盛岡散歩・おかんの墓 | ゆるゆるな毎日

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水曜どうでしょうやマンホール、キリスト看板などの趣味に走りすぎた日々を綴っています。

盛岡で住んでいた家の近くでよく見かけたこちらの案内板。

「おかんの墓」というインパクトのある名称が書かれています。

 

関西人ではない私ですが、おかん=お母さんと連想していましたが、

 

よく見れば「Burial Place of Okan」と英語表記されているので、

 

おかんという人の墓地だと分かります。

 

気になっていたのですが、それこそ徒歩圏内だったので、

 

いつでも行けると先延ばしにしていました。

 

しかし、いつ転勤になってもおかしくない年数を盛岡で過ごしたので、

 

3年前の秋、急いで行ってみました。

 

 

おかんの墓は大泉寺さんにあります。

この前は数えきれないほど通っていたのですが、入るのは初めて。

 

門から山門まで長い参道があるのも、この時初めて知りました。

 

 

山門。

山門は比較的新しい建築なのかしら?

 

 

山門の向かって左手に6体のお地蔵様が安置されていました。

お揃いの赤い帽子に赤い前掛けが良いですね。

 

お寺の関係者の方が檀家さんが作って下さっているのかしら?

 

私の祖母も、よく作って奉納していたことを思い出しました。

 

 

山門を入った左手には小さなお堂がありました。

黄色や白い菊がきちんとお供えされていたのですが、

 

何をお祀りしているのかよく分からず…。

 

お稲荷様だったのかな?

 

 

もう少し近づこうと思ったら、この子と目が合いました。

秋の優しい日差しで日向ぼっこ中の猫ちゃんでした黒猫

 

薄く目を開けて私を見ると、

 

興味を失ったように再び目を閉じてしまいました。

 

お楽しみを邪魔するのも無粋なので、そっと下がって退散。

 

 

境内には盛岡市の有形文化財が書かれた案内板がありました。

木像阿弥陀如来像、木造十一面観音菩薩立像、

 

紙本着色阿弥陀三尊来迎図屏風と、どれも見てみたいものばかり。

 

でも、声を掛けて見せて下さるようにお願いして良いのかも分からず、

 

ほかのお寺さんでも案内板を見るだけになっちゃいました。

 

御開帳の日とかあるといいなぁ。

 

 

猫ちゃんのいた向いにも建物がありました。

こちらはなんでしょう?

 

後でゆっくり見ようと、とりあえず本堂へお参りすることにしました。

 

 

本堂は文政年間(1818年~1829年)に再建と伝わっています。

天辺の宝珠と、屋根の端の反り返りが特徴の

 

銅葺きの宝形式反り屋根が美しい。

 

本堂は盛岡市の景観重要建造物に指定されています。

 

 

まずお参りを済ませ、本堂を近くから観賞。

車寄せの屋根は起り破風になっていて、

 

本堂の屋根とは反対に反っているのが面白いです。

 

何よりも正面妻飾りが見事!

 

蟇股のデザインも凝っていました。

 

 

懸魚部分。

細かい筋も彫られていて、職人さんの繊細な仕事ぶりが伺えます。

 

うっとり観賞していたら、関係者と思しき方が出てらっしゃいました。

 

一瞬、文化財のことを伺ってみようかと思ったのですが、

 

檀家さんと相談事の途中だったようなので、

 

やめておき、お写真の許可だけ頂きました。

 

「お参りですか?」と聞かれたので、

 

「おかんの墓の案内を見て」と言うと、

 

「そちらです。ご苦労様です」と優しい言葉を掛けて頂きました。

 

盛岡の市街地はお寺さんが多く、あちこち参拝しましたが、

 

どのお寺さんでも、お会いした方は皆さん優しく、

 

中には丁寧に案内をした下さった方もいらっしゃいました。

 

盛岡の優しい思い出の一つです。

 

 

さて、教えて頂いたおかんの墓は、山門を入った右手にありました。

おかんとは、南部信直公に討たれた

 

福岡城城主・九戸政実の家臣・畠山重勝の一人娘で、

 

父・重勝が自刃した後、家来の三平と夫婦となって盛岡へ来ました。

 

三平は不来方城(盛岡城)築城の工事人夫として働いていましたが、

 

工事中に重傷を負い、動けなくなってしまいました。

 

三平の直属の上司だった組頭の高瀬軍太は、

 

以前から気品のあるおかんに思いを寄せていましたが、

 

三平の怪我を機に、しつこく言い寄るようになり、

 

三平のことを亡き者にして思いを遂げようと企みました。

 

そのことを知ったおかんは思い悩み、とうとう高瀬に

 

「夫の三平を、明日の朝早く馬で観音参りに出すので、

 

鉄砲で撃ち殺してほしい」と頼みました。

 

高瀬はおかんの言葉通り、翌朝、馬に乗った三平を撃ち殺しました。

 

しかし確認すると、三平ではなく、おかんが倒れていました。

 

おかんは三平の命を守るために、自ら身代わりになったのでした。

 

その貞死した貞女おかんを祀ったお墓がおかんの墓です。

 

このお話を知った時、ほかに方法は無かったのかな…と、

 

おかんと三平のことを気の毒に思いました。

 

後日談として、高瀬は仏門に入って、遺族の生計を助けたそうですが、

 

何故その前に、思いとどまれなかったのかとも思いました。

 

ちなみにおかんの墓碑を叩くと、「カンカン」と音がするそうです。

 

名前の前の「お」は、今でいう「ちゃん」のようなものなので、

 

おかんの本名は畠山かんだったのでしょう。

 

だから名前の音がするのかもしれませんね。

 

 

大泉寺さんにはイチョウやカエデがあって、

 

紅葉の頃にも行きましたが、それはそれは綺麗でした。

 

盛岡は東京よりも秋の訪れが早いはず。

 

きっと境内も綺麗に彩られる頃でしょうね。

 

遠い場所から、懐かしく思い出しました。

 

 

 

今回のおでかけ

★大泉寺

  住所:岩手県盛岡市本町通1-14-1

  電話:019-651-5766

  参拝料:無料

  駐車場:あり