからというサイコパス的発想で、自分の利益を考えているだけ。自分の問題を改善しようという高尚な人間らしい心情からではありません。

それでも子供は無意識に「親から愛されたい」「親を愛したい」と思っています。

そのあまりにも大きなギャップ自体に苦しめられてもいるのです。

虐待を受けた子供が骨を折られようと刃物で刺されようと、親の元へ戻ろうとするのもそんな心情が心の奥底にはあるのでしょう。

虐待を受けた人、というよりも人の心は複雑です。

笑っていてもじつは人を怖がっていたり、怒鳴り散らして周囲を威嚇していてもじつは人を怖がっているだけだったり、というのが通常です。

さすがにもう慣れてしまいました。
人の表面で、人を判断することもありません。


それでもこの虐待を受けた人が「それでも親を愛し、親から愛されたい」と願う、心の奥底のほんのわずかな、でもなによりも強い想いにふれると、憐憫でも同情でもなく、また心理カウンセラーにとって一番大事とされている「共感」なのかもしれないけれど、それとも違うような、同じような、それを超えた部分なのか、なにかわからないような、言葉にできない感覚になります。

そういう時、心理学的知識とか心理療法の技法とかが入り込む余地は自分の中にはありません。
そういったものや、ましてやアドバイスなんかでどうこうなるものではないからです。

自分にできることはなにもなく、ただ寄り添いその場でその人の心を感じることしかできないというのが正直なところです。

しかし、同時に人の心には大きな力が秘められてもいます。

ご自分の心の力で、ご自分なりに区切りをつけて、次へ向かおうとされる方も多くいます。

人の心の可能性、です。

 カウンセリングの成功率はどれぐらいか?

 

これは突き詰めると難しい問題です。

 

なぜならばカウンセリング(とくに民間のカウンセリング)においてカウンセリングの終了の形はさまざまだからです。

 

一番カウンセラーにとって望ましい終わり方は、カウンセラー、クライアント双方が終結へと近づいていくのを感じながら主訴(クライアントの方の訴え)が解決されて(問題が解決されて)、カウンセラーが「そろそろ問題も解決してきたようですし、今後のカウンセリング継続の必要性を考えませんか」というようなアプローチ(これはまたクライアントの方の性格や状態や問題の質などの条件により、言い方伝え方も含めて、さまざまです)をして、クライアントの方も納得されて(すぐではないことも多いです。多かれ少なかれ、うまくいったカウンセリングではクライアントの方は「カウンセラーとの関わり」というバックボーンに安心感を得ているのが通常だからです。それがなくなることへの不安がカウンセリング終結により起こってくるのです。悪徳カウンセラーは料金を長期に得る目的で、そこからクライアントを依存的にしてしまうこともあります。お気をつけください!)、カウンセラー、クライアント双方が着地点の確認をして終わり、というものでしょうか。

 

困難な事例であればあるほど、綺麗な終わり方とクライアントの方の心の力に、カウンセラーは感動にも似た感情をもつように思います(そこにとらわれ過ぎてはいけないと思いますが)。

 

ただ自分以外の方のお話でも、こういうある種理想的な終結は少ないようです。

 

最初の主訴はいちおう解決できてきたけど、もう少し通ったほうがいいのに、現段階では小さな問題や当面の問題は解決したかもしれないけどまた同じ問題が今後起こりそうだな、なんていう形の段階でクライアントの方が来なくなったりもします。

 

また一度カウンセリングが中断になっても、再び再開というケースもあります。

 

この終わり方がさまざまだというのが成功率を正確に算出するのが難しい理由のひとつでしょうか。

 

あともう一つ、理由があるなと感じたのは「臨床とことば」(河合隼雄×鷲田清一)を読んでいて、そこに野球に例えて三割ちょっとで大打者、四割打ったら天才とあったことです。

 

 

つまり河合隼雄氏は成功率3割ちょっと、よくて4割だったのでしょう。

 

以前に知ったケースでは成功率7~8割というお話が多かったように思います。

 

自分自身のケースでもだいたい成功といっていい確率は7~8割でしょうか。

 

これは何を意味しているのでしょうか。

 

河合隼雄氏が心理カウンセラーとして劣っているなどということはあり得ません。

 

どちらかが嘘をついている?

 

それもないでしょう。

 

理由は、推測ですが、クライアントの方の質(人間性や性格などの良い悪いではありません)のように感じます。

 

というのは僕のように住宅街の自宅一室を改装してカウンセリングルームにしているような民間カウンセラーのところへはほんとうにさまざまなお悩みの方が来られます。

 

心は健康そのものだけれど、最近の対人関係などで悩んでいるというようなケースは1~2,3回のカウンセリングで整理がついて解決してしまうことも少なくありません。

こういうお悩みは来談者中心療法がもっとも得意とするところだと思います。

 

問題は、精神疾患レベルやそれと同レベルの大きな心の問題を抱えたクライアントの方です。

 

正直、成功率は落ちます。

 

クライアントの方の不安定さが比較になりません。

また治療法が確立されていないものも多くあります。

あっても予想外のことも起こります。

 

おそらく河合隼雄氏は有名かつ有能であるがゆえに困難なケースに多く関わられていたのでしょう。

 

とはいえ、そういうケースばかりということもないでしょうから困難なケースだけであれば成功率はどれぐらいになるでしょうか。あくまで推測の域を出ませんが、通常で2割台後半、がいいところでしょうか。河合隼雄氏のように天才といわれた人でさえ3割ちょっと。

 

いま新しい心理療法は次々に生まれてきています。ちょっと前からは仏教の禅など東洋思想から影響を受けたといわれるマインドフルネスの手法が流行しそう(している?)感じです。

 

成功率は向上するのでしょうか?

 

ただ瞑想法は僕自身が以前からよく使う手法です。

それだけで大きな変化はなくとも、自己の内面をみつめる習慣のない人には習慣づけができますし、心を安定化するようコントロールする手助けになるからです。

 

何事もそうですが、日々向上は大事なことだと感じます。少しでも成功率を高めるために。

 

 

☀ 「セルフカウンセリング」はある意味で難しいものです。

 

難しい理由のひとつには、セルフカウンセリングに使える心理療法は限られているからです。

 

例えばですが、面談型のカウンセリングは当然ながらカウンセラーとクライアントの両方が必要ですので、基本ひとりでは無理です。

 

鏡でも使えばそれなりの形になりますが、とくに来談者中心療法の根幹は他者の「共感」により心の問題が改善していくので、本来の力は発揮しないでしょう。

 

そこで僕は自己暗示法や瞑想法を常に毎日行い、それに加えて認知行動療法を行います。

 

とくに認知行動療法の技法の中のコラム法は1回でかなりのストレスに対処できます。

 

ストレスを感じたときは多くの場合、思考が少なからざる迷いや混乱に乱されています。

コラム法を行うことで、その部分の整理は簡単につきます。

もちろんすぐさま気持ちがストレス0%になるわけではありませんが、けっこうストレス度が下がります。

大抵はそのまま放置で心の安定化が図れます。

 

この一人でできるという部分は認知行動療法のとくに優れた点かと思います。

 

もともと日記をつける習慣がなく、子供のころの夏休みの日記は8月も残り1週間ぐらいになってまとめてつけるような子供だったので、最初は活動記録表やコラム法に関しては「どの程度のものか」ぐらいに考えていましたが、実際やってみると効果が高いことが実感されます。

 

ある意味、自分で自分を実験しているような部分もありますが。