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心のお話と雑記ブログ 

心理のお話などを独断と偏見も交えてお話します!!

2番目のルート。

 

「学校へ(無理にでも)行かせる」

 

これがいちばんダメな不登校対応と思う人もいるかもしれませんが、昭和から平成くらいの時代に不登校の子供を無理やり車に押し込んで学校へ運ぶ。(当時の)学校とも通じていて校門の前で教師が身構えて待っている。そのまま教室へ「連行」。この運び役にメディアにもよく出ていた業者が関わっていました。しかし、この業者はいつも怒った顔のおばさんとその息子で、逮捕されてからこの手法は沈静化したと思っていましたが、ついこの前同様の業者が報道されました。

 

まだそんな奴がいたのか

 

数十年前の亡霊をみた気がしました。(じつはこのブログを再開したきっかけでもあります)

 

このやり方が極めて問題なのは1つには、子供がトラウマや不安・恐怖といった問題を抱えていた場合、確実に悪化してよけいに不登校状態が続き、最悪は学校へ通う年齢が終わっても家からほとんど出られない長期の「ひきこもり」になってしまうこともあるからです。

実際、2,3日~一週間は学校へ通うかもしれません。

しかしそれはまた「連行」されることへの恐怖や屈辱感(ここが極めて問題です)をこれ以上味わいたくないという心理的圧迫で無理やりそうしているだけなので長続きはしません。

もともと不登校の原因がいじめや友人や教師との人間関係にありトラウマ記憶があるのならばそこに上乗せしてトラウマを与えたわけですからその子の心の状態はより悪くなっているわけです。

しかし短期的にしかものを見ることができない親や教師、業者はたった2,3日学校へ行ったと大喜びするわけです。

そしてその後状態が悪化した子が学校へ行けなくなる(下手をすると自分の部屋からさえ出られなくなる)と「弱い子だから」とかその子に責任を押しつけるのです。自分たちが状況を悪化させたのですけれどね。

 

子供にも心があり、意思があります。

 

まだ低年齢だととくに言語化ができず、自分の気持ちを自分で理解することも、それを他者へ伝えることもできないことが多いですが、彼らは彼らで確実になにかを感じ、考え、さまざまなことを思っています。

 

大事なのはそこです。

 

そこを無視して実力行使をすればうまくいかないことはちょっと冷静に判断すれば多くの人がわかるはずです。

 

ただ親御さんはいわば追いつめられている状態ともいえます。

 

なぜ自分の子が不登校になったのか、自分の育て方や関わり方のせいじゃないのかとか自分自身を責めていたりします。

 

そこに変な業者はつけこむのです。

 

人の弱みにつけこむ。

 

そしてなにより事態を好転どころか悪化させる。

 

この2番目のルートはほとんど役に役にたたないと考えます。

 

もしも効果を発揮するとしたらせいぜい「悪ガキが意図的にさぼって2,3日学校へ行かない」程度の問題の場合でしょう。

こういう場合は親御さんや親せき、友人の協力で説教するか「送迎」してあげればよいのです。

しかし、業者がからんでいる場合はそうではなく何らかの心理的問題を抱えている可能性が高い子ばかりのように思います。

それは肺炎を起こしている子供を「体と精神が弱いからだ」と自分の狭い価値観と知識で早計に判断して滝つぼに放り込むようなものです。

そんなことをしたら子供は肺炎を悪化させて最悪は死に至るでしょう。

やるべきことは体調の悪化を察知して病院へ連れていくことです。

 

不登校にはさまざまな原因があります。

しかし原因があるということはそれに応じた対処法もありうるということでもあります。

 

 

 

物事をはかるのに「ものさし」があるのとないのとでは雲泥の差がついてしまう。

そういうことは多いように思います。

 

例えばですがもしも自動車にスピードメーター(速度計)がなかったらどうでしょうか?

交通規則が守りづらい、感覚だけでの判断なので高速と低速の車が混在して危ない、など問題が個人と社会双方に起こるでしょう。

薬もそうですね。

七歳~十歳以下の子供は一回1錠、成人は二錠など錠剤やカプセルの個数という「ものさし」がそこにはあります。飲む分量を間違えると健康を損ないますし、最悪は死に至ってしまうこともあるでしょう。それらを防ぐ一番簡単な方法なのでしょう。

 

前回お話した「一週間」というのはひとつのものさしです。

 

例えばですが親しい友人と喧嘩した(いじめではない)というシンプルな問題の場合、仲直りしようと思えれば不登校にはならないでしょう。しかし、会いたくない、罪悪感、自己肯定感が低いがゆえにすべて自分が悪いといったような負の感覚が強いと思春期などは相手に会うことすらできないままになりがちです。

こういう場合、親御さんが背中を押して「まずは会って謝るべき部分があるなら謝って、仲直りしようと話したら」というアドバイスをするだけでうまくいくこともあるでしょう。

もちろん相手のあることなのでうまくいかないケースもあるでしょう。

しかしそれはそれで結果がでるので意外と自分で自己修復して次の友達という風に気持ちを切り替えることもあるでしょう。

ここで大事なのはまずは「相手に会う」ということなわけです。

実際の相手(拒否する相手であっても)より、自分の不安や恐怖といったものが作り出す心の怪物のほうが厄介です。

これは時間が経過するほどに大きく強力になることも多いものです。

 

不登校の場合の一週間というのはまず最初の「ものさし」なのです。

不安や恐怖といった怪物がさほど大きくなっていない段階、ということなのです。

なので学校へ行ってみたら意外と大丈夫ということもあるわけです。

 

もちろん不登校も極めて深刻なケースがあるのでこの「ものさし」が通用せず、むしろ行かないほうがよいケースもあります。

いじめや教師との関係性が問題である場合はその加害内容など慎重な吟味が必要です。

こういう場合、もはやそれは「不登校」という用語自体が不適切かもしれません。

学校を捨てた、学校に頼らない、危険人物から離れる防衛行為、人生サバイバルの正当な手段。

「不」ではなく、積極的な意思の表れである積極的な生存戦略です。

 

「学校へ行かない」という選択肢は重要です!

 

その利点の最大要因は「心や体を休める必要があるから」です。

不登校にはさまざまな原因がありますが、多かれ少なかれ教師の加害、いじめ、友人とのトラブルその他心身にダメージを負っていることが多くあります。

どんな屈強な人間でも事故にあったり病気になればまずは安静にしておくというのは第一選択です。

 

次に教師の加害やいじめなどがある場合には「危険な場所から離れる」という意味があります。

もしも火山が爆発して溶岩が流れてきたら第一選択は「そこから遠くへ離れる」です。

「自分は強いから立ち向かうんだ」と溶岩流へつっこんでいく人間は勇敢なのではなくただの愚か者です。(誰かを救うためにというならばリスクは高くとも勇敢と呼べますが)

 

なので不登校問題の初期はとくに休む=学校へ行かないというのも意味があります。

 

ただある時期までの不登校対応はとにかく休みましょう、無理をさせないようにしましょうということに特化しすぎた結果、ある段階を経ればふたたび学校へ行ける子まで不登校状態を長期化させてしまい、その後学校へまったく通えなくなる人が増えたような気がします。ここが第一のリスクです。

心の負担やストレスを減らし、トラウマがあるならそこを改善すれば本来自ずから学校へ行きだす子まで不登校状態にしてしまうことがあるのです。

なので休む時間はその子によりますが、完全な不登校状態は基本的には一週間を目安にしています。

すくなくとも一週間過ぎた頃には話ができる子ならば学校へ行ったほうがいいかもとかちょっと行ってみようかなとか言い出すことがあります。

こういう子の心理には「学校へ行きたい」という思いが潜んでいることがあります。

ただだからといって無理はいけません。

とくに親御さんが喜んでいきなり普通登校させてもかえってうまくいかなくなることがあります。

こういう場合、保健室登校、あるいは校門まで、学校の近くまでなど段階をいくつも持っていることが重要です。

初期の段階では当然ながら問題の根本解決はされていないので教師や友人との関わり次第では梯子をふみはずして落ちてしまうようにかえってダメージを深く負うこともあります。

では、なぜある程度休んだら学校へ行くような行動をしたほうがよいのかというと「怪物化を防ぐため」です。

なにが怪物化するかというと「学校」が、です。

不登校の時間が長くなると頭の中でいろいろな空想をします。

友人たちは自分の悪口を言っているのじゃないか、自分の居場所はもうないんじゃないか、担任はいじめっ子の味方なんじゃないか(実際、そのとおりのこともありますが)など空想がさらなる空想を生み、学校へ行けない理由がどんどん増えます。

これを防ぐ一番簡単な方法がどのような形であれ学校へ行ってしまう、です。

なかには保健室の先生や同じ保健室登校の子と接することで癒されることもあります。学校の中にも教室とは違う空間がある。そのこと自体が救いになることもあります。そういう意味では保険の先生というのは極めて重要なポジションにいると思います。自分の小学校の時を思い浮かべると「ひいきして態度を変える」「地味な子や病気などで容姿に特徴がある子をあからさまに差別する」などきわめて不適正な人物が担当していましたが。

 

すくなくともわずかでも関わることで休んだ後の学校の雰囲気や感覚を知ることができます。

こういった「現実」は負の空想を打ち消します。

 

もちろん無理はいけません。あくまで本人が希望し、可能ならの話です。なので休む期間が一か月以上になることもあるでしょうし、そもそも相談に来た段階でそれなりの期間が経過していることも多くあります。

 

無理なケース、不適切なケースもあります。

先天的な感覚過敏のような症状があって多くの人といるのが苦痛というケース、パニックを頻繁に起こしてしまうケースなどは保健室登校を続ける、人と接する機会の少ない通信制学校など別の選択肢のほうがよいだろうケースもあります。

ただ一定のプロセスを経れば2~3か月程度の(心理療法の)関わりで学校へ自分から行くようになることもあります。

心理療法の場合、この「期間」はどれだけ早く信頼関係を築けるかということになります。

信頼関係の構築だけで1~1年半以上かかるケースもあります。

すべてにいえますが、「個人差」はかなりあります。それが前提です。

 

大事なことは「休む」にもその人に適切な期間があるということだと思います。