日本スポーツ協会がスポーツをしない人(正確にはスポーツ・運動の実施頻度が月に1日以下)を対象にした調査をしていた。

 

プレスリリース「意欲はあるものの、実施頻度が月1日(回)以下の方には、5人に1人の割合でトラウマやネガティブな経験が!」

 

以下、引用しながらツッコミを入れていく。

 

まず、この調査の目的は

適切な環境整備の参考にするため

らしい。なぜそこまでしてスポーツをやらせたいのだろうか。

 

2ページ

本調査から、子どもや学生時代などに接する指導者や保護者からの声かけや指導方法、周囲のリアクションなどによって、スポーツ・運動への意識形成や実践意欲に影響することが示唆されています。このような結果を、スポーツに携わる我々関係者はどのように捉えるべきでしょうか。

スポーツ側の人間の態度や発言がスポーツ嫌いを増やしているという結果が出ているのに、なぜ疑問形で終わるのだ。改める気はないということか。

 

当協会は、スポーツの楽しさを1人でも多くの方に伝えたいと考えています。この結果を検証し、誰もがスポーツ本来の楽しさや喜び、ワクワクが感じられるような環境の整備を進めていきます。

「多くの方に」なら別にいいと思うが、なぜ「誰もが」になるのだろうか。こういう表現が出てくるところが、スポーツ業界が「スポーツ嫌いは存在しない」と考えている証拠ではないのか。スポーツに楽しみを感じない自由はないのか。

 

以下、2つの集団の結果があるのだが、意図的に一部を省略したり明記せずに出しているように見える。

・スポーツ・運動への意欲があるものの、実施頻度が月に1日以下(以下A)

・スポーツ・運動への意欲がなく、実施頻度が月に1日以下(以下B)

(各300サンプル)

 

5人に1人が、過去にスポーツ・運動に関するトラウマやネガティブな思い出があることが判明。

表題だけではAかBか分からない。これはAの結果である。Bの結果は全体を読んでも出てこない。AよりBの方がスポーツに対してネガティブなことは容易に想像がつく。あまりにネガティブ比率が高いので、カットしたのではないかと邪推してしまう。

 

トラウマやネガティブな思い出の例

 

・ものすごくしごかれた経験がある 

・指導者からいじめられていた 

・小学生の頃、強制的にやらされていたので嫌だった 

・訓練が厳しかった、結果を出さないといけなかった 

・絶対勝たなきゃいけない試合に自分の調子が悪く負けた 

・部活で無理矢理部長にさせられた 

組体操で落ちた経験がある 

・チーム決めなどの時、最後まで余っていて嫌だった

出来ないことへの周りの目線が嫌 

・体育の授業中に笑われた 

・走るのが遅く運動会ではいつも最下位だった

・股関節に問題があり早く走れなく、いつも運動会で同級生から非難の的になり辛かった

・水泳の授業で飛び込み台から無理やり突き落とされた

・チームスポーツなのに無視された 

・持久走で呼吸困難になっても走らされ笑われ、それをネタにいじめを受けた

 

過去、当ブログで論じた要素が軒並み登場する。Aでもこれなのだから、Bはもっと壮絶な内容があったのではないか。これを読んでも冒頭のように「どのように捉えるべきでしょうか」としか思わないのが、スポーツ業界なのだ。自分たちに非があるとはかけらも思っていない。

 

3~5ページ

「スポーツ」「運動」「遊び」「体育」「部活」という単語に対してのイメージを聞いている。グラフはAに関してのものでBについては4ページの最後に6行あるのみである。Bだとスポーツ、運動については「義務感はないがやりたくない」が43%、44%とある。他の選択肢は「義務感を感じるしやりたくない」「義務感は感じるがやりたい」「義務感を感じないしやりたい」なのだが、内訳は不明である。運動、スポーツについて「義務感を感じるしやりたくない」はAでも15~20%くらいある。Bではさらに増えていると見るのが自然で、2つ合わせると大半になると思われる。なぜ出さないのだろうか。過去にも述べたが、スポーツ業界には「スポーツをやりたくない」人間の存在そのものを認めようとしない体質があると見るのが妥当だろう。

 

6ページ

どういうスポーツならやってみたいかという調査。A,B両方の結果が比較できるように出ている。なぜ他のページはこのような構成になっていないのか。結果はBが全体的に低いという当たり前の結果だ。私はBの半分程度がやってみたいと回答していることに驚いた。意欲がない原因は、ここに示されている条件を現在のスポーツが満たしていないから ということなのか?

この選択肢を作った人は、現状のスポーツの嫌われる要素を抽出しようと努力しているように思う。現状のスポーツには「誰かに怒られる、馬鹿にされる」「好きなときに止められない」「失敗すると楽しめない」といった要素があると認識しているということだ。スポーツをする人数を増やしたいのなら、まずはこれらをなくすことから始めてはどうか。

 

 

7ページ

ここはBのみである。Aに同じことを聞いたのかどうかさえ不明だ。同じことを聞かないと比較ができないのだが、スポーツへの意欲がない原因には興味がないということか。

 

生徒・学生時代のスポーツ・運動経験を質問したところ、66.7%が 経験がないと回答しました。

経験がない人が「意欲がなく、実施していない」になるのはそのままであって、何も不思議ではない。むしろ、「意欲がなく、実施していない」人の1/3は学生時代にはスポーツをしていたことの方が、スポーツ業界的には(商売対象が減ったという意味で)問題ではないのか。

 

スポーツ・運動をしていなくても不安に感じることはなく、誰に誘われてもしようと思わないと考えている人が半数以上いることが分かりました。

 

「スポーツ・運動をしていないことによって不安に感じることを教えてください」という質問に対して、「特にない」は38.7%である。上の文章は38.7%のうち、「誰に誘われたらスポーツ・運動をしようと思いますか」に対して「しようと思わない」を選んだ人の割合※1を指すのが自然だと思うが、何をどう計算したら半数以上になるのか。

 

さらに「分かりました」というだけで、それ以上何も言っていない。だから何なのだと言いたくなるが、Bの半分はどんな環境整備をしてもスポーツをしないということは分かる。

7ページの冒頭に

意欲がなく、実施頻度が月に1日(回)以下の人は、興味もなく、必要性も感じていない…!?

(最後の「!?」はプレスリリースのあちこちに出てくるが、どういうつもりなのだろうか)

とある。これが協会の感想ということか。興味があるかどうかも必要性の有無も聞いていないのになぜそんなことが分かるのか。知りたいのならなぜ質問しないのか。

(意欲はないが興味がある という状態は考えにくいので、感覚的には同じようなものだとは思うが聞いてもいないことを表題にするのはおかしい)

 

必要性は聞いていないが、「運動をしないことで不安に思うこと」は聞いている。不安に思うことはない=必要性はない という理屈なのだろうが、直接必要性を聞かないところに意図があるように見える。

「スポーツをする必要性はあると思いますか?」と聞くよりも「スポーツをしないことで不安に思うことは?」と聞いて大量の選択肢を並べる方が、「ある」側の回答が増えると予想される。だからこんな聞き方をして「(スポーツをしない人も)スポーツの必要性はあると考えている」と主張したかったのではないか。表題の意外そうな書きっぷりは思ったほど割合が高くならなかったことを示しているのではないか。

 

この設問からはBにどうにかしてスポーツをさせるにはどうしたらいいのかを考えているように見る。全人口に対するBの割合はそんなに大きくないと思うのだが、なぜわざわざBにまでスポーツをさせようとするのだろうか。「意欲もないし現在やっていない」人にやらせることを考える業界が他にあるだろうか。「余計なお世話だ」と言われるとは思わないのか。「意欲がないのだからやるわけがない」と考えるのが通常の思考ではないのか。「必要性がある」と主張してくるのは押し売りに等しい。個人的には「そういう横柄なことを言ってくるからスポーツが嫌いなのだ」と言いたくなる。「誘ってくる」も迷惑以外の何物でもない。これだけで1ネタ書けるくらいだ。

「意欲もないし現在やっていない」人まで巻き込もうとする迷惑な体質がスポーツ嫌いを増やしているとは思わないのだろうか。

 

 

クロス集計がないので、以下は私の勝手な推測である。

Bのデータを見ていると、Bには2種類の人が混じっているのではないかと思う。

 

・「もし以下の特徴を持つスポーツ・運動があったとしたら、やってみようと思いますか?」に対して50%くらいが「やってみようと思う」と回答(一番多いのは「好きなときにできてすきなときにやめられる」の60%)

・「誰に誘われたらスポーツ・運動をしようと思いますか」に対して「しようと思わない」以外(=誰かが誘えばやる)が45%

・運動に対して「義務感はないがやりたくない」が44%

 

どれも約半分である。ここから推測できるのは、Bを半分ずつに分けたB1とB2の存在である。

 

B1 やってみたいと思うスポーツがないからやっていない、適切な(やりたい)状況もしくは運動内容であればやる。

(前者は、誘われればやる≒一緒にやる人がいればやる などが考えられる)

 

B2 スポーツが根本的に嫌い、どんなスポーツであれ決してやらないし、誰に誘われてもやらない。

 

B2である私からすると、B1は十分に「スポーツへの意欲がある」と思えてならない。設問を眺めていると、スポーツ協会はB1の存在は想定できても、B2の存在は想定もできなかったのではないか。

 

参考

 

B1しか見えていないということは、スポーツに意欲がないといっても適切な環境整備をしたら全員がスポーツをするというつもりだったように見える。この調査の最大の意義は「何を整備しようがスポーツをする気がない人がいる」ことがスポーツ協会に伝わったことだと思われる。

 

伝わったとして、次に何をし出すのだろうか。余計なことをするなと心からお願いしたい。

 

※1 B全体の55%が該当