Another Story ~アダルト・チャイルドの成長記録~

旦那との関係が上手くいかなくなった時、何故か自分の今までの人生に目を向け始めました。

どうして苦しい生き方しか出来なかったのか・・・・・

小さな子どもの時の私が、まだ大人になりきれなくて、心の中で泣いているのを見つけました。

私が、少しずつ成長していくことは、自分の子ども達にとっても幸せなことかなと思っています。


このブログでは、カウンセリングで生育歴を見直していきながら、

今まで過ごしてきた過去を、物語にしていけたらなと思っています。

ここでは、書きっぱなしとさせていただきます。

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彼との関係

彼との関係は、彼が高校へ進学してからも続きました。

私は、中3の6月になると、彼と同じ高校へ進みたいために、進学塾へ通い始めました。

その地区では一番レベルの高い進学校でした。

当時の私の成績では、ぎりぎりのところでした。


彼は、高校に入ってもサッカーを続け、練習は毎日行われていたので、私から連絡を取ることは、ほとんどありませんでした。

電話が掛かってきて、そして、彼のお兄さんのアパートに行き、そして抱かれました。

自分でも、遊ばれてるかもしれない、そう思っていました。

それでも、私は彼と一緒に過ごせるそれだけで、幸せを感じていました。


時々、私は彼の胸で涙をこぼしました。

彼は、そっとその涙を指でぬぐい、おでことおでこをくっつけて笑ってくれました。

そして逆に、彼も切なそうな顔をして、私の胸に顔をうずめました。

そんな彼を見て、彼の寂しさを受け止めてあげられるのは私だけなのかもしれないと思っていました。

彼の腕の中にいるだけで、心が休まっていくのを、私は感じていました。

初体験

私が、初めて男の人と付き合ったのは、中学2年生、13歳の時でした。
好きになったきっかけは、些細なこと。
ある雨の日、調理実習の準備にクラスメートとスーパーに買出しに出掛けました。
正門の前には、上級生の男の子達が、たむろしていて、その一人が私の傘の中に入ってきて、
「一緒に帰ろう。」と傘を持って歩き出したのでした。

ただ、それだけの出来事だったのに、ドキドキしてしまって、簡単に恋に堕ちてしまったのでした。


それまで、私は上級生に無頓着だったのに、クラスメイトに
「あれは、U先輩よ~。」って教えてもらって、その日からはいつも彼のことを探していました。

サッカー部のキャプテンで、とても人気があることを知りました。
私は、見ているだけでいいと思っていました。


授業内で行われる必修クラブで、偶然にも私は彼の教室を使っていました。
机の中に、そっと手紙を入れたり、詩を書いて入れたり、匿名であることが私を大胆にさせていました。

サッカー部のクラスメイトに、「”さ”って書いてみて」と言われ書いたことがきっかけで、筆跡によって私の手紙がばれてしまいました。


その数日後、彼から電話が掛かってくるようになりました。
初めての電話は、声が震えるだけでなく、歯までガチガチいってしまって、彼に笑われるほどでした。

二人が好きだったオフコースの話や、曲について、学校であった出来事、そんなたわいもない話がとても嬉しかったのです。
その頃は、彼は受験の為、クラブも辞めていましたが、それでもしょっちゅうクラブに出てはグランドを走り回っていました。


「付き合おうか」
「嘘」
「普通は、うんとか、嫌とか言うんじゃないの??」
「うん」


そうやって、付き合い始めました。
付き合うといっても、友達を介しての手紙のやり取りや、電話のみ。
私もクラブ活動をしていたし、一緒に帰ることもありませんでした。


手紙を届けてくれていた友達は、とても美人で人気がありました。
他の友達から、
「Mちゃんと話したいから、ねこと付き合ってるんじゃないの?」そう言われました。
憧れの先輩が、こうやって私と手紙交換してくれたり、電話をしてくれているだけで満足でした。
だから、なんと言われようと平気でした。


「遊びにおいでよ」
でも、やっぱり行けませんでした。
クラブは休みを問わず毎日あったし、母になんて言っていいのかわかりませんでした。


そうやっているうちに、
「別れよう」と手紙が来ました。
彼の私立高校試験の後でした。

「やらさないから振られたのよ」
友達の言葉にドキッとしました。


別れても、それまでと同じように電話も掛かってきたし、相変わらず、
「遊びにおいでよ~」と彼は言っていました。
ちょうど、クラブが急に休みになった日、私は学校帰りに彼の家に行くことになりました。

2月の終わりだというのに、彼の部屋はとても暖かくて、彼はTシャツ一枚でした。


電話で話すことはあっても、近くで話すことはありませんでした。
最初に、傘に一緒に入って以来のことだったかもしれません。

ベットに座って話をしていると、ゆっくりと押し倒されて、彼の顔が近づいてきました。
キスされるんだ、そう思いました。


唇が触れたかと思うと、彼の舌が入ってきました。
キスって、唇と唇を合わせるだけだと思っていたので、びっくりしました。

体中が心臓になったみたいに、バクバクしていました。
その音が、自分に聞こえてくるみたいでした。
制服の、ネクタイをはずされ、カッターのボタンをはずされました。


でも、それ以上は恐くなって、拒みました。

彼も、それ以上何もしませんでした。


そんなことがあってから、私は彼に抱きしめられたいと思うようになりました。

そして、彼の進学が決まり、卒業の後、私は再び、今度は自分から彼の家に遊びに行きました。

彼とセックスすることになることを覚悟していました。

そして私は、今度は抵抗することもなく、彼を受け入れました。

私と友だち(小学校卒業文集より テーマ”自分を見つめて”)

 ほんとうの友達って、今このクラスに何人いるのだろう。六年になって友だちは何人つくったかなぁ。苦しみ、たすけあい、そんな苦しい中で友だちをつくるのに、私にはそれができない。

 五年生の時は、二人の友だちができて、最初のうちは少しのことでけんかしてだれかが泣いてかいったっけ。でもそのうち、先生方から三人娘とよばれるほど仲がよくなってそれなのに、六年になってクラスがわかれるなんて・・・・・・・。初めて、教室に入る時、ほんとなら、胸がわくわくするはずなのに、しょんぼりして、かいだんで足をうったっけ。それに、五月までに90人以上にならなかった時も、はらがたったし・・・・・・。友だちつくるのへたなのに。

 友だちができないのは、自分のわがままかってに、泣いたりするからだろう。自分では、なおそう、なおそうと思っても、生まれて11年間でつけてきたもの、今なおしても、友だちができるまで一年はかかる。いろんな人と遊ぼうと思って、遊んだけどみんな仲のよい友だちがいて、私よりもその人のほうがいいと思っているとみえて、友達になれなかった。

 Fさんと同じ班になって、私が泣いたとき

「それぐらいのことで泣きんさんなや。」

といったりして、私はFさんは、私のこと思ってくれてないから、そんなにきつくいうんだと思っていました。だんだん、日がたって、何度もこんなことがありました。その時私は、初めてわかりました。私にとってだれが大切な人かが。私は苦しいことに、いつもにげて泣いてばかりいたけど

「それはいけない。もっち強くなりなさい。」

とよびかけてくれる人たちが、とっても大切な人におもえてきました。いままで、すぐに泣いていたから、その人たちのいうことがきつくかんじられてけど、いま、ひろくみていると、友だちではないけど、私にとって大切な人たちがたくさんいるなぁと思いました。


将来の職業 小さなお店をもちたい

願い みんなのために何かやりたい

中学への夢 友だちをつくる。




そして、中学校に入って私は、Fちゃんにいじめられることになりました。

それでも私は、Fちゃんのことを信じていました。

学級委員の立候補

小学5年生の時、学級委員の立候補をしました。

いつも、可愛くて、スポーツが出来て、頭もよくて、いつも、クラスの人気者だった女の子Iちゃんが学級委員でした。


でも、その時はIちゃんは立候補しないで、クラスの中でもとてもおとなしいNちゃんが立候補しました。

Nちゃんになら勝てる、そう思った私は立候補しました。


多数決で選ばれたのは、Nちゃんでした。

「いつもおとなしいNちゃんが立候補したので、応援したくなった。」

そう誰かが言いました。


私は、そんなことも思いもせず、自分のことだけを考えて立候補してしまいました。

自分が惨めで、嫌な人間だなと思いました。

そこに自分だけ取り残されている気持ちになりました。

眠れない夜

夜、眠れないことがよくありました。

「眠らなければいけない」

「このまま朝まで眠れなかったらどうしよう」

そう思うと、余計に眠れなくなりました。


そのうちに、足の裏がむずむずしてきて、発狂しそうになります。

おかしくなってしまいそうで、わぁっと大きな声を出したくなります。


その頃、窓際から、父・母・妹・私の順番で寝ていました。

母の隣で寝たくて、一度だけ頼んだことがありました。

「お父さん、寝相が悪いから駄目。」そう言われました。


眠れない夜、私は仕方なく、片方の手で胸の辺りをトントンしながら

「ねんねんころりよ~ おころりよ。」と自分で子守唄を歌いました。


まだ小さかった頃、母がよくそうしてくれました。

それを思い出しながら、母がそうやってしてくれるのを想像しながら、歌を歌いました。

そうしてくれると安心して眠りにつけたのでした。

記事に出来なかったこと、記事を書いて気が付いたこと

あと、もう一つ記事を書いたら、小学生の頃の私は終了となる予定です。

ここには書いていない、私の中には、漠然とした母の姿があります。

髪をアップにした母が、般若のような顔をして、私に襲ってきます。

小学3年生の時に、髪を切ってしまったので、それ以前の母の姿です。


でも、具体的な思い出としては、私の心の中に残っていません。

そういう母は、私が結婚するまで続きました。

20年以上新聞配達をしていた、母の体力は、私をいつも上回っていました。

いつも引きずり回されていました。


それはいつも二階の部屋で行われ、5歳年下の妹にも同じようにしていたのかさえ、定かではありません。

階段の音が、いつもより大きく聞こえた時、私は母の怒りを察知して逃げ回りました。

「ごめんなさい」を繰り返しながら・・・・・・・


「言っても聞かないのは、猫や犬と同じだ。」

そういう理由で、私は叩かれていたのです。

その恐怖は、いつまでも残っているのですが、具体的な記憶はすべて消えています。

もしかしたら、生育歴を書いていくにつれて、記憶が蘇るのかもしれないし、そうでないかもしれません。




ここまで書いてきて、今まで心の中にあった、あまり気に留めていなかった出来事が、私の心を深く揺さぶり続けていたことに気が付きました。

「自傷」の記事を書いた後、私は当時に戻ったように、激しく泣いてしまいました。

「家出」の記事を書いた今、他の喪失体験を呼び起こしてしまったようです。

記事を書きながら、胸が苦しくなり、頭痛が始まり、5日経過した今も収まっていません。


その喪失体験は、大人になって経験したものですが、当時は、それほどまで痛みを感じずにいたことですが、実は、私の心を深く傷つけていたようです。

もうその頃は、心が麻痺していて、痛みすら感じなくなってしまっていたようです。


今頃になって、その出来事が私を苦しめた原因の一つであることに気が付きました。

鬱になったこと。

仕事を辞めたこと。

旦那と上手くいかなったこと。

その喪失体験が、直接の原因ではないとしても、大きな要因であることに気が付きました。


「家出」を書く前に、山川健一さんの「夜の果物、金の菓子 」を読んだことも、その喪失体験を呼び起こした理由でもあります。

この本を、読んでいた時も、同じように苦しくなり、吐き気がしました。

最後には、私を癒してくれる言葉もちゃんと用意してあったのですが、実生活のでの新たな別れが、私を追い込みました。


その喪失体験は、同僚の過労死です。

私が、責任を負わなければいけないことはありません。

ただ、大きな組織の中で、誰もがそれに従うことしか出来なかったこと、そして私自身も、それに対して反抗しながらも、同じように従ってしまったこと。

今も、私は自分のことを許せていないのだなと改めて感じました。


明後日、同僚が息途絶えた場所に、行ってみようと思っています。

それで、どうなるということもないのですが、誰にも話せなかった私の気持ちを伝えてみたいと思います。


生育歴を書いていくということは、なんていうことのない作業だと思っていました。

最初にカウンセラーに勧められた時も、ピンのこないまま始めました。

でも、思ったよりも、とても苦しい作業です。

一つずつ癒さなければ、前に進めなくなりました。

いつか、笑ってこの記事を読めることを願って、今の気持ちをここに残しておこうと思います。

家出

小学校を卒業し、春休みのことでした。

きっかけがなんだったのかよく思い出せません。

「もう出て行く」私は、そう断言して家を飛び出しました。


行くあてなんてありません。

私は、団地に向かって走りました。

途方に暮れていると、空き地の向こう側で、友達が遊んでいるのが見えました。

彼女に見つからないように、石垣に隠れ、息を潜めて見ていました。


彼女は楽しそうでした。

それを見ていると、とても惨めな気持ちになってきました。

自分だけが不幸だと思えてきたのです。


夕方、行くところもなくなり、家に向かいました。

家の近くの資材置き場の横で、母は私の帰りを待っていました。



中学校の入学式、彼女はいませんでした。

ずっと休み続けていました。

他の友達に聞いても、先生に聞いても理由はわかりませんでした。


彼女が休んで1ヶ月がたったある日、

思いもよらない方法で、彼女が休んでいる理由を知ることになりました。

彼女は春休み、一つ下の弟と共に家出をして、別れた父親と会ったのを最後に、そのまま行方不明だったのでした。


彼女の母親は、1ヶ月もの間、警察にも届けないまま、祈祷師に頼んだりしていたみたいでした。

新聞報道や、テレビで私はその事実を知ることになったのでした。


彼女は、小学5年生の時に転校して来て、バレーボール同好会に入りました。

ビーバーみたいで可愛くて明るい女の子でした。

テレビ報道では、バレーボールの試合の後に取った写真が映し出されました。


自分だけがつらかったのではなかったことを知りました。

彼女に対して、うらやましい気持ちになっていた自分を責めました。

そして、月日が経つにつれて、誰も彼女のことを口にしなくなりました。


いなくなって忘れられること、私にとっては恐怖でした。

私だけは、彼女のことを忘れてはいけない、そう思っていました。




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盗み

学校で話をしていると、私だけ誘われず、他の友達だけで遊んでいたようでした。

こそこそと、私に隠しながら、友達がその時のことを話していました。

話の内容で、ある女の子の家で、ビーズ遊びをした話でした。

そこで、みんなビーズを分けてもらったみたいでした。


次に、その女の子の家に行った時、ビーズを見せてくれました。

瓶の中に入った、キラキラときれいな色のビーズでした。

私も、色々集めていたのに、見たこともない種類のビーズでした。

どうしても私はそれが欲しくなりました。


「ちょうだい」私は言いました。

「みんなにあげて少なくなったからだめ。」とその子はいいました。

やっぱり、私をのけものにして遊んだんだと思いました。

みんなにはあげたのに、私にはくれようとしませんでした。


その子がトイレに行っている間に、私は一握り瓶から取り出しました。

そして、そっとスカートのポケットに忍ばせました。

友達が、気付かないかドキドキしました。

でも、大丈夫みたいでした。


家に帰っても、後ろめたい気持ちでいっぱいでした。

隠し事をしたらいけないと言われていたけれど、親にももちろん言えませんでした。

スカートのポケットからそっと出して、お年玉袋に入れました。

そして、ビーズを入れていたお菓子の缶に、納めました。


結局、使うことが出来ませんでした。

もし、使ったら盗んだことがばれてしまうかもしれないと思いました。

フットベースボールとバレーボール

小学4年生から、子ども会のフットベースボールと学校でのバレーボール同好会に所属していました。

でも、私は上手くなりたいなんて思ったことがありませんでした。

そしてレギュラーになりたいなんて思ったこともありませんでした。

でも、そこに居たかったのです。


フットベースボールは、4年から始めたのは二人でした。

もう一人は、Tちゃんと言いました。

幼稚園の時からの友達でした。

上靴に犬の糞を入れられた時、母に報告してくれたのはTちゃんでした。


私は、Tちゃんにいつも従っていました。

Tちゃんは、身体も大きくて、スポーツ万能でした。

Tちゃんは、レギュラーで、私は補欠でした。


監督だったおじさんに、みんなあだなをつけられました。

私だけ、キャプテンだった6年生が

「この子、子猫みたいだね。」って言って、「ねこ」と呼ばれるようになりました。

身体も小さくて、やせっぽちで、何をしてもトロかったけど、そこでは、みんなが私のことをかわいがってくれました。


バレーボールも、友達がやっていたこともあって、入会しました。

もしかしたら、どこかに属していないと不安だったのかもしれません。

そうやっている限り、居場所があります。


ちっとも上手くならなくても、後から入ってきた人がレギュラーになっても、仕方ないんだと思いました。

上手くなる私なんて、想像できませんでした。

運動音痴だったし、レギュラーになって失敗することよりも、補欠でいることのほうが安心できました。

試合に負けるたびに、自分のせいだと思ってしまうのは、嫌でした。


それでも、真面目に練習には参加しました。

それだけが取り柄だったのかもしれません。

トラとミーちゃん

小学校3年生頃、猫を飼うことになり、貰って来ました。

トラ猫だったので「トラ」と名付けました。

母は、トラ猫は気性が荒いから、白っぽい猫が良かったと言っていました。


でも「トラ」を飼うようになって数日後、「トラ」のえさに惹かれるように、三毛猫がやってきました。

「もっと早くくれば良かったのに。」と母は言いました。

「ミーちゃん」と名付けました。


二匹とよく遊びました。

今とは違って、猫を飼っているといっても、餌をやっているだけの状態でした。

ごはんをやる前、おわんをカランカランとコンクリートにぶつけて音をさせると、いつも飛んでやってきました。

撫でているだけで、心が安らいでいました。


ある日、インコを飼う近所の家から、苦情を言われました。

鳥小屋を襲おうとしたのだと・・・・・・

「もう飼えないから」母は言いました。


数日後、家に帰ると、「トラ」はいませんでした。

「どうしたの?」と尋ねると

「貰ってくれる人がいて、あげてきた。」母は答えました。

せめて最後にさよならがしたかったのに、そう思いました。


また数日後、今度は「ミーちゃん」がいなくなりました。

母に尋ねると、

「元々ミーちゃんは野良猫だから、またどこかに行ったんじゃないの?」

母は、平気な顔でいいました。


悪いことをしたから仕方ないんだ、そう思うしかありませんでした。

でも、本当はずっと一緒にいたかった。

その気持ちさえ、母に言うことは出来ませんでした。

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