俺が仕事しながら適当に返事をしたことが、そんなに気に入らなかったのか?
それだけでそんなに怒るか?
いや、きっとそれだけじゃない。王子さまの目は正義感に燃えているようにも見えた。
「僕の知ってる星に赤黒って先生がいるんだけどさ、その先生、花の匂いなんか吸ったこともないし、星を眺めたこともないし、誰も愛したことがなくってさ、日がな一日何してるかっていうと、計算ばっかなんだ。君みたいに、いつも忙しい忙しいって言って、威張りくさってんだよ。しかも、そいつはさ、人じゃなくて、キノコなんだ」
「キ…キノ…?」
「キノコなんだよ」
ちょっと待って。笑うとこ?ここ。ってか、俺、キノコと同列ってことなの?
王子さまはおかまいなしに、ひどく興奮した口調で話し続けた。
「花は、もう何百万年も前からトゲを作ってんだよ。羊もやっぱ何百万年も前から花を食べてんだ。でも、花がなんで散々苦労してなんの役にも立たないトゲを作るのか、そのわけを知るのが大事じゃないって君は言うんだな?」
なぜいきなりこんなふうに王子さまに火がついちゃったのかわからない。
でも、目の前の王子さまの怒りは本物で、その根っこには深い悲しみがあるんだってことを俺は感じた。
「花が羊に食われることなんか、大したことじゃないってんだな?赤黒先生の計算より大事なことじゃないってこと?」
明らかに俺を責めてるけど、素直にごめんなんて言えるわけがなかった。
キノコの計算はわかんないけど、どう考えたって、花が羊に食われることより、ボルトのせいで飛行機が直らないことの方が一大事だろ。
そう言おうとしたら、また王子さまが口を開いた。
「僕の星には、よそにはない珍しい花が一輪咲いてるんだ。その花が…その花が…羊に食べられちゃうかもしれないって話だよ。今言ってんのは」
王子さまは自分の興奮を鎮めようと、ひとつ息を吐くと、
「例えば、誰かが、何百万もの星のどれかに咲いてるたった一輪の花が好きだとするじゃん」
と話し出した。
その誰かって…王子さま自身のこと?
「だったらその人はさ、その何百万もの星を眺めるだけで幸せになれるでしょ?『僕の好きな花が、このどこかにあるんだ』って思うだけで、勇気だったり力だったりが湧いてくんだよ。
でもさ、羊が花を食うってのはさ、じゃあどうなるかっていうとさ…」
王子さまはそこで言葉を詰まらせると、俺をキッと睨みつけた。
「その人の星っていう星が、みんな残らず消えてなくなるようなもんなんじゃないの?
それをさ、君は大したことじゃないって言うわけ?」
言い終わると、王子さまは俺から目をそらして俯いた。
王子さまの星っていう星がみんな残らず消えてなくなる?
俺は急に胸が締め付けられるように苦しくなった。
金槌が手から離れて、ストッと砂に落ちた。
「…ごめん」
俺はもうボルトのことなんてどうでもよくなっていた。それどころか、飛行機が直るより先に水が底を尽きてしまうことさえ、どうでもいいと思った。
今、一番大事なことは、
目の前の王子さまを、
たったひとりでこの星に降り立った王子さまを、
慰めてあげることだ。
王子さまの悲しみをわかってあげることだ。
だけど、どうしたら王子さまと同じ気持ちになれるだろう。
俺は、数歩踏み出して、ガバッと王子さまを抱きしめた。
いつのまにか日が落ちかけて、辺りは夕焼けに染まっていた。
砂漠の上にひとつになった俺たちの影が伸びていた。
俺は王子さまを抱きしめて、その耳にちゃんと届くように、こう言った。
「あんたの好きな花…大丈夫だよ」
王子さまは黙って俺に抱きしめられて、俺の言葉を待っている。
「俺が、あんたの羊に口輪を描いてやる。…そんで、花には、ちゃんとしっかりした囲いを描いてやるから。…な?」
俺は王子さまの背中をさすって、ポンポンと叩いた。
「あんたの花は、なくなったりしない」