おじさんデビュー。の巻 | けんばにすと さっきーのブログ

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さて、リゾートしらかみの旅から途切れずに太平洋側へ鈍行移動。

一ノ関で乗り換え30分の間になにか食べようと駅前に出るも、やっぱり時間なくて駅そばですませる。


気仙沼線で千厩まで移動。

この日は駅寝でもしようかと思ってたのだけど、翌日から参加するボランティア先で宿泊場所を用意してもらえることに。

昔ながらの木造校舎。元小学校にお泊りです。
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図書コーナーにあった本が、ちょうど
僕の小学校のころな感じ。懐かしい。
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この日に横浜の方から来て、ボランティア作業してきたという、会社ぐるみのチームと合流。食事室でミーティングという名の宴会ニコニコ

同じ会社のメンバーだから、みんな自己紹介は僕に向かってするという汗

普通のサラリーマンの方とお話する機会はあんまりないので、楽しい夜でした。

おもむろに就寝。普通に畳にお布団もあって快適。


6時半起床。

コンビニで朝食を取って、津波で甚大な被害を受けた小泉地区の小学校へ。

高台から切れた気仙沼線が見えます。
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次世代以降に伝えるための石碑。
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スーパー堤防やらのでっかい設備には地元の反対があってもすぐに予算がつくけれど、それぞれの住宅の沈下した地盤のかさ上げなどは、4、5年かけての予算になるそう。つまり、仮設住宅に4、5年住まなければいけない、と。

そんなお話も聞けました。

そして、小学校からボランティア団体の事務所に移動。

この日到着したボランティアバスのチームに、ここで会社チームから僕だけ合流。

老若男女幅広いメンバー。

お寺へ移動。

海からそれなりの距離もあり、高台だったこちらのお寺の本堂では、揺れたあとに津波から逃れてくる地域のひとを受け入れる準備をしていたそう。

でも、津波は本堂を流すまでに押し寄せてきたそうです。

お盆も近いということで、参道をきれいにしましょう。ということで、草むしり。

草むしりしていても、まだまだ瓦礫はそこここにあって、生活感あふれるものが出てきたりします。


そんな作業中、一緒のエリアにとりかかっていた、18、9だったかな、若い女の子ちゃんたちに声をかけられました。

「おじさーん」

爆弾!!

…僕のことらしいです。

いやー自然に言ったな、このヤロー。
と一瞬思うも、そりゃ娘でもおかしくない年齢の子なんだもんねえ。とあきらめるあせる

自覚することにしますガーン

おじさんと呼ばれた記念日になりました。
そんな2人とパチリ。
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んー。おじさんかあ。

何度もつぶやいてたら、「しつこい」言われましたしょぼん


休憩時間に、わさわさ生えているシロツメクサから4ツ葉がいっぱい。
5分くらいで10枚超。いままでこんなに一度にたくさん見つけたことないなあ。
5ツ葉も。
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娘のプレゼントかぶってがんばってます。
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娘たちは音楽関係の学校行ってて、1人はフランスへ留学するそう。若いって素晴らしい。

他には、高校の国語の先生もいらっしゃって、金田一春彦の「日本語」についてとか大野晋の日本語タミル語説など、マニアックな話もできました。

いろんな職業、年齢の人と話せるのは本当に楽しいものです。


作業後は、気仙沼へ。鹿折唐桑駅近く。あの、うちあげられた船のあたりへ。
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街があったころには建物で海が見えず、何もなくなって「こんなに海が近かったんだ」と言う地元の人もいるそうです。
確かに、建物あったら感覚的には近くないかもな。

周辺はまだまだなんですが、いち早く復活したお風呂屋さんへ。

名物母さん、「お茶飲みなさい、お菓子食べなさい」ずーっと言ってたなニコニコ

そのあと、まだプレハブの復興屋台村でお寿司いただきました。
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美味かった~叫び

こういう被災地での消費も、ささやかな手助けになると聞くと嬉しいです。

そしてこの日は公民館でお泊り。

お決まりのミーティングという名の宴会もニコニコ


座布団並べて毛布被って寝る、と。

僕は持参の寝袋で。

畳の上ですから、快適なもんです。


こうして初めてのボランティア日終了。

2日目へつづく。










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