路地探訪・富岡市七日市 | ゆるゆるな毎日

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水曜どうでしょうやマンホール、キリスト看板などの趣味に走りすぎた日々を綴っています。

七日市陣屋跡の近くに、家臣の屋敷の長屋門が残されていると聞き、

 

ついでに探してみました。

 

黒門から左に出て南へ。

城壁越しに見える七日市陣屋の正殿の一部だった御殿。

 

七日市藩は1万石だったため、お城が構えられなかったんですよね。

 

しかし、陣屋の建物だったからこそ、廃城令を免れたのかしら?

 

帰って来てから知ったのですが、戦時中は陸軍中野学校が疎開していて、

 

校舎などを利用していて終焉を迎えたのだとか。

 

その碑もあったようですが、見忘れました。

 

 

御殿の横の縁側には瓦が置かれていました。

補修のためのストックでしょうか?

 

 

風情ある石畳は復元された城壁のところまで。

その先は普通のアスファルトの道路でした。

 

昔のままの道路幅なのか、車がすれ違えないくらいの狭さ。

 

 

突き当りは蛇宮神社の敷地のようでした。

 

参拝すれば良かったのかもしれまんが、

 

父が亡くなってからまだ日が経っておらず、

 

実家の神棚も封じている時期だったので

 

神域に入るべきではないかな…と思って引き返し、丁字路を右折しました。

 

 

見えてきました。

立派な長屋門です。

 

 

こちらは七日市藩の家老職にあった南保坂家の長屋門。

保坂家は七日市藩が立藩する際、本家である加賀の前田家から派遣され、

 

北保坂家と南保坂家に分かれて家老という大役を担ったそうです。

 

路地が狭く、正面から全景が撮れなのが残念。

 

現在は正気館保坂道場という看板が掛かっていました。

 

正気館は「せいきかん」と読むのでしょうか?

 

七日市藩の藩校は成器館と言って、発音は「せいきかん」でした。

 

もしかして、藩校の流れを汲んで同じ発音の名前にしたのでしょうか。

 

 

東側から。

中央の門は確かに古いものだと思いますが、

 

左右の長屋は新しいもののように見えます。

 

漆喰部分を塗り直したり、板壁を補修したのでしょうか。

 

富岡市のサイトなどを探してみましたが、改修などの情報は分かりませんでした。

 

長屋門を堪能した後、

 

この先の路地も探索しましたが、個人宅が続くので写真は撮りませんでした。

 

道なりに進んで国道246号線を西へ進みましたが、

 

歩道がない上に車通りが激しいので、こちらも写真はなし。

 

 

富岡高校の角の信号へ戻ってきました。

この信号を手前へ渡りました。

 

 

すぐ見えてきたのは北保坂家の長屋門です。

長屋門としては、こちらの方が大きかったです。

 

 

堂々たる門。

武者窓も格好良く、何よりも長屋も古いものだと分かります。

 

しかも古くてもよく手入れがされているようで、状態の良い長屋門でした。

 

 

北保坂家長屋門の前から南を向くと…。

七日市陣屋が見えます。

 

重要なお役目の家臣の屋敷だけに、

 

藩邸近くに構えることを許されたのでしょうね。

 

 

北保坂家長屋門前の路地を北へ。

突き当りは上信電鉄の上州七日市駅でした。

 

パッと見、民家にも見える可愛い駅。

 

 

駅前から南を見ると北保坂家の長屋門が見えます。

左の建物が長屋門です。

 

 

駅舎の中も気になりますが、それよりも気になったのはこちら。

駅の横に遮断器のない人道踏切がありました。

 

いいなぁ、この踏切。

 

踏切の先も探訪したかったのですが、時間的に厳しいので我慢しました。

 

 

踏切手前の線路脇はネギ畑でした。

ここは富岡ですが、もしかして名産の下仁田ネギかしら?

 

駅前がネギ畑っていうのもいいですね。

 

この地域、本当にゆっくり路地歩きがしてみたい。

 

駅舎の中を見に行こうと思っていましたが、

 

6人グループが駅に入って行ったので、駅舎の中の撮影は断念。

 

富岡製糸場帰りの方たちのようでした。

 

先に見ておくべきだった

 

 

乗客が来たということは、すぐに電車が来るかも?と期待しましたが、

 

次の電車が来るまで約30分ありました。

 

そんなには待てないので、ここで写真を撮るのは断念。

 

ここでの鉄道運はツイていませんでした。

 

しかし、下仁田付近で電車の撮影に成功。

今回は時間のない中での探訪だったので、またゆっくり行ってみたいです。

 

 

あし今回の路地探訪