駆け出して行った男を追いかけようとした娘を、母は引き止めました。
「お前っ…雪が…っ」
娘は泣きじゃくりながら、母の肩や胸を拳で叩きました。
「あの人は…あの人は…っ…天にお返ししなければならない尊いお方なのにっ」
娘は、その場に泣き崩れました。
しかし、どうして母が男の身の上を知り得たでしょう。自分でさえ、つい今しがた聞いたばかりなのです。
「ごめんよ…あたしゃ…一生懸命婿に仕えるお前が不憫で…。羽衣さえ無ければ…諦めてずっとお前と、生まれてくる赤ん坊のそばにいてくれるんじゃないかと思ったんだよ」
娘には、母が自分を思う気持ちも痛いほどよくわかりました。
「ごめんよ…」
「いいえ。お母さん…私が悪いんです」
ずっと男と一緒にいたいという娘の気持ちを汲んで、してくれたこと。母の愛をどうして責めることができるでしょう。
娘の脳裏に、
『お前は俺をそばに置いておきたいだけなのだ』
という男の言葉が蘇りました。
「すべては、私の…わがままのせいです…」
さっき男が見せた涙。冷たい瞳。
娘と出会ったことを
婿になったことを
そして…
娘を愛したことを
きっと後悔しているに違いない。
いったい何のために、自分は男を愛したのか。
全ては自分の欲のためではないか。
己の欲が
母に羽衣を捨てさせ
男を絶望させ
果ては…
天と地に災いをもたらす…?
「なんと恐ろしいこと…」
娘は急いで蓑を被りました。
「お前、何をする気だい?」
「お母さん、燃やさないでくれてありがとう。川に流したのなら、川下に流れ着いているかもしれない。探してきます」
「無茶を言うんじゃない。お前ひとりの体じゃないんだよ。お前が行くと言うなら、代わりに私が行こう」
「お母さんにそんなことはさせられません。お母さんは、あの人が帰って来たときのために何か温かいものでも用意しておいてあげてください」
「お待ち!」
「お母さん、大丈夫です。叔父さんの所に寄って行きますから」
「それはいいが…」
「なんなら叔父さんに頼んで探してもらいます。私は叔父さんの家にいますから」
「本当かい?」
「ええ、きっと」
「きっとだよ」
「はい。きっと」
娘はそう言って家を出ました。
しかし、娘は叔父さんの家には寄らず、まっすぐ川へ向かいました。
一刻も早く羽衣を見つけたかったのです。
きっと男も同じことを考えているでしょう。
娘は、雪の降りしきる中、川べりを伝って川下の方に歩いて行きました。
どうか…羽衣が見つかりますように…。
娘は天を仰いで祈りました。
もう、天地にとって大事なあの方を、己の欲で引き止めることは致しません。すぐにでもあの方を天にお返ししますから…
ですから、どうか…神さま!羽衣を…あの方の元へお返しください!